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『ダブドリ Vol.13』インタビュー01 サーディ・ラベナ(三遠ネオフェニックス)

2022年2月16日刊行の『ダブドリ Vol.13』(株式会社ダブドリ)より、サーディ・ラベナ選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは大西玲央氏。

2020−21シーズンにB.LEAGUE初のアジア枠選手として三遠ネオフェニックスにフィリピンからやってきたサーディ・ラベナ選手。フィリピン代表の若手スターが日本にやってくる、と大きな話題になった。2シーズン目を過ごしているなか、今季はラベナ選手の成功を受けて、アジア枠で多くの選手がフィリピンからやってきた。そんな『フィリピンブーム』を作り出した開拓者であるラベナ選手に日本とフィリピンについて語ってもらった。(取材日 :11月30日)

玲央 これまで表紙の撮影ってやったことありますか?
ラベナ 表紙はないと思います。
玲央 では初めて表紙を飾るんですね。
ラベナ チームで載ったことはあると思いますが、自分だけっていうのは初めてですね。とても興奮してますが、それよりも緊張してます。
玲央 大丈夫ですよ。ここまで、日本でのキャリアはいかがですか?
ラベナ 日本に来てから、とにかく愛に溢れていますね。フィリピンでは友人や家族に囲まれて必要なものが揃っている環境でしたが、そういったものが無い厳しい環境を求めて日本にやって来ました。でも日本の文化も、人も、食事も、全てがとても良くてそのトランジションは思っていたより楽にできましたね。全てが簡単という訳ではないけど、全体的な経験としてはとても良いです。
玲央 1シーズン目は新型コロナウイルスの影響や怪我もあって厳しいものとなりましたが、どのように乗り越えることができましたか?
ラベナ 友人と家族のサポートあってこそですね。物理的には日本で一人でしたが、よく電話をかけたりしてました。特にコロナの時は。2週間自宅にこもっている間、正気を保つためにも友人たちとよく電話で話していました。怪我の時も同様ですね。
玲央 ではフィリピンの家族や友人とはよく連絡をとっているんですね。
ラベナ そうですね、できる限り毎日話すようにしています。
玲央 お父さん(ボング・ラベナ、元プロバスケットボール選手)からはよくアドバイスされたりするんですか?
ラベナ そうですね、よくアドバイスしてくれます。バスケットボールだけでなく人生についても。でもどうすべきだろうって迷ってる時は、お母さんに相談することが多いです。
玲央 日本に来ることに関して家族会議なんかはあったのですか?
ラベナ いや、大学の最終シーズンを終えたくらいに、海外でプレーしたいという気持ちを伝えたら、みんなそれを応援してくれた感じですね。
玲央 どうして日本に来ることになったのですか?
ラベナ 僕の大学のヘッドコーチ(タブ・ボルドウィン、フィリピン代表ヘッドコーチでもある)がニュージーランド代表のヘッドコーチを務めていた頃の選手が、今B.LEAGUEの島根でヘッドコーチをやっているポール・ヘナレなんです。その縁もあって、在学中にボルドウィン・コーチに僕が日本でプレーする気はないかって彼が連絡をくれたんです。それで大学シーズン終了後に日本でプレーしたいと思っていることを僕が発表したら、報道が一気に過熱し始めました。日本でも「フィリピンの大学で3連覇した選手が日本に来るかもしれない」といったニュースが出たりして、オファーがたくさん舞い込んできたんです。そこで代理人と相談して、とにかく自分らしくプレーできるチームが良いということから、ネオフェニックスを選びました。僕のバスケットボールキャリアにおいて、最高の選択のひとつだったと思っています。

