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『ダブドリ Vol.8』インタビュー07 ともやん & どば師匠(レイクレ)

2020年2月15日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.8』(ダブドリ:旧旺史社)より、Lazy Lie Crazyレイクレのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは今井麻椰氏。なお、所属・肩書等は刊行当時のものです。

もともとYouTubeはこの名前でいこうっていうのがあったんです。淀川で動画撮るから「淀戦記」って(どば師匠)
めっちゃダサい(ともやん)

今井 そもそもレイクレができたきっかけから伺いましょうか。ちょっと聞いたのは、DM送ったみたいな。
ともやん そうです。
どば師匠 なんか、僕ずっとミスキャン出たかったんですよ、ミスキャンパス。この顔で。知名度が欲しかったんです。ほんなら、よう分からんバスケすげえ奴からTwitterでDMが来て、「YouTubeやろうぜ」って。
今井 ともやん的には、もうそのときからYouTubeでやろうと思っていたの?
ともやん いや、直感です。動画を見たときに、楽しそうやなって思って。
今井 当時は1人でやってたの?
どば師匠 今のメンバーっすね。だから、僕とたかしとてっちゃんと、ぺろ愛男爵で、ちょっと動画撮ってました。
今井 そこにともやんが入った?
どば師匠 そうですね。
ともやん 4人の動画を見て、いいなって思ったんです。たまたま免許合宿行ってるときに、アホみたいな動画撮ってて。それ見たときに、自分も中学生のときに友達と動画とか撮ってワイワイしてたなと思って、そういう楽しさって忘れてるなぁと思って。純粋に楽しくて、しかも有名になれるなら、YouTuberしかないわと思って。
今井 それで、いきなりDM送ってつながったんだ。
ともやん そうです。いや、本当に、そのときの自分に聞きたいですけど、ようあそこまで行動できたなって。
今井 で、どうやって会ったの? 普通に会ったの?
どば師匠 会ったんっすよ。梅田のサンマルクか。わー、懐かしい! そこで、なんか意気投合して。
ともやん そう。やろうか、ってなって。それから毎日一緒におるなあ。
今井 第一印象は?
どば師匠 メンバーに「こいつに会うで」って言ったら、そいつマジでバスケうまいって言われて、大阪代表とかいろいろうわさを聞いてて。ムキムキの奴がメンバーに入るのかなって思ってたら、塩顔の好青年がいたんです。ひょろっと立ってて、ワイヤレスのイヤホンをブラって下げて。「あ、じゃあちょっと、どっか話しに行く?」みたいな。
今井 「よう!」みたいなね(笑)。
どば師匠 そう。「え?」みたいな。第一印象はそんな感じっすね。意外と普通。知れば知るほどすごい。かめばかむほどタイプというか。
ともやん いやいや。なんか、ほんまようやったなという感じがする。なんかビビっときたっていうか。それこそ、ほんま直感です。よかったなあと思って。
今井 それから今日までずっと一緒にいるってすごいね。で、「レイクレ」って名前ができたのも、そのとき?
ともやん いや、別の日です。あれ、どこの駅だったっけ?
どば師匠 喜連瓜破きれうりわり駅のイオンや。もともとは違う名前やったんです。というか、これでいこうっていう名前が決まってたんですよ。淀川で動画撮るから「淀戦記」でええやんって言ってたんです。
ともやん めっちゃダサい。
一同 (爆笑)
ともやん それがちょうどイオンのフードコートで。ダサすぎるからちょっと待って、考えようってなって。“暇人が好きな暇人”みたいな意味はどう?ってなって。本当は「Lazy Like Lazy」なんですけど、ちょっと見た感じ見にくいから、当て字で「Lazy Lie Crazy」ってなったんです。
今井 で、レイクレ。
ともやん そう、語呂を変えてレイクレ。あ、これきたっていう。バンドみたいな名前ついたよな。
どば師匠 バンドみたい、マジで。いまだに自分らで、あんま意味分かってないんですけど(笑)。
今井 でも、もう今はね。レイクレ、レイクレって言われてるしね。

中学まででバスケをやめたくて、スポーツ推薦じゃなくて一般で高校に入ればバスケやめられると思って、死ぬほど勉強して偏差値30から60になった(ともやん)
え、それって“リアル・ビリギャル”やん!(どば師匠)

今井 どば師匠は、ともやんのバスケ歴は知ってるの?
どば師匠 知ってます。でも、こいつ言わないんですよ、自分のすごさを。いつも「僕なんて全然」とか言って。
今井 いつから、なぜ始めたかとか、そういうのはどう?
ともやん 本当の最初は、小学2年の頃かな。大した理由じゃないんですけど、隣の家のお兄ちゃんがバスケをしていたからです。それまでサッカーしていて、そのあとでバスケも始めて、どっちにしようってなったときに、小3からバスケに絞ってやり始めました。
今井 それなら、逆に何で続けたの?
ともやん んー、成り行き。小学6年でミニバスをやって、まあまあ強くて、そうなったら何となくの流れで、中学校でもやらなあかんみたいな感じになって。中学校でもバスケして、大阪選抜に入って。けど、もうそこでバスケやめたかったんですよ。もうええやろう、ってなって。中学3年で、遊びたいっていう時期やったんで。でも、結局、中学の先生からゴリ押しとかがあって。高校のバスケ部に入部して3年間やったんです。
大柴 そこは、バスケ入学ではない?
ともやん バスケ入学です。結構推薦をもらっているところがあったんです、関東の高校も含めて。でも、「僕もうバスケしないんで」と先生に言って、一度全部蹴ったんです。けど、先生はバスケさせたいから大阪学院(大阪学院大学高等学校)っていう高校と、近大附属(近畿大学附属高等学校)っていう高校だけ残してて。
どば師匠 それ、どっちも強豪校やな。
ともやん そう。それで、どっちにするんだって責められて。大阪学院やったら、坊主なんですよ。坊主で、しかも練習きついから、ちょっと嫌やなあと思って。近大だったら、髪の毛あって、練習もしんどくないしと思って。
今井 え、それが理由なんだ。でも確かに、中3だったらありそうだね。
どば師匠 まあ、思春期なんでね。
ともやん まあ、近大附属やったらそのまま近大(近畿大学)に行けるっていうことも考えて決めました。ただ、スポーツ推薦で行くってなってたんですけど、もし受験で受かったら一般のクラスに入れるって言われたんですよ。一般クラスだったら、スポーツ推薦じゃないからバスケ部やめられるじゃないですか。そう考えて、3カ月ぐらい塾に通って、人生でやったことないくらい死ぬほど勉強したんです。偏差値30くらいからスタートして、泣きながらやって、最後は近大の偏差値の60ぐらいになって。
今井・大柴 すごい!
どば師匠 え、それって“リアル・ビリギャル”やん!

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つづきは本誌で!

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