【小説】エルフの結婚 #序
「結婚式だ! 結婚式!」
「結婚式だよ! ドワーフのヨームと、エルフのロブの結婚式!」
朝、早足族の双子が、伝令のように街中を駆けた。一日の準備をはじめていた人々が、それを聞いて窓から身を乗り出す。
「ついに覚悟を決めたか、あのたらし男」
ちょうど、店の前を掃除していた酒場の店主がにやりと笑って、丁稚の小僧に大きな声で指示を飛ばす。
「おい、今日は祝いだ! 一番いい酒を出せ!」
◆
広場はすでに大盛況だった。いくつものテントが張られ、その下に、様々な種類の料理がところ狭しと並べられている。
「父さん、あれどこにあったかな。ホラ、あのもらいもののストール。花嫁に似合うと思うんだ」
あわてて祝い品の物色をするドワーフの夫婦がいる。
「ロブくんとは学園の同級生でね。当時から彼はよくモテたよ。ワシと同じくらいね」
噴水のへりに腰かけた人間の老魔術師が,婦人たちと昔話に花を咲かせている。
「やあ、お祝いに持ってきたよ! とれとれのムササビマス、どこか捌ける場所はあるかい?」
有鱗族の漁師が2mはあろうかという大きな魚を抱えて現れ、群衆がわっと沸いた。
そんな宴の喧騒からやや離れた場所に、その日の主役はいた。
エルフのロブは、鍛えられた長身の、いかにも伊達男といった風体で、白いタキシード姿だった。あごひげを蓄え、長い銀髪を後ろにまとめている。
ドワーフのヨームは、彼の念願であった純白のドレスに身を包んでいた。種族のシンボルともいえるひげはきれいに剃り上げられて、年齢よりもはるかに若く見える。
「兄さん、肌きれいね。あたし、ひげ濃くて……。嫌になるよね。ぜったい、お父さんの血だわ」
若いドワーフの娘が、兄の晴れ姿をうっとりと眺めながら言った。
ヨームは、くすぐったそうに笑って、妹の賛辞に応える。
「いいクリームがあるんだ。こんど送るよ」
「母さん。やっぱあたし、結婚してもひげ伸ばしたくないよ」
「もう、あんたたちの好きにしたらいいじゃない」
我が子の会話に、2人の母親はすっかりあきれ果てたという声を上げた。
既婚のドワーフ女性は、ひげを伸ばし、工場を離れ、家庭に専念するのが美徳とされてきた。彼女も結婚してから、自宅から遠く離れるということは、今日まで一度もなかった。
けれど、この街には、彼女の価値観からしてみればあまりにはしたない、美しく髭を編み込んだ若い女性や、逆に髭をつるつるに剃った男性が、あちらこちらに歩いていた。
それだけではない。結婚式だと聞いてきたのに、儀礼的なものは何一つなく、やってきた人々が、2人に祝いの言葉を1言述べて、勝手に宴会に混じりはじめる。何かしら祝いの品を持ってくるが、その内容も千差万別で、まったく価値を見出せないものも混じっている。
あまりにも多種多様な種族が、思い思いの肴や酒を持ち寄って、広場中にひしめいていた。中には、2人が会ったことすらない旅人もいるという。
「広場じゅう、仮装大会みたい。目が回っちゃうわ……」
ヨームの母は黒いつやつやの髭を手ですきながら、あたりを見回して嘆息する。
「驚いたけど、これがこの街なのね」
その言葉に、ヨームとロブはにっこり笑って頷いた。
だが、直後、花嫁の明るかった表情がわずかに曇る。
「父さんはやっぱり、来てくれなかった?」
彼の父は、きわめて典型的なドワーフの男性だった。頑固で職人気質、弱みを見せたがらず、エルフ全体に敵愾心を板いている。
2人の交際には再三反対の意を表明しており、何度か挨拶に行こうとしたロブも、そのたびにハンマーを投げつけられて逃げ帰ってきた。
母親は、困ったように腕を組み、息子を元気づけようとあえて明るく振る回った。
「いいえ、宿にいるわ。無理やりひっぱってきたの! 大丈夫よ、あとでわたしも一緒に……」
