見出し画像

『ダブドリ Vol.3』 インタビュー05 寺園脩斗(BLACKTOP)

2018年5月31日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.3』(ダブドリ:旧旺史社)より、寺園脩斗選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行当時のものです。

東海大学から九州電力を経てストリートで戦う寺園選手が、これまでのバスケ人生、そして彼が見据えるこれからの目標について語ります。インタビュアーは寺園選手のトレーナー、マーク貝島氏とダブドリカメラマンの石川元

小6のとき、アウトナンバーで親が思ってた方向とは逆に自分がパス出してレイアップに行ったんです。それから親に何も言われなくなりました。

石川 今日は、よろしくお願いします。
寺園 お願いします。
石川 まずは、バスケットボールを始めたきっかけからいきましょう。
寺園 バスケットボール始めたきっかけは、親がバスケの指導者だからですね。
石川 指導者というと、学校の先生?
寺園 はい。中学校で教えてて。その影響もあって、何かこう、バスケに触れる機会が多くてやり始めた。
石川 部活の顧問ということ?
寺園 そうです。部活の顧問です、中学の。
石川 へえ。小学生の頃から始めたの?
寺園 小1の5月ぐらいです。
石川 どんなプレーヤーだったの? 小学生のときは。
寺園 小学校も結構、親がスパルタ系っていうか、相当怖かったんで。まぁ、やらされ感マックスの選手で。
石川 あぁ、そっか。ちなみに小学生のときのチームは強かったの?
寺園 小6のときは全国準優勝までは行きました。
石川 おぉ、すごい。チームメートにも恵まれてっていう感じ?
寺園 恵まれたっちゃ恵まれたんですけど、ちっちゃいんすよね、周りが。チーム全員で平均身長145㎝ぐらいでした。
石川 アハハ、そんときの身長が、いまいちピンと来ないので分かんないけど。まあ、多分ちっちゃいよね。160㎝台とかいるもんね。
寺園 あ、います、います。全国大会決勝は、全員160㎝台みたいな感じ。俺、その当時138㎝で。だからもう、中学生とやってるみたいな感じで、ボコボコにされましたよ。
石川 決勝で負けたってこと?
寺園 決勝ではずっとフェイスガードされて。それで、もうダメでしたね。
石川 ほとんど自分で点、取ってたの?
寺園 そうです。ほとんど点、取ってましたね。シュート落とす気しないすもん。
石川 小学生の頃から?
寺園 小学生のときは一番、落とす気しなかったです。もう、相当打ち込んでて、あのとき。
石川 じゃあ、外を主体で攻めてたってこと?
寺園 外が主体です。
石川 へえ。で、中学に上がったんだ。中学も普通に何の迷いもなく。
寺園 中学は、延岡学園高校(宮崎県)の小中高一貫校で尚学館中ってあるんですけど、そこに呼ばれて。で、中学生が高校生と練習するんです。そういう環境がそこしかなくて、「あっ、いいな」と思って。高校生とできるなら行こうと思って行きました。
石川 じゃあ、環境もいいし、そこにしようと。
寺園 はい。全国優勝したメンバーとやるか、そっちに行って自分を磨くかで。
石川 え? その全国優勝した人は、みんな同じ中学に入るの?
寺園 ほとんど同じ中学に行ってますね。で、自分は離れてそっちを選んで。そこからは寮生活です。
石川 親は別にそれでいいって?
寺園 おまえの人生だから、って感じで。
石川 でもスパルタなんでしょう?
寺園 小学生のときは、本当に怖かったです。
石川 じゃあ、高校もそのまんま行って。
寺園 はい、そのまんま上がったんで。
石川 高校じゃあ、いつぐらいから世間に名前が出始めた?
寺園 高校のウインターカップで、自分が高2(2011年)のとき、礼生(ベンドラメ礼生。現サンロッカーズ渋谷)さんとか飛竜(岡本飛竜。現島根スサノオマジック)さんとかが1つ上ですね。上の代のときは、試合、全然出れなくて。で、高3(2012年)でなんかこう、バンバ(ジュフ・バンバ。現川崎ブレイブサンダース)と一緒に点を取ってたやつみたいな感じで。
