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【小説】エルフの結婚 #2


 あたしは愕然とした。“紺碧の森”に入るまで、旅は極めて順調に進んでいた。近くの村まで向かう隊商の馬車に乗せてもらうことができたし、道中、賊や魔獣に襲われることもなかった。

 ここまでくれば、自分の故郷ホームだという、根拠のない油断があたしの感覚を破壊した。とっくの昔に捨てた森だということを、すっかり忘れていたのだ。

 ――迷った。

 あたしはこの森で方向感覚を失った経験というものがなかったから、とにかく混乱した。混乱した頭で、様々な言い訳を考えた挙句、最悪の事態さえ想像するに至った。
 このまま正しい道に戻れなければ――。背中を冷たい汗がつたう。

「嘘だろ。だって、あっちが川で、こう流れてたろ? それで、こっちから来て……ああ、だめだ。一回落ち着こう、あたし。な」

 大荷物を降ろし、そこに腰かけた。お気に入りの『水煙管飴ハブル・バブル・キャンディ』を取り出して口にくわえる。

「大丈夫、猟場に出て狩人に見つけてもらうか、それが無理なら、妖精を探して案内を頼めばいい。水も食糧もある」

 甘い薫りが、かすかに心を落ち着けると、今度は、式に間に合わなくなるかもしれないという不安の方が頭をよぎった。

 自分でこう言うのもなんだが、あたしは結構なシスター・コンプレックスだ。故郷に帰ることだって、こうして彼女に招かれなければ、考えに上りすらしなかっただろう。

 神様――と、思わず50年ぶりに祈ってしまった。こんなのあんまりだ。あたしにとって、妹は、たった1人の自慢の家族なんだぜ。

 あたしは頭を掻きむしって咆えた。

「ああ、もう、なんで迎えを頼まなかったんだ! ばか!」

【――森で煙を吐く不届きものが、どんな姿かと思ったが……】

 それに答えるように、茂みの中から突然声がした。あたしは驚いて、危うくパイプを取り落としそうになる。
 直後、草木をかき分けて、大きな獣の影が現れた。

 美しく輝く鬣の、大きな白い馬だった。その頭部からは、一本の長いらせん状の角が生えている。

【この森の一族のものではないか、なぜこんな場所にいる】

 今度こそ、あたしは顔面蒼白になった。森で迷った挙句、一角獣ユニコーンの生息域にまで踏み込んでしまうとは。
 彼らは賢いが、とにかく気難しく、怒ったときは容赦がない。無断で住処に侵入すれば、惨殺されることも十分考えられる。

 ところが、たどたどしく言い訳を並べ立てたあたしに対し、彼は驚くほど穏やかな口調で答えた。

【なるほど、状況は理解した。この森で生まれた縁あるものに、このまま死なれても眼ざめが悪い。よければ、里の近くまで乗せていくが、どうか?】

「……乗っていいの?」

 意外な提案にぽかんとしてしまった。ユニコーンの乗り手の資格といえば、当然真っ先に上がるのが『乙女』であろう。『美しい』とか『心清らか』とか、別に修辞句がくっつくことはあっても、これが外れることはめったにない。

 そしてもちろんのこと、あたしはその全てを満たしていなかった。

 実際、彼らは、人馬問わず、若いメスが近くにいるとき、非常におとなしくなるという。
 そのためユニコーンの繁殖には、若い牝馬が用いられる。しかし、普通の馬より一回り大きく、気性も荒い彼らとの交尾に耐えられず、命を落とす場合もままあるという。

 閑話休題。

 あたしが抱いていた疑念を見透かしてか、彼はため息をつくように低くいなないた。

【そもそも、それが誤解なのだ。いや、我々は歳若き乙女に確かに弱い。けれどもそれは、体内のマナの干渉が生む生態であって、本人の嗜好とはまったく異なる部分だ。背中に乗せて走りたいかどうかは、全き嗜好によるものであるからね】

 そう言って、やれやれというふうに首を振った。
 表情豊かな馬だこと。

【口すがないものは我らのことをセクハラ馬などと呼ぶが、まったくもって遺憾なことだ】

「じゃあ単に、多くの場合、乗せたがらないだけ?」

【か、どうかは、そのものの好みによるだろうね】

「え、何、あたしが好みなの?」

 ひょっとして口説かれてる? ユニコーンはちょっと照れたように視線をそらして、陶然と続けた。

【ふむ、なんたる不健康そうな身体のたるみ……見よ、胃腸と肌の調子も悪い……タバコとコーヒー、何より長旅のせいか汗の饐えたようなにおい……酒はやるかな? やるならもっと好いんだがなぁ……】