言いかけたところで、のそのそと近づいてくる人影に気づく。
片足を引きずるようにしてゆっくりと歩いてきたのは、白い髭を地面に届かんばかりに伸ばした、ドワーフの老人だった。
「……この街は、どこへ行っても騒がしいな」
「……父さん」
ヨームにとっても、数年ぶりの再会だった。思わず緊張に息を飲む。一方のロブは、緊張感のない、明るくオーバーなしぐさで、なれなれしく話しかけた。
「ええ、そうなの!? はじめまして、ロブです。息子さんとは……」
「ああ、知ってる」
次の瞬間、それまでの動きからは想像もつかないような速度で、父親が動いた。腕の筋肉が膨れ上がり、はるか頭上にあるロブの顔面に向かって、腰の入ったパンチが叩きこまれる。
大きな拳がぶつかる寸前、古い銅製のお盆が花婿の顔面の前に差し込まれた。お盆を構えるヨームの腕も2倍近い太さに膨らみ、父親のパンチを受け止める。
それでも、勢いを殺しきれずに、ロブはきりもみ回転しながらすっ飛んでいき、テントの1つに突っ込んで転がった。
「……幸せにな」
父親はそれだけ言ってきびすを返し、またのそのそと足を引きずりながら帰っていく。
「ちょっとお父さん! もう、何やってんの……」
母親が抗議の声を上げてその後を追った。吹っ飛ばされたロブに、ヨームが慌てて駆け寄り、垂れた鼻血を拭き取りながら無事を確認する。
「大丈夫? ロブ、怪我してない?」
「あ、ああ……驚いたけど……」
ロブは顔をぶんぶん振って、応えた。まだ目の周りに火花が飛んでいるが、日々の鍛錬の甲斐あってか、もしくはお盆ガードのおかげか、もしくは多少の手加減があったのか、ダメージはほとんどなかった。
それでも気まずげな顔を向ける花嫁の頭を抱いて、彼らしい気の抜けた笑いを浮かべて、あっけらかんと言った。
「素敵な家族だね」
本心からの言葉だった。彼は忌み児で、両親が死んでからは、ずっと1人で生きてきた。ヨームに、こうやって気遣い、最後には認めてくれる家族がいることが、本当にうれしかった。
ヨームが両手で顔を抑えて、泣きそうな声になりながら、噛みしめるようにして言った。
「うん、こんな幸せあるんだ」
◆
「先輩、せんぱーい」
両手に紙袋をつまみながら、スヴェンは足でアパートの扉を開けた。大きな声で、朝に弱いルームメイトに呼びかける。
「せんぱ――あ、起きてる」
リビングの椅子に、下着に白衣を羽織っただけの姿のガーディがぼーっと座っていた。起きたばかりなのか、緩慢な動作でこちらに顔を向け、眠たげに唸り声で返事をする。
「先輩、朝ごはん食べました? 広場で結婚式やってたんで、ちょっともらってきましたよ。……ていうか、もうほぼお昼ですけど」
「……ああ、うん。まだだ。ありがと」
ガーディはかろうじて応答はするものの、どこか上の空な様子だった。
スヴェンは、その眼の下に隈が落ちていることに気づいた。彼女は研究が思うように進まず、そのせいかここのところ寝つきがよくないのだとたびたびぼやいていた。
「――ひょっとして、あの後、結構起きてました? まだ、よく眠れないんですか?」
今朝自分が起きてシャワーを浴びたとき、彼女はまだ布団にしがみついて寝ていたが、あれも、長い奮闘の末ようやく浅い眠りについたところだったのではないか。
「……寝たよ。少しね」
そう言いながらも、1つ大あくびをした。
と同時に、ガーディの腹がかわいらしい音で鳴った。
彼女は特に恥じらう様子もなく、無言で立ち上がった。長身の多いエルフの中では、彼女は例外的に極めて背が低く、スヴェンの胸元あたりまでしかない。
「ごはんにしよう。コーヒー淹れるよ。お前も飲むだろ」
長い白衣を引きずって、柄杓鍋を手に厨房の方に歩き出した。
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