【女子中高生の‘‘カリスマ‘‘】は、もう生まれない ー次世代の安室奈美恵・浜崎あゆみ・西野カナが現れない理由ー
J-POPにはその時代ごとに、若い10代~20代前半の女子、女子中高生など、「女子ティーンのカリスマ」といわれる人気歌手が存在してきた。
昨年の引退騒動で大きな話題となった『安室奈美恵』さんや、セレブギャルとも言えるジャンルを形づくった『浜崎あゆみ』さん、などがその代表例だ。
J-POPというジャンルの誕生以前の、昭和時代においても、私の母の世代などでは、みんなが『松田聖子』さんの「聖子ちゃんカット」にしていたなど、これまでに多くの若い女子のカリスマ的な人々が存在してきた。
彼女たちは歌手としての評価だけでなく、ルックスや独自のファッション性、ライフスタイルなど、本人自体の魅力でも注目を浴び、恋やおしゃれに興味津々で多感な年頃の女の子たちによって、支持されてきたのだ。
流行に敏感で、共感性が高い世代の彼女たちは、歌手に限らずカリスマ的な人気を誇る人やものが生まれやすいが、歌詞などメッセージがあり、カラオケなども身近であるポップ歌手というジャンルでは特にその傾向が強い。
その時代ごとに様々なカリスマが生まれてきたが、一口に‘‘女子中高生のカリスマ‘‘と言っても、時代によって大きく、その特徴が異なる。
よくよく観察してみると、実に、興味深いことが分かるのである。
■ 元祖・女子ティーンの‘‘カリスマ‘‘『安室奈美恵』■
まず、J-POPというジャンルが生まれた平成初期に、女子中高生や10代から20代前半の女子から圧倒的な支持を得て、社会現象まで巻き起こした、元祖・女子ティーンのカリスマと言えるのが『安室奈美恵』である。
安室さんは昨年の2018年に引退で、大きな話題を呼んだが、最後まで現役バリバリ、アラフォーになっても変わらぬ、むしろ魅力が増した完璧なルックスとパフォーマンスで知られていたことは言うまでもない。
1996年に、シングル「Don't wanna cry」、「You're my sunshine」、「a walk in the park」がミリオンセラーを記録し、若者のファッションリーダー、世代のアイコンとしての地位を確立した。
茶髪のロングヘアー、ミニスカートに細い眉、厚底ブーツといったファッションで、彼女を真似する女性を指した「アムラー」はその年の流行語となるほどであった。
安室さんは、小学生時代に、沖縄アクターズスクールの社長が、自ら、スカウトし、異例の特待生として入所した経歴をもつ。
また、ダンスアイドルグループの一員としてデビューした後に、一人だけ引き抜かれ、ソロ歌手となったことからも、分かるように、芸能界基準で見ても、小顔で美人、スタイルも良いうえに、歌やダンスの才能にも恵まれているという特別な存在だったのだ。
ここでポイントとなるのは、‘‘その時代の多くの若い女性は、安室奈美恵を真似し、目指しながらも、そのほぼすべてが彼女のようになれなかった‘‘ということである。
歌やダンスの才能をまったく差し引いて、ルックスだけをみても、芸能界基準の中ですら‘‘特待生級‘‘の安室さんに近づく、まして、超えるような一般女性は、当たり前だがそうそういなかったのである。
つまり彼女は、【超えることのできない永遠の憧れ】としてのトップシンボルであったのだ。
それでも、アムラー達は「安室ちゃんにはなれないけれど、少しでも近づきたい」と、安室さんの存在を究極の理想として憧れ、年齢を重ねたり、時代が変わったりして、永遠の憧れのまま‘‘卒業‘‘していったのだ。
つまり、ここではある種の教祖と信者的な関係性が見て取れ、安室奈美恵の楽曲やライフスタイルに若い女子たちが共感するというよりも、絶対的なものに少しでも近づきたいという意識が強く見て取れる。
安室さんが、そのヒエラルキーの一番上にいる、雲の上の存在であり、‘‘信者‘‘であるアムラーの中には、彼女を超える存在はいないことになる。
つまり、安室奈美恵は【絶対的なカリスマ】であったということができる。
■ ‘‘ギャル‘‘のトップシンボル『浜崎あゆみ』■