 あたしはちょっと身を引いた。やっぱりセクハラじゃないか。

「それ、仲間から、ちょっと変わってるって言われない?」

【何を言うか、個性の範疇である】

「って、言ってもさ、貞潔の象徴足るユニコーンが、ヤニの匂いに誘われて寄ってくるってのは……」

 あたしはちょっと言葉を探して視線をさまよわせた。

「――倒錯マニアック?」

格別コアと言え】

 こいつ、開き直りやがった。

 あたしは礼として、手持ちの酒の中で最も高級なものを選んで、背負い袋に入れて彼の首にかけた。目ざとく、荷物の中のその存在を嗅ぎつけられたからだ。

【いや、催促したようで悪いな。おっと、角に触れないように気をつけてくれ。たぶん、浄化してしまうのでね】

 そして、あたしが乗りやすいように姿勢を低くしてくれる。それでも、この短い脚でまたがるには、それなりに悪戦苦闘する必要があった。
 彼が立ち上がると、想像よりはるかに高く目線が持ち上がった。思わず、あたしははしゃぎ声をあげてしまう。

「わっ、わっ、わあっ」

【しっかり捕まっておれよ!】

 彼が駆けだした。森の中を、鞍も鐙もないにもかかわらず、上下に揺られるということがほとんどない。まるで空を飛んでいるかのようだ。
 とはいえはしゃげたのはそこまでで、直後にものすごい風圧と枝葉の襲撃にあい、あたしはとにかく、必死で背中にしがみつくことしかできなくなった。

 セクハラ馬の助けのおかげで、なんとかその日の昼には、故郷の里にたどり着くことができた。

 やつは里につく直前で、「だってエルフたちにお前みたいなのを乗せているのって噂されたら種族の沽券にかかわるし」などとあまりにも失礼な発言をして、少し離れた場所にあたしを降ろして去って行った。

 開き直りの足りんやつだ。

 とにもかくにも、到着したことに安堵し、実家を目指して歩き出した。こちらの場所はちゃんと覚えていて、ほっと胸をなでおろす。
 大木を利用した、おそろしく古い門構えは、あたしが出ていった時とまったく同じだった。

「あら、お帰りなさい。予定より早いですね」

 しばらく、家の前でぼーっとつっ立っていたあたしに、窓から母親が顔を出して声をかけてきた。顔立ち『だけ』は妹とそっくりで、数十年前からほとんど変わっていない。

「そんなところに立ってないで、早く入りなさい。長旅で疲れてるでしょう」

 意外にも、彼女はあたしをニコニコしながら迎え入れた。彼女との決別は、ほかの家族よりもずっと深刻だった記憶があるが、これが歳をとって丸くなるということだろうか。
 いや、油断しちゃだめだ。何を企んでいるか、分かったものじゃない。

「あなた……またずいぶんふくよかになりましたね。昔の服、入らないんじゃないですか?」

「平気、ちゃんと今のサイズの服持ってきたから」

 とりあえず水浴びを済ませ、お茶を淹れてもらって一息つくと、体面に座った母親が尋ねた。

「ガーディ、街の生活には慣れましたか?」

「いや、あたしが出てったの何十年前だと思ってんの」

「何十年前って、わりと最近じゃないですか」

 それから、あたしたちは世間話をつづけた。不思議なもので、二度と帰ってくるつもりのなかった故郷でも、旧友の近況や森の変化は懐かしく、興味深かった。
 しばらくして、ふと思いついたように、母親が切り出した。

「ところで……何かおみやげは?」

「……はあ?」

 あたしは愕然とした。すぐには言葉の意味が理解できなかった。

 『おみやげ』? おみやげってあのおみやげ?
 街の食べ物は『毒が入ってる』だの『マナが穢れる』だの、散々こきおろしてたあんたにあたしが『おみやげ』?