U18のキャンプで、生まれて初めて僕をポスタライズしたのが、馬場選手でした。

玲央 来る前にB.LEAGUEのことはどれくらい知っていたのですか?
ラベナ 正直あまり知らなかったです。ハイライトを少し見たことがある程度で、試合を丸々見る環境がなかったんです。琉球と千葉がマカオでプレーした時(東アジアスーパーリーグ)に初めてちゃんと試合を観ることができました。ただ日本のバスケットボール自体は、代表で対戦したりしていたので、全く知らなかった訳ではないです。
玲央 では代表戦を通して日本人選手は何人か知っていた感じですね。
ラベナ そうですね、僕は高校の頃から比江島慎選手(宇都宮ブレックス)が大好きだったんです。なので彼のことはもちろん知っていましたね。あとは中国で行われたU18のキャンプに参加した時、僕はまだ15歳だったので周りはみんな年上だったのですが、その時に馬場雄大選手(NBA Gリーグ、テキサス・レジェンズ)に人生初のポスタライズをくらいました(笑)。生まれて初めて頭の上からダンクを叩き込まれて、「うわあ、こういう世界なのか」って思い知りましたね。あれは絶対に忘れられません。今でも鮮明に覚えています。
玲央 すごいですねそれは。馬場選手が今海外でプレーしているのを見てどう感じていますか?
ラベナ とても嬉しいですね。同じことをやっている感覚があります。パイオニアとして、お互い夢を追いかけている。ただただバスケットボールを愛しているからこそ前に進みたいというこの気持ち。山を登り切ったと思ったら、前にはもっと高い山が待ち受けているんです。それをどんどん登っていこうって。彼がどんな気持ちでプレーしているのか、海外でプレーする怖さなんかも僕は良くわかるので、彼には本当に成功してもらいたいですね。きっと彼もどこでプレーしようと、日本を背負っているんだという気持ちが強いと思います。
玲央 それはご自身も日本に来るにあたって強く持っていたものですか?
ラベナ そうですね、リーグ初のフィリピン人だったので。
玲央 プレッシャーはありました?
ラベナ そこまでありませんでしたが、日本で自分がなり得る最高の選手になるということに対するプレッシャーはありました。フィリピンを代表して違う国でプレーしているという状況は、むしろ楽しめています。楽しさがあるのと同時に、国を代表するという責任ももちろんあります。それは大変なことですし、簡単なことではありませんが、プレッシャーという感じではないですね。
玲央 結構この状況を楽しんでるようですね。
ラベナ 楽しむように努めています。最近はフィリピンの友人や兄(キーファー・ラベナ、今季から滋賀レイクスターズのアジア枠選手としてプレー)もいるのが助けになってますね。
玲央 今年はたくさんフィリピン人選手がリーグにやって来ましたが、続々と契約が決まるなか、どんな気持ちでニュースを見てました?
ラベナ とても興奮してましたね。何人かとは去年の時点で結構話していたんです。向こうからどんな感じかすごく聞かれたりして。色々と教えてはいたんですけど、こんなにすぐやってくるとは思っていなかったです。なので沢山来ると分かった時は興奮しましたね。休みがある時は兄、コービー・パラス(新潟アルビレックスBB)、ドワイト・ラモス(富山グラウジーズ)なんかと会えますし、試合で対戦していると、なんだか地元からそんなに遠くない場所にいる感覚になれるんです。
玲央 では去年よりもメンタル面では楽になっていそうですね。
ラベナ 間違いないですね。それぞれが国旗を背負っている気持ちがあるので、話し合っていない時でも、他に同じ志を持った仲間がいるんだと思うだけでも、心が安らぎます。
玲央 スケジュールを確認していて、対戦相手にフィリピンの選手がいるとちょっとテンション上がります?
ラベナ そうですね、いつもより力が入ります。よりハードに頑張ろうっていうモチベーションになります。友人相手には特に競争心を燃やすタイプなんです。小さい頃からずっと一緒にプレーしている連中ばかりですからね。コート外では友人ですが、コート内では対戦相手として、ものすごく競争心を持って接しています。それがバスケットボールのいいところです。
玲央 仲間たちを見ていてここまでどうですか?
ラベナ スタッツなんかを見るとみんな活躍していて嬉しいですね。メンタル面も問題がないと良いなと思っています。やっぱり1年目は僕も色々と大変だったので、その気持ちがわかるんです。シーズン後半はもっとみんな活躍するんじゃないかと思ってます。
玲央 今後もフィリピンから選手はやって来そうですかね?
ラベナ 来たがっている選手は沢山いますね。なんならアジアだけじゃなく、ヨーロッパやアメリカなんかにも、B.LEAGUEに来たがっている選手が沢山いるんです。アメリカに住んでる友人から「日本でプレーしたいんだけど」っていう連絡がよくあります。
玲央 実際にプレーしてみて、B.LEAGUEのレベルはどうですか?
ラベナ とてもタフですね。特に3人の外国籍選手と対戦するのがこれまでと全く違う経験です。そして日本人選手のスキルレベルも高く、試合のテンポも速い。かなり自分のスタイルを合わせていかないといけません。そして毎年レベルは高くなっていますから、今後のリーグの発展が楽しみです。
玲央 フィリピンでのバスケとはまるで違うと感じますか?
ラベナ まるで違うとまではいかないですね、最終的にはやっぱりバスケットボールですから。フィリピンよりドリブルが少なく、パスが多く、外国籍選手がいるのでインサイドにドライブを仕掛けるのがより難しいなど、細かい差はもちろんあります。でもどこに行っても違いは絶対にあって、バスケットボールであることには変わりません。

