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『ダブドリ Vol.15』インタビュー04 クリス・シーセン(Tokyo Samurai AAU)& シェーファーアヴィ幸樹(シーホース三河)

2022年11月9日刊行の『ダブドリ Vol.15』(株式会社ダブドリ)より、クリス・シーセン氏(Tokyo Samurai代表)とシェーファーアヴィ幸樹選手(シーホース三河)のインタビュー冒頭を無料で公開します。

シェーファーアヴィ幸樹を輩出したとして最初に注目を浴びたTokyo Samurai(以下サムライ)は、多くの子供たちがアメリカの大学やプレップスクールに進学するための足掛かりになっている。一体どんなチームなのか、創設者のクリス・シーセンと、久々にサムライにワークアウトに来ていたシーホース三河のシェーファー選手に話を伺った。(取材日:8月3日)

玲央 まずサムライがどういったものなのか説明いただけますか?
クリス 始まりは2014年で、アメリカでPhenom Campというのをやっているコーチ、デイブ・テイラーが日本にやってきたんです。覚えてる?
アヴィ 覚えてる! 強烈な方だった。
クリス 今でもサンディエゴでそのキャンプをやっていて、とても高いレベルの選手たちをコーチしている。ポール・ジョージにジェームズ・ハーデン、何人もの優れた選手が彼のキャンプを経験している。そんな彼が日本にきたときに出会い、AAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン、学校の部活とは別のユース大会)に参加できるようなチームを日本にも作るべきだと力説していたんです。
玲央 なるほど。
クリス 彼はダブルパンプという西海岸でとても有名なAAUの大会を開催して、そこに11人ほどの選手を集めたチームを連れていくことになりました。ほとんどはインターナショナルスクールや軍関係の子たちで、数名だけ日本人がいたかな。そして30点、40点差くらいでボコボコにされたんです。当時のチームには高いレベルの選手たちもいましたが、まだ井の中の蛙な状態。でもそれをきっかけに2年目、3年目とチームを送り込むようになったんです。今年は4チームを連れていきました。目的は、選手たちにアメリカのバスケを経験して、露出する機会を与えること。最近は日本人の子供も増えてきました。今では我々のプログラムに参加していない子の手助けなんかもしています。直近ではアメリカの大学に進学した山﨑一渉や菅野ブルース。向こうのコーチと繋げる役割を担ったりしています。私は日本で生まれているし、自分がアメリカ人だなと感じるのと同じくらい、日本人だなとも思っていて、だからこそ日本のバスケットボールをもっと広めていきたい。日本の子供たちにもっとできるんだと思ってもらいたい。アヴィもそういう感じで見ていました。「お前なら代表でプレーできる!」ってね。

日本代表のU16との試合が全ての始まり。(アヴィ)

玲央 日本生まれとのことですが、コーチの背景を少し教えていただけますか?
クリス 私は神戸で生まれ、父は米空軍に所属していました。2年ほど神戸と東京に住んで、私が2歳の頃にカリフォルニア州の田舎に引っ越しました。3歳離れた兄がいて、引っ越した途端日本語を喋るのをやめちゃったみたいで、母もそこで教えるのを諦めて。
玲央 お母さんは日本人?
クリス 日本人です。塾や日本人学校もなかったので、私も日本語を学ばないまま育ちました。バスケをやっていましたが高校のときに大怪我をして。その後はバスケからしばらく離れ、またバスケに戻ったのは日本に帰ってきてから。5、60人ぐらいの小さなインターナショナルスクールで教え始めたときに、何人かの子供たちがバスケをやりたがっていたんです。そこで小さな学校が参加するリーグを見つけて、コーチするようになって、自分がコーチすることが好きなんだなと感じるようになりました。その後デイブ・テイラーに出会い、どんどん広がって、アヴィとも出会って。
玲央 代表入りする選手にまで成長して誇らしいですね。
クリス 彼はお父さんやお兄さんと一緒に色々頑張っているから、私はバスケットボールを紹介してあげただけですよ(笑)。
アヴィ でも日本代表のU16との練習試合を組んでくれて、あれが全ての始まりだったと思っています。
クリス 確かに、あれは全ての始まりと言っていいと思う。その後、多くのコーチや組織と繋がるようになっていきました。例えば東頭(俊典、当時アースフレンズZ東京のHC)さんと出会って、ケイン・ロバーツが特別指定選手になる流れにもなりました。ヨーロッパやオーストラリアではやっているのだから、日本でもやろうって。そうやって、日本の若い子たちを露出してあげたいんです。このプログラムに参加している子たちは国内でもあまり知られていなくて。
玲央 日本の高校バスケ界に組み込まれているわけではないですもんね。
クリス そう、「こんな子いますよ」ってもっと広めてあげたくて、それもあってサムライのショーケースなんかも開催するようになったんです。
玲央 アヴィ選手はなぜサムライに?
アヴィ 僕は高校2年までサッカーをやっていて、セントメリーズ(インターナショナルスクール)での体育館開放の時間に遊びでバスケをしたりしていました。そこでクリスやほかの人たちにバスケをやるべきだってすごく薦められて。それで自然とやるようになっていって。学校がある期間は学校でバスケをして、オフシーズン中はサムライでワークアウトに参加するようになりました。そしてさっき話していたU16との練習試合にも参加させてもらえることになり、そこから代表活動にも呼ばれるようになっていってという感じですね。プレップスクールと大学でアメリカに行ってからも、オフにはサムライでワークアウトをしたりしていました。プロ入りしてからはあまりしなくなりましたけど。

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