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【小説】グラディアトリクス #1

〔名〕
(1) 女性の剣闘士奴隷。グラディエイタの女性型。
(2) (主に平成六年以降の日本で)華美な装飾を施して、観客を楽しませる試合をする格闘競技者。多くの場合、女性か、二次性徴前の男児を訓練する。男の娘。

「現代風俗語辞典(2005年)」

 イセマルは男の娘だ。彼は、その言葉の正確な意味を知らない。
 だから、彼が自分をそのように認識し得るのは、自分を買ったオノキがそう仕向けるからだった。

 オノキは50代くらいの、灰色の口ひげを蓄えた日本人だ。背は高くないが、がっしりとした体格で、横幅はイセマルの三倍はある。手足は短く、白髪交じりの髪を、いつもたっぷりの整髪料で後ろに流していた。
 それでも、不潔な印象はなく、むしろ老犬のような鋭さと、優雅さを持っていた。

 イセマルは己の出自を知らない。物心ついた頃には、自慰を覚える代わりにAKを握らされていた。
 母親はどこからかかどわかされてきた娘で、きっと誰でもよかった。
 彼女をさらった人間も、かつては少年兵だった。父親は彼らのうちの誰かで、やはり誰でもよかった。

 いまさら誰もそんなこと、彼自身だって、気にしちゃいなかった。

 3年とちょっと前、イセマルはオノキに、1カートン分の紙巻き煙草と同じくらいの値段で買われた。
 そのころ彼はまだ小さな男の子で、名前はなかった。

「おまえは、今日から自由だ」

 最初にオノキはかがみこんで、彼の手を両掌で包み込んだ。その手は大きかったが、掌は柔らかかった。
 まっすぐにこちらを見て、一言ずつ、噛んで含めるように言う。

「だが当面、おれの言うことを、聞いてもらう。それが一番、おまえにとっても、いいことだと考えてそうする。いやなときは、『いやだ』と言え。いいな」

 言葉の意味をよく理解できないのか、男の子が何も答えないでいると、優しい声音でたしなめた。

「愛想よくしろ。よく笑え。おまえは、優しい人間になる」

 それで、ようやく「はい」という返事が返ってくる。

 返事を聞いて、オノキは彼に出来得る限りのやわらかい笑みを浮かべた。
 彼は社会悪で、法を犯すことにもためらいはなかったが、目の前の少年に、少しでも清潔そうに見られたい気持ちは別だった。

「さて……いろいろ話し合った末、おれは、おまえの名づけ親ゴッド・ファーザーを任命された。こういうことを、やったことはないが……いくつか、名案かもしれないアイデアはあるんだ。気に入らないときは、ちゃんと『いやだ』と言えよ。そうだな……」

 その日から、男の子はイセマルになった。

 イセマルになって、〈トーキョー・プライズリング〉の剣闘士男の娘になった。

>>グラディアトリクス (2)

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