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『ダブドリ Vol.18』インタビュー05 猪狩渉 × 長谷川暢 × 盛實海翔 × 渡邉竜也(能代工業OB)

2023年10月27日刊行の『ダブドリ Vol.18』(株式会社ダブドリ)より、能代工業OBの4人のインタビュー冒頭を無料公開します。

バスケの街・能代。2014年に能代工業を7年ぶりのセンターコートに導いた男たちが能代で「Power Of Noshiro」を合言葉に2度目のイベントを開催した。イベントにも参加し、彼らと親交のあるダブドリ編集長の宮本がイベント直後の彼らに話を聞いた。(取材日:6月11日)

[ Interview by 宮本將廣/Photo by 本永創太 ]

能代工業伝統のOB戦を改めてやろうと考えました。(長谷川)

宮本 お疲れ様でした。2回目のイベントが大成功で終わりました。能代工業を卒業して10年近く経っても、こうやって能代のために動こうと思った理由から聞いていきたいと思います。
長谷川 能代工業から能代科学技術高校(以下能代科技)に校名が変わって、僕はバスケ部のテクニカルアドバイザーに就任させてもらいました。そこで、まずは能代工業伝統のOB戦を改めてやろうと考えたんです。能代科技が強くなるために必要だと思ったし、バスケの街・能代がまた盛り上がるようなきっかけになるのではないか。思い返すと能代工業の3年間はみんなが本気で日本一を目指して、バスケに向き合った時間でした。高校の3年間は誰にとっても全力で何かに向き合えば、かけがえのない瞬間になるんだなってコーチをやり始めてより感じています。もちろん学校や部活によって目標はそれぞれですけど、僕らの時代の能代工業は日本一になれなかったとしても日本一を目指す学校で、能代は街をあげて応援してくれていました。だからこそ、何か恩返しがしたいという気持ちですね。
猪狩 じゃあ、次は盛實選手!
盛實 はい(笑)! 僕にとって能代での3年間はすごく大きくて、何もなかった中学生の自分が伝統ある能代工業に行けたことでバスケの幅が広がりました。能代に行ってなかったら専修大学にも行ってないし、プロにもなれてないと思います。ありきたりな言い方ですけど、バスケだけじゃなく人間としてもすごく成長させてもらえた場所なんですよね。それにこうやって先輩や後輩、同期にも恵まれてバスケができたことが今に繋がっている。だからこそ能代への思い入れは強くありますね。
宮本 ありがとうございます。次の人を指名してもらっていいですか(笑)?
盛實 渉さんで!
猪狩 竜也だろ!
盛實 何、最後に自分がいいこと言って終わろうとしてるんですか!
一同 ハハハハハ。
渡邉 僕はこの4人の中で唯一の秋田県民で、小さい時から能代工業を見ていました。それこそバスケを始めたきっかけが能代工業と言えるぐらい能代工業のバスケが大好きです。それが理由ですね。暢、渉、海翔はバスケに対する愛情とエナジーを誰よりも持っているからプロになったと思います。だけど、3人に負けないぐらいバスケが好きな子供たちが秋田にはたくさんいます。そんな子供たちが僕らのように能代科技の素晴らしい環境でプレーをしてほしいし、そこから1人でも多くのプロ選手が生まれてほしいと思っています。
猪狩 僕は物心がついた時に一番最初に読んだ漫画がスラムダンクだったんです。最初に憧れたのが山王工業の沢北栄治でした。僕は暢や海翔みたいに高校で活躍したわけじゃなかったですけど、卒業後にスラムダンク奨学金でアメリカに行くことができて、やっぱり能代工業が僕のバスケ人生の分岐点になった進路選択だったことは間違いないですね。

能代工業の価値はシャネルやプラダと同じです! (猪狩)

宮本 今回のイベントを振り返ってみてどうですか?
猪狩 高校生と試合をしてみて感じたことがあって、僕らの頃はゾーンプレスから速攻という能代工業伝統のスタイルがありました。正直に言えば、時代やバスケの進化に逆らって能代工業のバスケを貫いてきたなかで、学校の名前も変わって、今の選手たちはすごく現代のバスケに順応していると感じました。それはいいことでもありつつ、能代工業らしさがなくなっているとも言える。だからこそこういったイベントを通して能代工業らしさを受け継いでもらいながら、能代科技らしい現代バスケとの組み合わせを完成させていってほしいと思いました。
宮本 猪狩選手はダブドリnoteでのインタビュー(今回の原点になった「能代工業を7年ぶりのセンターコートに導いた男たち」)で、「能代工業っていう名前に戻るかもしれない。その可能性に賭けている」と話していました。気持ちが変わったりしました?
猪狩 いや、諦めてませんよ。だってファッションを知らない人だってシャネルやプラダを知ってるじゃないですか。絶対に知ってますよね? バスケを知らない人でも能代工業っていう名前を知ってるんですよ。その社会的な価値は相当あると思います。だから能代工業の価値はシャネルやプラダと同じです! そこに対するこだわりも捨ててないし、このイベントをもっともっと大きくして、能代科技が強くなったら、能代工業っていう名前に戻してやろうっていう野望は持ってます!
一同 ハハハハハ。
猪狩 あと僕はミニバスや中学生のクリニックを大切にしたいと思っていましたね。
長谷川 ちょっといいですか? そこを大切にしたいと思っていたなら、もう少し熱量を出してほしかったな。
猪狩 そこに関しては、暢が全部仕切っていたからあくまでサポートに回っただけの話であって、もっと共有することもあったんじゃないかなって思う!
長谷川 でも、サポートのやり方も色々あったんじゃない? いろんな兼ね合いがある中で、みんなの負担が増えるのも嫌だったから、今回はあの形でクリニックをしたわけじゃん!
猪狩 そういうコミュニケーションは先にとって欲しかったって話を……。
宮本 能代工業の頃から、2人ってこういう感じだったの?
渡邉・盛實 そうですね(笑)!
宮本 ハハハ。部活だと色々あって、「みんなで話し合おう」みたいなことがあるじゃない。当時の長谷川暢と猪狩渉もこんな感じ(笑)?
盛實 そうですね、この場ですらこんな感じですから(笑)。
渡邉 この場ですら(爆笑)。
盛實 喧嘩っぽく見えますけど、こうやって意見の交換がしっかりできるのはやっぱり変わってないなって思います。でも、全部が日本一になるためなんですよ。能代工業を強くするためにそれぞれが思っていることをちゃんと言う文化が先輩たちにはあって、自分はそれがなかなかできなかったからすごいなって思っていましたね。
長谷川 でもさ、ちょっと納得いかないんだけど!
盛實 ほらほらほら(笑)!
渡邉・宮本 ハハハハハ。
長谷川 コミュニケーションに関しては俺の責任だと思うけど、もっとやれることがあったと思うんだよね!
猪狩 俺は現地にいない分、できることが限られるじゃん!
長谷川 それは言い訳でしょ?
宮本 これ、全部書いていいの?
渡邉・盛實 大丈夫です(笑)!

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