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No.5 『西の魔女が死んだ』

私には、昔から密かに胸に抱く夢がある。

生まれてからずっと東京という都会に住んできて、どこへ行っても人、人、人の波にもまれてきたけれど、ついぞ人混みというものに慣れたことはない。

もちろん、東京に住むことの利点は多い。車なんて要らないほどに網羅された交通機関。次から次へと生み出される流行たち。所狭しと立ち並ぶお店の数。

でもこの住みやすさは、便利さという評価基準に基づいたものであって、必ずしも居心地の良さには直結しない。

きっとそう感じている都会人は少なくなくて、だからこそ、騒々しい都会から逃れ、もっと心休まる地へと移住する人が一定数いるのだろう。

小説『西の魔女が死んだ』に出てくる家は、まさに、そんな人たちが瞼の裏に思い描く家なのではないかと思う。少なくとも、私にとってはそうだ。

「学校へは行かない」と親に告げた小学生のまいは、しばらくの間、母方の祖母の家に滞在することとなる。祖母の家は、電車が線路を走る音や車のエンジン音も聞こえない、辺りを緑に囲まれた山の中に佇んでいる。

その生活は質素でありながらとても丁寧で、実際に自分が同じような生活をできるかどうかは差し置いても、私の「理想像」としてきらきらと輝いて見えるのだ。

裏庭の畑に育ったキンレンカの葉が入ったサンドイッチ

野いちごで作るたくさんのジャム

ハーブの香りをたっぷりに吸い込んだベッドシーツ

本の中で広がる祖母とまいの生活を読んでいるだけでも、心が躍ってしまう。

そうは言っても、私のこうした暮らしへの期待は、盲目的な心酔かもしれない。より現実味のある暮らしを想像するならば、夏には虫に悩まされ、買い物一つ行くことの億劫さを思い知り、時には都会を恋しくさえ思うのかもしれない。

それでも、私にとって、祖母の生活様式は、きっとこれからも理想であり続けるだろう。それは、彼女の暮らしが、過不足のない、小さな幸せをちゃんと知っている人のものであるように思えるからだ。

まいの「おばあちゃん」は私の「おばあちゃん」ではないし、私には本という媒体を通じて彼女たちの生活を覗くことしか叶わない。でも、その物語を通じて、私自身もまいと同様、祖母から彼女の知っているものをそっと教えてもらえる。

東京生まれ東京育ちの私には、心がほっと落ち着くような故郷は無いけれど、ふとした時に読み「帰り」たくなる本が、行きたくなる家が、そして会いたくなる人が確かにあるということは、素敵なことだと思う。​


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