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【小説】8.26 / Dream Match (2)【イーロン・マスクvsマーク・ザッカーバーグ】

2.

(どッ……)

 青年はリングサイドの最前列で、身を縮めるようにして座っていた。目線を左右にせわしなく動かしながら、額にびっしりと浮いた汗をシャツの袖でぬぐう。
 彼の勇気ある一言が稼いだ数秒の時間が、ネットの大海に起こったわずかなゆらぎを、目ざとい巨人インフルエンサーたちに発見させた。その手によって、一滴の波紋は津波ほどの大きさへと変わり、情報の潮流ストリームは瞬く間に世界中を駆け巡った。

 数分前まで無人だった東京ドームには人間がひしめいていた。有名ストリーマー、格闘チャンピオン、ニュースで見た政治家の姿もあった。彼らを差し置いて、青年はこの戦いの第一発見者として、最前列に座っている。リツイートポストの数字はすでに見たことがない桁に達していた。
 それでも、彼の内心では、承認欲求が満たされた歓びよりも、大事を成し遂げた達成感よりも、困惑のほうが勝った。

 ちらりと、右隣の席をうかがう。
 男が座っている。
 特徴的な眼鏡をかけた、年老いた男だ。老齢ではあるが、衰えてはいない。服の上からでも、鍛え上げられた肉体がわかる。シャツの襟から除く僧帽筋などは、肩にちっちゃいビルが建設されているようだ。
 男は名前を、ビル・ゲイツと言った。
 米Microsoftの創業者として、日本でもよく知られた人物だった。

 さらに、左手側から、一糸乱れぬ歩調で近づいてくる一団がある。大きい。そして速い。筋肉の鎧を纏った若い男たちだ。帽子を目深に被り、その表情はうかがい知れない。男たちは一様に、黄色いストライプが入った緑のシャツに身を包んでいる。
 ヤマト運輸の配送スタッフだ。
 4人の屈強な男たちが担ぐ豪奢な黄金の玉座には、スキンヘッドの巨漢が鎮座する。むき出しの前歯はすべて金歯であり、そこには"AtoZ"……すなわち"万物の掌握"を意味するAmazonのロゴが燦然と輝いていた。
 ロゴマークと同じ嘲笑を浮かべたこの男が、Amazon創設者、ジェフ・ベゾスであることは疑いようもない。

 ベゾスは、その巨体からは想像もできない身軽さで玉座から飛び降りる。ゲイツとは反対、青年の左側の席に腰を落とした。
「特等席で観戦とは、よい御身分ですな」
 青年の頭越しに、ゲイツに声をかける。それに対し、ゲイツは不敵な笑みで応えた。
「すでに日本政府の脳の7割はMicrosoft bingAIWindows 1985に置換している。この程度のは造作もないことだ」
 そう言って、ゲイツは手にしていた真っ赤な林檎を握りつぶし、溢れ出した果汁を喉に流し込んだ。

(ど~~~~なってんだッ!?)

 青年は両手で顔を覆う。2人の巨漢に挟まれ、さらに身を縮めた。これから自分は、ベゾスとゲイツに挟まれ、マスクとザッカーバーグの戦いを観戦するのか。あまりにも現実感のない状況にめまいがした。
 ほぼ同時に、客席から歓声が上がった。色とりどりのライトが明滅する。
 3人は身を乗り出し、ドームの中央に配置されたリングに視線を向けた。彼らだけではない。この世紀の一戦の行方をじかに確認すべく、ここに集った人々の全員がそこを注視した。
 同時に、ほぼ全員がスマートフォンをリングに向けた。発信した。TwitterXで、Threadsで、FaceBookで、Instegramで、YouTubeで、LINEで、TikTokで、Mixiで、あるいはnoteで。
 スマートフォンの明かりが会場を埋め尽くし、一つの銀河のようになる。
 歓声が上がる。
 リングに、男が降り立った。黒い柔術着に身を包み、最上級階位の紫と不可視光ウルトラヴァイオレットに次ぐブルーの帯を締めている。

 マーク・"スレイヤー"・ザッカーバーグ。
 身長190センチ、体重125キロ。

「え……?」
 次の瞬間、歓声がどよめきに変わった。暗い会場を照らすスマートフォンの光が浮かびあがり、宙を舞いながら、次々に姿を変えていくのだ。光は、花びら、蝶、シャボン玉、★マークになり、それが♥マークになり……最後は青い鳥の群れとなって、観客の頭上を飛び回った。
 それらすべてが、リングに立つザッカバーグの覇気が見せた幻視であった。メタバースの極意に到達した彼にとって、この会場の規模であれば、HMディスプレイMeta Questを用いずとも観客全員にVR映像を見せることなど容易い。
 そのことに徐々に気づき始めると、どよめきに変わった観客の声はより一層大きな喝采へと変わった。
 そして。
 もう1人。
 頭上の青い鳥が破裂する。悲嘆の囀りを残して、次々に爆散していく。ザッカーバーグの超宇宙メタバースに干渉し、VR映像を描き換えているものがいる。その巨体が花道を一息に駆ける。跳ぶ。トップロープを飛び越え、轟音を立ててリングに着地する。
 男は、マスクをしていた。
 顔全体を覆い隠す黒いマスクには、彼の愛する"X"の装飾が施されている。

 謎のSNS仮面、マスクド・X。
 身長210センチ、体重150キロ。

 男が頭上で両腕を交差させ、吠えた。

「エェーーーーーッックス!!!」

 次いで、同じポーズで観客たちが叫ぶ。

「エェーーーーーッックス!!!」

 マスクド・Xは満足したように身を起こし、ザッカーバーグと向き合った。大股で歩み寄る。
 ザッカーバーグも胴着を脱ぎ、その肉体美を衆目に晒しながら、近づいてく。
 息がかかるほどの距離で、2人が向かい合った。

「やれやれ、気楽なものだ」
 大はしゃぎする観客席の様子に、Xがため息をついた。
「叶うなら、この戦いはビジネスなしでしたかったとは思わんかね」

 ザッカーバーグは答えない。答えないことが肯定を意味していた。

 2人はそのまましばらく、向かい合ったまま動かない。客席がしん、と静まり返る。
 ここにきて怖気づいたのか? と思う。
 観客にはわからない。見ているだけのものは、ビジネスでないなら2人が戦う意味などないと思う。だが、違うのだ。違ったのだ。この2人にとってだけは。

「やろう、マーク」
「ああ」

 言葉はそれだけだった。
 ゴングはない。
 レフェリーもない。
 矢のような拳が、Xの顔面に突き刺さった。

3につづく

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


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