石川 あぁ、バンバもいたんだ。
寺園 はい。それで結構、名前知られたかなとは思ってるんですけど。
石川 そういえば、ウインターカップでベスト5に入ってたもんね。
寺園 その当時は入ってましたね。
マーク あの~。ほら、親から、もう言われなくなったって話をしようか。
寺園 え?
マーク 厳しかったけど、ある日から言われなくなった話。
寺園 ああ、あれですね。もう本当に、何言っても親が相当厳しくて。
石川 厳しいって生活のこととか? バスケのこと?
寺園 私生活も厳しいし、バスケも。「負けたらガードのおまえの責任だ」みたいな感じで、反省文書かされたりとか。
石川 へ~。文章で?
寺園 はい。文章で反省を書いていました。でもあるとき突然、言わなくなったんですよ。自分が小6ぐらいすかね。アウトナンバーの場面があったんですけど、親が思ってた方向と自分が逆に出して、それがたまたま、たまたまっていうか、パスが通ってレイアップに行ったんです。親に「おまえ、それ、本当に見えたんか、あそこ結構狭いところ、通してたよな」って言われたんで、「あ、俺、見えたよ」って返事したら、なんか親は「あぁ、俺を越えたな」と思ったらしくて。
石川 小学生のときに?
寺園 はい。そっからはもう、何も言わなくなりましたね。
石川 へえ。でも、パッと切り替えられる親も、すごいよね。
マーク すごいですね。
寺園 そのエピソード、ずっと言ってますもん。いまだに言ってますもんね、家、帰っても。周りの人にも。
石川 ちなみに、本当に見えてたの?
寺園 本当に見えてました。「うわ、このタイミングだ」と思ってパコーン行ったら通って。「っしゃー!」みたいな感じになって。
石川 基本的に、常に上位に入っていたの?
寺園 まぁ中学は。と言っても、1つ上が強かったんですけど。自分の代は、九州ベスト4で終わっちゃって。
石川 うーん。それは、なんか他に明らかに強い学校がいたから?
寺園 強かったですね。姪浜中(福岡県)とか福岡とかが強くて、九州がレベル高かったんで。ちょっと勝てなかったです。
石川 へえ。じゃあ、そのまんま高校に。
寺園 早い段階で高校の練習に入っていたから、高校生と一緒に練習して、みたいな感じでした。
石川 へえ。高校では1年から試合に出てたわけではないんでしょう?
寺園 最初、1年のとき、夏はずっとメンバー外でした。で、ウインター前に安藤誓哉(現アルバルク東京)さんとかがいた明成高校(宮城県)と延岡学園が宮崎で試合するっていう、チャリティーかなんかのイベントがあって。そんときに前半めちゃくちゃ、20点差ぐらい離されてたんです。それでガードがダメだ、ってなって飛竜さんとか出たんすけどダメで、自分がたまたま出されて、そこでめちゃくちゃ活躍して逆転まで持ってったんです。結局、30点ぐらいの差で勝ちました。
石川 すごい。30点差で勝ったの?
寺園 30点ぐらいに結局なりましたね。流れを持っていったのが自分だったので、それで、ウインターとかメンバー入りしてました。
石川 へえ。そのときは、俺のおかげだなって実感はあったの?
寺園 ああ、ありましたね、はい。
石川 自分で点を取りまくってたの?
寺園 取りましたね、そのときに。フローターとか。
石川 基本的にはスコアリング型なの?
寺園 自分は点取るスタイルですから。コントロールとか、全然してないっすもん。
石川 じゃあ、ポイントガードっていうよりは、点取り屋って感じ?
寺園 点取って流れを持っていきたいタイプ。時に、流れによってはコントロールすることもあるけど、メインは点を取ること。
石川 憧れているプレーヤーとかいるの?
寺園 日本だと、富樫勇樹(千葉ジェッツ)さんです。あのスタイルが、やっぱり自分のスタイルの進化系かな。
石川 海外だと誰なの?
寺園 海外ではアイザイア・トーマス(現ロサンゼルス・レイカーズ)。身長低いけど、あれだけ点取れるから。スリーとか、やっぱアウトサイドメインじゃないですか。で、自分もアウトサイドメインなんで。
石川 ちなみに、身長はいくつぐらいあるの?
寺園 今は172㎝です。健康診断行ったら0・4㎝伸びてた。もう、めっちゃ嬉しかったです。172㎝になって。