 もちろん妹の晴れの日のことだ。用意がないわけではない。
 大荷物のほとんどは、彼女への祝い品に買ってきた、自分では絶対に着ない系統のブランド服や、高級な菓子の詰め合わせだ。

 だけど、こいつにそれはもったいなさすぎるだろ。あたしは馬車で食べていた袋詰めの、揚げた小麦に砂糖をまぶしただけのシンプルな菓子を差し出した。

「……お菓子ならあるけど」

「それだけ? この大荷物はなんなんです」

 そう言って、なんとあたしの鞄の口に手をかけて、中を覗き込み始めた。

「あとは主役への贈り物!」

 あたしはびっくりして彼女を止めた。この図々しさはどうしたことだ?
 母は、昔から自分本位なところはあったが、それでも、優雅さや冷静さの仮面は絶対に外さない女性だった。

「ふうん、いいですけどね。じゃあ、あとで分けてもらお」

 そんなことを抜かすので、あたしは青くなってしまい、念を入れて忠告する。

「いいか、あの子がいらないって言っても、勝手に持ってくなよ。絶対あたしの許可をとってからにしろ。いいな」

 母親は「はいはい」と気のない返事をして、まだ未練がありそうな目で荷物を見てきた。

 なんだこりゃ、想定と違うぞ。

 あまりの事態に、身を縮めてお茶をすするしかなかった。そこだけはかつてと変わらない薬茶の香りが、少しだけ、あたしの気持ちを落ち着けた。

 妹が、式の準備で夜まで帰らないと言うので、手持無沙汰になったあたしは、森を少しばかりぶらつくことにした。森で道に迷ったことは、実はかなりショッキングなできごとだった。帰りの為にも、しっかり地理を確かめておこうと思ったのだ。
 明日の食事の料理を手伝おうかとも申し出たのだが、母親は難しい顔をして早々に戦力外通告をした。

 そりゃ忙しいよな。かまってらんないよな。
 別にいいもんね。

 森に入ってすぐ、あたしは一番会いたくない顔に出会って、思わず「げ」と口に出してしまった。向こうはまだ気づいていなかったので(狩人のくせににぶい奴だ)、知らんぷりすることもできたのだが、一応、明日の主役の1人である。

 コノワ、妹の結婚の相手、あたしの元・許嫁。

 あたしはちょっと迷った末、声をかけることにした。

「……よう」

 コノワは、もともと悪い目つきをさらにしかめて応答する。

「――ガードルート……うんざりするほど変わらんな」

 『根を守るものガードルート』、不似合い極まるあたしの名前。こいつは嫌がらせのようにそうやって呼び続ける。
 深く刻まれて戻らなくなった、眉間の皺も相変わらずだ。

 昔は明るい子で、笑顔も、女の子みたいでかわいかったのに。

「ん……いや、少し太ったか?」

「驚いた。お前、冗談言えるようになったのか」

「見たままを言ったまでだ」

 そう言って、あまりにも無遠慮に、あたしの全身をじろじろ眺めてくる。こいつ、少しは気を遣ったらどうだ。
 その上、あたしのぼろぼろの旅支度を見て、あきれたように言った。

「相も変わらずだらしのない奴だ。妹の結婚式くらい、ちゃんとした格好で来い」

「ドレスで旅ができるか。アホたれ。これからちゃんとするんだよ」

 生意気な野郎だ。あたしに惚れてたクセに。……いや、これはなんか未練がましい感じがして女々しいな?

 そこからもう2、3言、嫌味が返ってくるかと思ったが、意外にもコノワはすこし顔をほころばせて、握手を求めてきた。

「とにかく、遠いところをよく来てくれた」

 ……おかしい。想定していたパンチがこない。

 こいつら、何を勝手に武器を降ろしてくれてんだ? 「いやー、昔はいろいろあったよね。我々は大人になったけど、あなたは?」とでも言いたいのか?

 いや、違う違う。こいつのことは嫌いだが、今回に限ってはお祝いに来たのだ。おめでとうの一言でも言ってやらねば。
 ここで非武装の相手に襲い掛かっては、それこそ、あたしのモットーに反する。
 あたしはしかたなく握手に応じる。

「いや、遠かった。マジで。明日はなんかおもしろい芸見せろよ」

 曖昧に笑って、誰もいないところに向けてシャドーボクシングをするしかない。いや、あたしも大人になったもんだ。な?

