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【小説】グラディアトリクス #4
イセマルはそれから3度、〈舞台〉に上がり、すべての試合に勝った。
とはいえ、最初の2戦の観客の反応はいまいちで、お世辞にもうまくやったとは言えない結果だった。
1度めは早く倒しすぎ、2度めはうまく力加減ができずに打たれすぎてしまった。
会場はしらけ、まばらな拍手がおざなりに響いた。イセマルはそれを少しみじめに思いながら、早足で逃げるようにして〈舞台〉を降りた。
〈プライスリング〉では、大技の隙を見逃したり、わざと技を受けて大げさに吹っ飛んだりするタイミングがあって、彼はそれをうまくつかむことができなかった。
「彼はここの流儀と合わない」と、批評家きどりの観客が指摘した。それはおおむね適格な値付けだと思った。
「よくやった。だが、もっとうまくやれたな」
試合のあと、オノキはきまってイセマルをねぎらってから、言った。
「失敗はおまえの得難き教師だ。そこからさまざまなことを学べ」
オノキは腫れたイセマルの顔に冷たいタオルを押し当てながら、怒るでもなく、淡々と、試合のいいところと悪いところを指摘していった。
そして、必ずこう締めくくった。
「だが、人間の成長には、成功こそが不可欠だ。学ぶだけで終わらず、失敗を、乗り越えろ」
◆
2度の失敗で、オノキは試合を組むのにずいぶん難儀するようになったようだった。あちこちに電話をかけ、怒り狂いながら乱暴に受話器を置く姿を何度か見た。
結局、しばらくの間、トレーニングは続けながらも、暇を持て余す時間が続いた。
通い始めた学校は夏休みで、その日、イセマルはチューブ入りのアイスを吸い、ランニングシャツとショート・パンツ姿でソファーに寝そべっていた。
すばらしく新鮮な、心地良い暇な時間を満喫していたところ、オノキが彼をよびつけて、気まずそうに切り出した。
「次の試合が決まった。決まったが……」
彼にしては珍しい、歯切れの悪い物言いだった。
「相手を見て、闘いたくないと思ったなら、試合の直前でも、途中だって構わん。『いやだ』と言えよ」
そう言って、相手の映像を見せた。
イセマルよりもかなり長身で、鍛えられた肉体をしていた。
おまけに、見るからに粗暴で、意地が悪く、人をいたぶることを楽しんでいた。かつてのファーザーたちの顔と重なり、むかむかとした。
「おれが怖気づくって? できたら、やめてほしいって言い方だ」
指摘すると、いや、そんなことはない。ともごもごと言いながら、真っ赤になった額の汗をぬぐった。
「しかし、明らかなミスマッチだ。相手は強いぞ」
イセマルは口をとがらせて、鼻を鳴らした。
(うろたえるオノキを見るのは、おもしろい)
興味のないふりをして、奥歯でアイスの袋を噛み潰しながら思う。
(けど、よその犬を褒められるのは、おもしろくない)
その日から、イセマルは一層、訓練に打ち込むようになった。
通常のトレーニングに加え、相手の映像を何度も見て、研究をする。
縦拳を鋭く撃つ速い動きと、ディフェンスのゆったりした動きが同居している。ケンポーの何かだと思った。
均整の取れた肉体の上の顔には、威圧的な化粧が施され、特に豪奢な装飾品とドレスにマッチして、冷徹な女王のような雰囲気がある。
試合で優位に立つと、その美しく、高貴な横顔が、ときたま、嗜虐の喜びで下品ににやついた。
(嫌いな顔だ)
映像を見るたびに、この顔を殴るのは気分がいいかもしれない。と思った。
◆
試合の当日、オノキは自分の馬の仕上がりに太鼓判を押しながらも、まだ不安げな表情を浮かべていた。
その日すでに行われた2つの試合では、ともに流血があり、会場は異様な熱気で包まれていた。
「今日の観客は、少し、アクシデントを望んでいる。審判もそれを分かっている。アンフェアな戦いになるだろう」
声を潜めるようにしてオノキが言った。そしておきまりの文句を続ける。
「いいか、イセマル、闘いたくないと思ったら――」
それを遮って、イセマルは言い放つ。
オノキは、イセマルが大けがを負うことをひどく恐れているようだったが、彼が言うように途中で〈舞台〉から逃げるような真似はぜったいにすまいと心に決めていた。