でかいやつに負けるのが嫌いなんすよ。だから練習が生命線です。小3ぐらいから300本、もう日課になってます。

石川 ところで、大学はどうやって決めたの?
寺園 もともとは、春先に拓大の池内(泰明HC)さんがバンバを獲りに見に来てて。そんとき、県の大会だったんですけど、自分もめちゃくちゃ活躍して「拓大、バンバと一緒に来いよ」みたいになったんです。そのときは拓大に行こうと思ってたんですけど、夏前に北郷先生に「おまえ、東海大、行け」って言われて。
石川 あぁ、高校の先生に言われたんだ。
寺園 はい、そうですね。高校の先生に「東海大、俺が言ってやるから、行けよ」みたいな感じで言われて。で、インターハイに東海大の監督、陸(陸川章HC)さんが見に来てくれて。
東海大に行くことになりました。
石川 へえ。それはなんでなんだろう?
寺園 分かんないんですけど、自分に選択権あったんですよ。もう「バンバと今、一緒にやっても自分の成長はないかな」って思ったんで「東海大行きます」って。
石川 東海大で、いつから試合に出始めたの?
寺園 1年のときは、ベンチに入ったのも1回ぐらいだったんです。大学2年のときは、ベンチに入ってましたね。春からもうベンチ入らせてもらってました。なんか春の関東の練習試合かなんかで、めちゃくちゃ活躍して。それで、「おぉ、いいな」とかってなって。そっからずっとベンチには入ってるんですけど、(点差が)離れたら出る感じでしたね。大学2年のときは。
石川 本格的に出るようになったのは?
寺園 大学4年になってからです。でも自分、控えでしたね。
石川 あ、そうなの?
寺園 伊藤達哉(現京都ハンナリーズ)がずっと出てて。自分は控えから出て、結局、最後は第3、4クォーターのスパート、大事な場面は自分と達哉で出たりとかみたいな。
石川 へえ。小学校は違ったけど、なんか毎回、ベンチの立場から自分でその座を勝ち取ったケースが多いんだね。
寺園 そういう感じで来てますね。
マーク 練習するからね。
石川 どういう気持ちで、その機会を待ってるの? なんか、俺を出してくれれば絶対活躍できるのになと思ってるのか、出てみると意外とできたみたいな感じなのか。
寺園 基本的に、中学から自分の同期が先に活躍してることが多いんですよね。で、「こいつに負けたくねぇな」「なんであいつ出てんのに、俺、出れねえんだ?」みたいな。「絶対、自分のほうがうまい」って自信あんのに。そっからすごく練習して、もう結果残すしかないから、結果残して積み重ねて、みたいなのをずっと続けてますね。
石川 じゃあ、先に同期の背のでかいやつが活躍するのをモチベーションに。
寺園 はい、でかいやつに負けるのが基本、嫌いなんすよ。「でかいだけで、なんで入れんだよ、おまえら」って、ずっと思ってた。
石川 そういえば、脩斗といえば練習熱心っていう話をよく聞くんだけど。自分でも、その自覚はあるの?
寺園 いや、もう練習が自分の生命線ですよ。そこは間違いないです。
石川 へえ。それはもう小学生から?
寺園 小3ぐらいから、300本、ほぼ毎日、親にリバウンド取ってもらって。だから1日でもしないと気になり過ぎて、もうなんかおかしくなります。日課になってます。
石川 そうなんだ。練習、それだけハードにやっててね。じゃあ、体のケアとか、日課みたいのは? その300本と、あと何がある?
寺園 今は終わって、風呂上がった後にストレッチぐらいっすかね。家で寝る前にテレビ見ながらストレッチを20分くらいやってます。
石川 じゃあ、体は相当、柔らかいの?
寺園 柔らかくないっす。硬いっす。
石川 でも、それやんないと気が済まない。
寺園 気が済まないっすね、やっぱり。
石川 じゃあ、何でも続けんのは得意なんだ。
寺園 続けるのは得意ですね。
石川 バスケ以外は特に趣味はないの?
寺園 もう、ほとんど、バスケのために生きてるようなものなんで。
石川 大学出た後は、九州電力に行ったんだね。
寺園 そうですね。
石川 入部して、今はやってないんだよね?
寺園 今はもう、やめてます。
石川 それは、なんでなの?
寺園 1年やって、実業団のレベルも分かって、全然通用するし、って。なんか、自分とやっぱり熱が違うっていうのが大きかった。
石川 バスケットに対して?
寺園 はい。まあ仕事も忙しいし。でも、なんか自分は時間みつけて、少しでも落とさないようにやってて。そこが実業団って難しいとこなんかなと。ある程度、自分の中で気持ちを抑えながらやんないと続かないのかな、って。自分はちょっと無理なんで。なんかこう、引き落とされるぐらいの環境でやりたいみたいな。そういった環境じゃないと、やっぱり困る。

寺園脩斗締め用

★ ★ ★ ★ ★

この後も、ストリートのアツさやフローターへのこだわり、対戦したい選手などたっぷり語ってくださっています。続きは本書をチェック!

#バスケ #バスケットボール #somecity #BLACKTOP #寺園脩斗 #Shuto #三遠ネオフェニックス #coachmark #マーク貝島 #ダブドリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?