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色違いのカルボウが産まれた

ポケットモンスターの最新作、スカーレット/バイオレットからの新しいポケモンの中に、カルボウというポケモンがいる。 


今作では「ポケモンが集団で暮らしている」ような表現があり、ポケモンが群れのボスや親のように、その進化前のポケモンたちを引き連れていたりする様子が頻繁に見られる。

だが、カルボウたちは孤独だ。彼らの出現場所は大変広範囲で、かつ出現確率は極端に低いことからもその境遇が窺える。カルボウは技も能力も強くないポケモンだが、彼らは誰にも守られることなく、広大な大地で散り散りに生きているのだ。

何故そのような生態なのかはポケモン図鑑にて説明されている。

焼けた 木炭に 命が 宿り ポケモンになった。
燃える 闘志で 強敵にも 戦いを 挑む。

スカーレットバージョンより

そう、彼らは親もなくこの世に来たのだ。産まれた時からひとりぽっちで、群れを成すポケモンたちによって作られたあらゆる生態系の中を、その小さな身体ひとつで生き抜いていく。それがカルボウというポケモンなのである。

小さな採掘の町にて

カルボウは特別なアイテムによって進化する。「いわくつき」と渡されるそのアイテムの名前は「イワイノヨロイ」と「ノロイノヨロイ」だ。

イワイノヨロイは武勲を上げた戦士の鎧だという。このアイテムを使うと、炎とエスパーの複合タイプのグレンアルマというポケモンに進化する。

公式サイトより


図鑑によると忠誠心が高い性格とあり、連れ歩きモードにすると、まるで盾になるかのようにトレーナーの前方に立ってくれる。

一方「ノロイノヨロイ」は、怨念の染みついた古い鎧、と抽象的な表現がされている。これを使うと、炎とゴースト複合タイプのソウブレイズというポケモンに進化する。両腕はそのまま剣の形をしており、図鑑によると、その炎の剣は志半ばで力つきた剣士の怨念で燃えているのだという。

公式サイトより


ちなみにソウブレイズを連れ歩くと、トレーナーの後ろ側にまわりこみ、背中合わせのように立ち構える。こうした対比の表現もオタクの私はとても好きだ。

進化に必要な鎧たちの説明をアイテム欄から見ると、それぞれ「祝いの感情」・「呪いの感情」が込められている、と書かれている。その鎧の経歴ではなく、何故だか込められたらしい感情がアイテム名になっているのだ。いわくつきとされるのも頷ける。

孤独に生きてきたカルボウたちは、感情を注がれたという尋常ではない鎧を纏い、その精神性すらも影響されるように強く進化するのだ。確かにそれは彼らだけが受けられる祝福であり、呪いである。


そんな設定のカルボウだが、彼らは「タマゴ未発見グループ」というタマゴを産めない種族……ではなく、交配すると他のポケモンと同じようにタマゴを産む。木炭に宿る命とタマゴから産まれる命、だいぶ違うように思えるが、ここで「タマゴ技」と呼ばれる特別な技について少し触れたい。

タマゴ技は「遺伝技」とも呼ばれる。レベルアップや技マシンで覚えることはなく、片方でも親がその技を覚えていると子供もそれを引き継いで産まれるシステムだからだ。
カルボウの覚える遺伝技は少なく、

  • かなしばり

  • うらみ

  • みちづれ

の3つのみである。彼らはその殻を破った時から怨念を背負うように産まれてくるのであろうか…とつい想像してしまう。

ポケモンの中に見られるこうした闇のある設定にもファンは多く、例に漏れず私もカルボウを愛さずにはいられない。彼らは一体どこからやってきたのだろう。計り知れない心の内を持ちながらもその炎と闘志を燃やし、懸命に生きるのは何故だろう。


私と同じように、カルボウに思いを馳せる人間はゲーム内にもいたようだ。学校のエントランスを兼ねた図書館の3階には、「カルボウのぼうけん」という子供向けらしき本がある。