「『いやだ』ね。おれは、ぜったいに逃げない」
オノキがまだ何か言ったが、試合開始の鐘と、同時に響いた歓声にかき消された。
◆
そして、彼は勝った。
今度はうまく加減ができたかと言うと、そうではなく、むしろかつてないほどイセマルは全力で戦った。
一方、相手には油断があり、本気になってからは頭に血が上っていた。
おかげでイセマルはたっぷり時間をかけて、相手の脅威をアピールしたうえで、鮮やかな逆転勝ちを決める形になった。
何分間もイセマルを追いかけまわしてへとへとになった相手の顔に、カウンターの鉄槌打ちが深々と突き刺さった。
相手はその場に膝をついて、ぶんぶんと頭を振った。
白い床に、真っ赤な血がぼたぼたと落ちる。
審判が鐘を鳴らし、試合を止めた。
それと同時に、かつて味わったことのないほどの歓声にイセマルは包まれた。
判官びいきの客だけではない。彼らは、小さな体で相手の懐に潜り込み、徹底して距離を支配した技術と勇気を賞賛した。
拍手の鳴り響く花道を、オノキに肩車された状態で歩きながら、イセマルは師にたずねた。
「オノキ、満足か?」
「ああ、大満足だ。おまえは?」
「おれ?」
「自分よりでかい奴をやっつけて、すっきりしたか? 褒められて、うれしい気持ちになったか?」
そう言われて、イセマルは自分の気持ちについて考えて、首を傾げた。
〈舞台〉に上がるまでは、確かに、嫌いな顔だとか、とっちめてやろうとか、思っていたのに、終わってみれば、特段、何の感慨もわいてこない。
勝つだけなら、痛めつけるだけならもっと簡単にできた。
うれしいのかも、うれしくないのかも、わからない。
ただ、周りの様子から、期待された役目を果たしたのだという感覚だけはあった。
イセマルがぼうっと、何も答えないでいると、オノキは顔をしかめた。
「自分の心ににぶくなるな。エキサイトしろ。おまえは自由だ」
「自由?」
「そうだ。おまえは若い。望むなら、どこにでも行ける。新しい、遠くの、知らない場所にも。どこへでも」
「――それはうそだ。おれはどこにも行けやしない」
イセマルはぴしゃりと言い放った。声にはむなしい確信があった。
「あんたはそれを知っている。知っていてうそをついている。きたない、ずるいやり方だ」
オノキがかがんで、誰もいない通路にイセマルを下ろした。
コンクリート打ちの通路は暗く、会場からかすかな歓声が聞こえるほかは、他の誰の気配もない。
肩の出たドレスを着ていたイシマルは、寒さにかすかに身を震わせた。
「ほんとうさ。いずれお前は、自分で自分に気づく」
微笑み、髪をなでようと手を持ち上げる。イセマルはそれを乱暴に払い落とした。
「おれが正しくても、あんたが正しくても、いいか?」
腹の肉に人差し指を突き刺しながら、宣言する。
「体格にものを言わせて、ひとの頭を上から撫でるのは、フェアじゃない」
オノキが大口を開けて笑ったので、イセマルはますます不機嫌になった。
◆
そのあとすぐ、5度めの試合が決まった。
イセマルにとっては初めての、相手から指名されてのことだった。
相手の名前を聞いたとき、オノキは飛び跳ねて喜び、逃げ回るイセマルを捕まえてハグをした。
一番人気の男の娘だった。彼は勝つときも敗けるときも、決して観客を落胆させなかった。
イセマルよりも2つ年上の少年で、学校でも、会場でも、何度か見かけたことがある。
化粧を落とすと、すらりとした普通の男の子だが、〈舞台〉の上での彼は、妖艶ですらあった。
〈プライズリング〉に、明確なチャンピオンはいない。〈舞台〉に上がることそのものが名誉であり、勇者の証明だからだ。
けれど、誰が王者かという議論をすれば、誰もがその名前を挙げるだろう。
1番強く、1番賢く、1番美しい。
もちろんオノキも、彼の熱狂的な大ファンの1人だった。
「これはすごいことだぞ」
興奮冷めやらぬ様子で、オノキがはしゃいだ。次はサインでもねだってきそうな勢いだ。
「胸を借りる気持ちで、頑張ってこい」
そう言って、イセマルの背中をばしばしと叩いた。
オノキがよその犬に夢中になるのは、いつものことだが、やはりおもしろくはない。
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