そして、安室さんの次に、この系譜を引き継いだのが、『浜崎あゆみ』といえるだろう。
1990年後半~2000年代前半に大ブレイクした浜崎さんは、自身で作詞を行うなど、元はダンスアイドルグループ出身であった当時の安室さんと比べると、アーティスト色が強いという点で異なってはいた。
その部分を除けば、本業の歌手以外の部分でも、同じく女子中高生のカリスマとして君臨したという点で共通している。
派手なメイクや衣装、斬新なアクセサリ―使い、盛った髪型などが、ギャル系女子のファッションリーダーとして注目された。
また、プライベートでも、ブランドものを多数所有、派手な生活などセレブギャルとしての地位を確立した。
近年は、お騒がせ感のある彼女だが、2000年代前半の頃は全盛期を迎えており、ファン以外の一般層にも強い影響力があった。
自分は男であるし、ファンという訳でもなかったが、もろにこの世代のため、よく覚えている。
ここまで見ると‘‘先代のカリスマ‘‘の安室さんと非常に似ているように見える。
しかし、この二者には、異なる傾向が見てとれるのだ。
それは、『浜崎あゆみ』は『安室奈美恵』ほど絶対的なカリスマではないということである。
これは、決して浜崎さんを馬鹿にしているのではない。
同じトップアイコンであっても、教祖的な、超えることができない究極の理想から、もう少し近い存在になったということである。
安室さんは、ひとりで「アムラー」というオリジナルのジャンルをつくりあげたのに比べ、浜崎さんは、「ギャル」という広く大きなジャンルの中の牽引役であり、そのトップシンボルであるという向きが強い。
トップとは言え、あくまでもその中のひとりという点で安室さんとは、大きく異なるのだ。
無論、歌手としての実力や、才能、資産の面では、ほとんどの一般人は遠く及ばない。
この点は、安室さんも、浜崎さんも、同じである。
生活や、美容、ファッションなどに関しても、普通では考えられないような努力をしたり、大金を使っていたのであろう。
一方で、ファッションアイコン、シンボルといった面においては、浜崎さんの、そのままのコピーというファンはあまり見られなくなった。
確かに、彼女の影響を強く受けた女性は多く、彼女の着用したグッズが流行ったりもした。
携帯電話に付ける大きすぎる毛のしっぽのグッズなどはその代表例だ。
しかし、他のモデルや、芸能人を参考にしたり、自身のオリジナルで工夫するなど、浜崎さんの単独の影響力というのは、安室さんほどでなかったと感じる。
こういった中では、彼女に心酔するフォロワーの中には、彼女と同じくらい可愛くなったり、それを元にオリジナルのスタイルを編み出した者もいた。
先に述べたように、『浜崎あゆみ』は、あくまでもギャルというジャンルのトップシンブルであり、絶対に越えられない‘‘教祖‘‘安室さんほどは、絶対的な存在ではなく、オリジナルのカルチャーを生み出したとまでは言いきれないということである。
ただ、これは本人の資質どうこうというよりも、時代や社会の変化という要因が影響してる部分が大きいだろう。
インターネットが一般的でなかった安室さんの時代と比べ、浜崎さんの頃はインターネットやパソコン、携帯電話が一般に普及していった時期であり、特に携帯電話はティーンのマストアイテムとなった。
また、ファッション雑誌のモデルなどにもスポットが当たるようになり、影響を受ける選択肢は幅広く、身近になった。
インターネットは、あるにはあったが、サービスは限定的であり、まだ、テレビなどの大手メディアが世論を扇動する時代であった。
もちろん、SNSのようなものも、まだ存在していなかった。
このように、インターネット環境は、現在とは程遠いものであったが、それでも、個々人が自由に知識を得ることができる下地は少しずつ整っていった時期でもある。
こういった中では、‘‘アイドルはトイレにいかない‘‘というような、 ‘‘絶対的なスター‘‘としてのカリスマではなく、‘‘同じグループのトップを走る人としての、カリスマ‘‘が持て囃されはじめたのである。
いわば、【共感性】が重視されはじめたのである。