その物語でカルボウは強い敵に果敢に立ち向かうが、相手の攻撃によってピンチに陥ってしまう。やられてしまうかというその時、どこからともなく声が聞こえてくる。

「きみには2つの未来が見える!2つのヨロイから1つを選んで、変身してあいつをやっつけて!」

そして目の前に2つの鎧が現れて、カルボウはいったいどうなるのか……続く。という内容である。要するにカルボウの特殊進化についてのヒントなわけだが、私はオタクなのでもう少し深読みしていきたい。


ポケモン図鑑において、あくまで推測や言い伝えでしかない情報は「~と考えられている」等の表現がされる。その点から察するに、図鑑説明としては両バージョンともにカルボウの生態は明らかにされているものと言える。
あるいは推測と書くまでもなく、遙かむかし木炭に命が宿ってカルボウというポケモンになったとさ……なんで御伽話がパルデアに根付いているのかもしれないが、それも生態や進化に関する研究がされた上であろう。そうでなければ逆に本の方が存在し得ない。

ただ、本の主人公のカルボウに暗い影はなく、彼は正義の勇者として描かれている。そして2つの鎧…つまり祝福と呪いの2択を迫られるが、それを選ぶのもまた彼自身だ。

カルボウについて詳しく知った後に再びその本を読むと、著者の優しい思いが込められているようで胸にじんときてしまう。彼らが産まれてきたこと、闘い生きること、鎧を纏い強くなること……この本はそれを肯定する祈りなのではないか、と感じるのだ。
彼らはきっと悲しいだけの生き物ではないはずだと願った人がいた、それだけでも救われるような気持ちになる。その本も著者も実在しないけれど、というかカルボウは実在しないんだけど、この世界ではそういうことなのだ。


ところでこの記事はただの日記なのだが、昨日インターネットの友人にカルボウを渡すために数個だけタマゴを孵化させたら、なんと偶然カルボウの色違いが産まれた。調べるとその際の私の孵化条件で色違いポケモンの生まれる確率は約2000分の1であり、まさに奇跡的な出来事だった。

興奮の余り何故かスマホのカメラで撮影している


私は色違いにこだわってはいないし、そのために何か努力したわけでもない。ただ私は歴代のポケモンを全てやってきて初めて、タマゴで色違いが産まれる瞬間を見た。光輝くエフェクトと共に、瞳が青く燃える子が産まれてきた。なんて美しい炎だろう、なんて可愛い子だろう…としばらく興奮がおさまらなかった。

カルボウ系統の色違いは、瞳の炎の色だけが違う

自分で捕獲をした場合でもそうだが、タマゴで産まれてきた子は、「親」がプレイヤーの名前になる。私の子なのだ。

親名が表示された画面を見ると、生まれてきてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいになる。奇跡的に産まれたこの色違いカルボウも、そして色違いでない他のカルボウたちも、カルボウ以外のポケモンも皆そうだ。出会いたいと願った私の元に来てくれたデータ上の命たち。私はこの尊さが好きだからポケモンというゲームを愛している。

夜が似合う彼ら

こうして産まれてきた色違いカルボウだが、私には一緒に旅をしてきたソウブレイズがいる。彼は私のパーティの中でも唯一「相棒の証」という特別な肩書きを持つ思い入れのある子だ。色違いだからそっちを使おうとは思わないので、使いたいと言ってくれた人に里親に出す約束をした。きっと大切に可愛がってもらえるだろう。


これは今日初めて知ったことだが、カルボウを連れ歩きモードにすると、せわしなくトレーナーの周りをくるくると走りまわり、時折楽しそうにジャンプをする。貴重な色違いを写真に残そうとカメラを向けても、こちらのことなんてお構い無しでちっとも止まりやしない。なんていいゲームなんだろう、と改めてしみじみ思った。


だちこ

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