 家の戸を開けると、すでに帰宅していた妹が驚いた表情で駆け寄ってきた。

「お姉ちゃん……!」

「スピカちゃん! 久しぶり!」

 自分の表情がぱっと明るくなるのが自分でわかった。スピカは、1枚の布を体に巻き付けたような伝統的な衣装を身に着けていて、50年前と変わらず美しかった。
 一方で、その表情にはどこか戸惑いの色が浮かんでいる。

「久しぶり。……来てくれるって、思わなかった」

「なんで!? 絶対来るよ! 本当におめでとう」

 あたしははしゃいで彼女にハグをした。ところが、妹はハグを返してはくれず、むしろつっけんどんに身体を押し戻した。

「……だって手紙も、全然返さないし」

 手痛い一言だった。実際、彼女からの手紙は毎月届くが、あたしがそれを返すのは年に1回、悪くすると数年おきのことだ。
 もちろんすべて熟読し、机のひきだしに大事にしまってある。ところが返事をしようと筆をとると、なんだか些末な内容しか浮かんでこず、妹の煌びやかな文才に比して自分の卑小さを恥じて断念することを繰り返してきたのだ。
 前に返事したのは、ええと……3年前?

「ああ……ウン、ごめん。でも、あたしが筆不精なの知ってるだろ」

「そうなの? てっきり、単に興味ないのかと思ってた」

「そんなわけ……ええと、ごめん」

 あれ、なんだか雲行きがあやしいぞ。……思ったよりも機嫌が悪い。

「結婚のこと、誰から聞いたの?」

 誰から聞いたの? その問いは予想しておらず、きょとんとする。

「えっと、招待状……」

「その、招待状はわたしが出したんです」

 母がおずおずと名乗り出た。あまりに意外な事実にあたしは絶句してしまう。
 妹が母親をきっとにらみつけた。どうして黙ってそういうことをするのだ。と言いたげな目だ。

「あなた、だって、ずうっと会いたがっていたのに、呼ばないなんて言うものですから」

「……忙しいみたいだったから」

 そういえば、前の手紙で、研究が忙しくて寝不足だ。というようなことを書いた気がする。
 余計なことばっかしやがって! あたしは過去の自分を殴りつけてやりたかった。甘えるな! お前の研究は少なくともあと3年、停滞するからな!

 妹はまだ憮然とした様子で、こちらに視線を向けようともしない。
 それをなだめるように、母親が彼女の髪をくるくると撫でた。

「そんなに気を使わなくていいんですよ。たった2人の姉妹じゃない。……ねえ?」

 同意を求められ、ぶんぶん頭を振って肯定する。
 しかし、この女にフォローされるほどの屈辱が他にあろうか。あたしは強く奥歯をかみしめた。

「来るってわかってたら、もっとわたし――」

 なおもまだ何か言いかける彼女を遮って、あたしは努めて明るい声で提案する。

「スピカ、疲れてない? 今日はもう休んで、明日に備えたら?」

「なんで!?」

 ものすごい食い気味で返事がきた。なんでって、ほら、なんかイライラしてるみたいだしさ。
 マリッジブルーってやつだよ。多分。

「久しぶりに会ったんだから、話したいよ……」

「ガーディは明日も泊っていくから、ね?」

 母親が言い聞かせるように言ったが、スピカはまだ納得していない様子でこちらを見た。

「だって、次いつ会えるかもわからないのに。……お姉ちゃんは? お姉ちゃんは、話したいことないの?」

「大丈夫だよ。式のあとでゆっくり話そう。今日は自分のことに集中しな?」

 そう言うと、彼女はしゅんとして顔を下げた。顔を真っ赤にして、目じりに興奮の涙をかすかに浮かべ、口を尖らせる。
 拗ねた顔もかわいいな、こいつ。

「……2人とも、子供あやすみたいに……やめてよ……」

「だって、それはさ、心配なんだよ。お姉ちゃんだから」

 あたしは本心から気遣った。やっぱり、今日の彼女はどこか取り乱して見える。
 式の前日の花嫁というのはこういう精神状態になるものなのだろう。よく知らないが。

 ところが、スピカは、冷徹に、鋭いカウンターを返してきた。

「……50年間、わたしのほうが心配してたってこと、わかってる?」

 今度はこっちが泣きそうになってしまった。あたしには、この子からのパンチが一番効くんだ。

 思わず助けを求めて母親の方を見てしまう。彼女は、妹の背中を叩きながら、本当に幼児のころにしか見せたことがない優しい微笑みを浮かべて、心配いらないというふうに首を振った。
 なお悔しいことに、あたしは、それで少し安心する。

 なんなんだ、クソッ!

>>エルフの結婚 (3)


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