【小説】グラディアトリクス #2
イセマルとその兄弟たちは、年かさの少年兵たちから”ねずみ”とあだ名された。
彼らの父親は別々だったが、母親は同じだった。
7匹のねずみのマザー、みんなのお気に入り。
美しく、強かで、おまけに名器。
けれど、子どもたちは彼女の顔も知らない。
イセマルは朝起きて顔を洗い、寝泊まりしている木賃宿の鏡を覗き込んだ。母親の顔を想像してみようにも、鱗模様に汚れきった鏡には、自分の顔さえまともに映らない。
そこに、兄弟の1人が、ふらふらと寄ってきて言った。
「なあ、今日は、おれに譲れよな」
イセマルより3つか4つ年上の彼は、前歯が数本なく、しゃべるとそこからしゅるしゅると息が漏れる。
「”耳っかけ”と、たばこ、賭けてンだ。いいだろ。どうせおまえは今週、ぶっちぎりなんだから」
それは、少年兵たちの遊びのことだった。彼らは戦闘のあと、何人殺したかを数えて競った。
誰かによっても点数が違って、子どもは1点、大人は2点、身ごもった女は3点だった。
もし、それが双子だったら? ついてる、4点だ!
競って手柄を上げようと思っているわけではなかった。点数が高かったところで、彼らの給料は、もう半年以上支払われていない。
よっぽど使えないウスノロなら、無謀な仕事に回されてあっけなく死ぬことになるだろうが、イセマルに限っては、大人たちの『ご機嫌とり』も得意だった。
だから、本当にこれは、ただの遊びにすぎない。
多くの場合、勝つのはイセマルだ。彼はすばしこく、状況の変化に敏感で、他の殺しのうまい、勇敢な兄弟たちよりも長生きだった。
その日、仕事を言いつけられたときも、首の後ろがむずむずするような、妙な予感がしていた。
ホテルの1室に行って、部屋にいる全員を殺す。内容はそれだけだった。
ただ、命令した大人の兵士の――とはいえ、彼も若いごろつきだが。――顔に、にやにやとした嫌らしい笑いが浮かんでいた。
「いいか、全員だからな」
彼は、わざとらしく念を押した。
◆
ホテルの名前を確認すると、それで得心がいった。
そこは、ねずみの『生物学上の父親たち』が屯する場所で、さらに言うなら、彼らがさらってきた女の子たちと、『結婚生活』を送る部屋だった。
用済みになったか、やりすぎたか。つまりは、父殺しを命じられたのだ。
彼の兄弟たちもうすうすそれに、気づいていた。目くばせや、ひそひそ話が、いつもより多い。
だけども結局、嫌がったり、嘆いたりできる子は1人もいなかった。
イセマルも同じだった。もともと不満もなかった。
ファーザーたちは、その全員が、子どもと妻は自分たちの所有物で、どのような扱いをしてもいいという考えを共有していたので、ねずみはみんな、彼らことが嫌いだった。
ねずみたちはいつもより少しだけそわそわしながら、いつもどおり銃をおなかに隠して、いつもどおり身を低くしながら大通りを駆け抜けた。
ホテルの中に入ると、すばやく散開して、大人に見とがめられないようにばらばらに標的の部屋を目指した。
イセマルが部屋にたどり着いたときには、すでにドアが開いていて、ファーザーの1人の死体が転がっていた。
浴室の方から、浮かれた”歯なし”の宣言が聞こえる。
「2点だ!」
直後、反撃と思われる銃声と、”歯なし”の悲鳴が続いた。
あちこちで撃ちあいの音がした。今日は特にむちゃくちゃだ。とイセマルは思った。
イセマルは何人かを伴って、部屋の奥へと向かった。
一番奥の部屋で、あわてて引き出しを開けている1人目の太ももを撃った。
窓から逃げ出そうとしている2人目の背中を撃つと、そのまま真っ逆さまに落ちていった。通りから悲鳴があがる。
1人目にとどめをさし、今まさにズボンを上げ終わったばかりの3人目の頭を撃ちぬいた。
あたりが静かになる。いつの間にか、他の銃声も止んでいた。
イセマルは、最後に残った1人に銃を向ける。
――女だ。
――ファーザーじゃない。
彼女は、ベッドの上に、かすかに上体を起こすようにして横たわっていた。
そのうつろな目が、こちらを見た。
顔は痩せて、生気を失っていたが、イセマルと同じ黒髪の、美しい娘だった。
小麦色の肌と、大きなアーモンド形の眼も、そっくりだった。
女性が何かを言う前に、銃声がした。
少年兵の1人が引き金を引いた。それがイセマルだった。
誰でもよかった。だが一番最初に引き金を引いたのは彼だった。
目が合ったとたん、ほとんど反射的に動いていた。
マザーは頭部を撃ち抜かれて、一度だけ痙攣したあと動かなくなった。
イセマルはすぐさま、ベッドの中と下の、見えない場所に向けてさらに数回発砲した。
それから注意深く近づき、ぼろぼろの毛布を引きはがして死体を確認した。
マザーは衣服は何も身に着けておらず、腹には無数の傷痕があった。
そこで、あることに気付いて、「あ」と思わず声を上げた。
(――3点)
その瞬間、イセマルは鼻の奥を熱い息が通り抜けるのを感じた。
涙が出るのかと思い、あわてて、他の子どもたちに見られないように顔をそむけた。
どんなことを言われて、からかわれるのかしれない。
しかし、銃の反動がしびれとなって体を内側から震わせるうち、熱はみるみる失われ、涙は流れる前に乾いてしまった。
イセマルは代わりに、すぴすぴと鼻を鳴らした。
口の中に行き場を失った粘つきが残っている気がして、舌を動かして舐めとろうとした。
唾を飲み下すと、それだけで、ほんとうにあっけなく、湧き上がった感情の昂ぶりは凪いだように静まり、残ったはずのものは、きれいさっぱりなくなってしまった。
(3点だ)
イセマルは口の中でつぶやいた。
それだけのことだった。
◆
彼らに襲撃を命じた兵隊がマフィアに吹っ飛ばされて、ばらばらになって死んだと聞かされたのは、その翌日のことだった。
ねずみたちは住処を失い、ほとんどが、そのままマフィアの下働きになった。
その中で、イセマルだけが、オノキに買い取られ、彼の剣闘士になった。
それはきっと誰でもよかった。
しかし、彼だった。
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