プレーできなかった大学2年目は、振り返ってみると人生最高の1年だった。

玲央 バスケットボールを始めたのは小学生の頃ですか?
ラベナ そうですね。最初にやっていたスポーツは野球だったんです。そしてバドミントン。それからバスケットボールに辿り着きました。
玲央 経歴を見てみると、大学で6シーズン過ごしていますよね?
ラベナ 正確には5シーズンです。1シーズンは学業の成績が悪くて出場することができなかったんです。フィリピンの大学は5シーズン在籍することができるので、大体みんなそれくらいやっています。
玲央 最終的に大学のキャリアは3連覇と全勝シーズンという最高の形で終えることができましたが、プレーできなかった2年目はご自身にとって最も辛い時期だったと以前語られていました。しかしそれと同時に、良いことでもあったと言っていましたが、これはどういうことでしょう?
ラベナ まず大学1年目は、高校でMVPを獲得し、自分はすごいんだと自信に溢れた状態で臨みました。高校でのMVPシーズンをそのまま大学レベルでもやれるだろうって。でも実際は全然活躍ができなくて、平均1得点くらいな上に、出場できない試合なんかもありました。それに加え、学業が酷かったので、翌年は1年間チームと練習することも禁止されてしまいました。
玲央 学業はなぜおろそかになってしまったのですか? 授業に出なかったとかですか?
ラベナ いや、行かないとかよりも、単純に高校でMVPを取って有頂天になっていたんです。バスケットボールさえやっていれば、勉強なんかしなくて良いだろうとすら思っていました。でも現実は全く違いましたね。そして1年間の謹慎で、組織立ったバスケットボールをすることができないという、本当に辛い時期を送ることとなったんです。とにかくずっとチーム外の人とトレーニングをして、その1年間で自分の意識を変えることに努めました。当時は人生最悪の1年だと感じていましたが、今は振り返ってみると、人生最高の1年だとさえ思っています。あの1年があったことで、卒業も1年ズレたのですが、そのおかげでちょうど卒業とB.LEAGUEがアジア枠を導入するタイミングが合致して、リーグ入りすることもできました。それがなければ、もしかしたら今もまだフィリピンから出ずに、外の世界を知らない状態でバスケットボールをしていたかもしれません。

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「誇らしく思ってもらえるように」と語るラベナ選手。このあとも、ワールドカップへの思いやシューズへのこだわり、背番号0の由来などたっぷり語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

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