恐らくは、浜崎さんサイドが、時代の変化に合わせて、意識してそのような方向性で売ったということもあるのではないだろうか。
このように『浜崎あゆみ』は、本物のスター、別世界のトップシンボルであることは確かなのだが、単独での絶対的な憧れ、究極の存在とまではなり得なかったという点で、『安室奈美恵』に比べると、‘‘距離が少し近くなった‘‘カリスマ的存在と言える。
■ ‘‘ケータイ世代‘‘の‘‘身近な‘‘カリスマ『西野カナ』■
そして、次に、この系譜を受け継いだのは、2010年代に大ブレイクした『西野カナ』と言えるだろう。
そして、彼女こそ、【最後の女子ティーンのカリスマ】と呼べるかもしれない。
彼女は、現役女子大生シンガーとしてデビューし「会いたくて」などのヒットで知られ、メディア等では「ケータイ世代のカリスマ」などのキャッチフレーズが良く使用されていた。
社会的に言えば、ちょうどガラケーと、スマートフォンの移行の過渡期にあたり、ガラケー時代の最後のアイコンとも言えるかもしれない。
この西野さんにおいては、前出の‘‘二人の先輩‘‘たちとは【決定的に異なる部分】がある。
それは、同じ「女子ティーンのカリスマ」でありながら、究極の理想として近づきたい、真似したい、憧れたいという‘‘絶対な存在‘‘ではなくなったということである。
安室さんと、浜崎さんは、歌手としてだけではなく、ファッションや、ルックス、ライフスタイルというキャラクター的な面、存在としての魅力でカリスマに成り上がった。
一方で、西野さんは、安室さんのようにファッションやスタイルの流行を生み出したり、浜崎さんのようにひとつのカルチャーを牽引したわけでもない。
ただそこにいるだけで羨望の的になるような圧倒的なモデル級美女というタイプでもない。
人並みにメイクやおしゃれをした普通の女の子という印象である。
もちろん、彼女は歌手であり、立派な芸能人である。
ただ、ファンや、若い女の子からは自分の延長線上にいる人、あくまでも親しみやすい同世代のシンボル、輝いている、ちょっと上の先輩に近い存在であった。
多感な時期の代表者のような存在としてのカリスマであり、理想や羨望、畏怖、心酔するような対象としてのカリスマではないのである。
そもそもが、現役女子大生シンガーという親しみやすい触れ込みでデビューし、歌詞のテーマも10代から20代前半の女子の恋愛や友情など自身や友人の経験をもとにした身近かつ実生活的で共感を得やすいものが多い。
圧倒的なパフォーマンスや、歌唱力で魅せるわけでも、楽曲に大きなテーマや壮大な世界観があるわけでない。
存在そのものの魅力だけで、支持を得ているわけでもない。
普通のマンションから出てきて、学校に通い、仕事場にくるような、身近なイメージを売りにしていた。
芸術性や、スケール感という点から言えば‘‘二人の先輩‘‘と比べると、大きく見劣りするようにも見える。
一方で、意外にも、歌手の本分である‘‘歌‘‘で成り上がったという点でも異なり、ある意味では最も歌手らしい歌手といえる。
憧れ、理想、トップシンボルというある種の教祖様的な「カリスマ」ではなく、日常の延長線上にいる‘‘カリスマ‘‘である。
いわば、人気のある同級生や先輩、おしゃれなショップ店員のような身近に憧れられる存在が、【同世代の支持を受けて人気者=カリスマになった】という点で決定的に異なるのである。
■ SNS全盛 ‘‘カリスマ歌手 不在時代‘‘の到来 ■
西野さんの後は、『きゃりーぱみゅぱみゅ』のように女子ティーンのシンボル的な歌手は、いく人か出現はしたものの、これまでの、その時代を象徴するシンボルとはまた違った印象である。
例えば、きゃりーぱみゅぱみゅさんの場合は、原宿系というひとつの個性的なサブカルチャーが一般に知られた時のシンボルであり、あくまでも特殊なジャンルの人々のトップシンボルといったものだ。
もちろん、安室さんの時代も、浜崎さんの時代も全員がアムラーではなかったし、ギャルでもなかったことは言うまでもない。
しかし、その時代に10代~20前半を送った人にはどこかしらに彼女たちの影響があったり、後で振り返った時に共通の話題になるような、その世代特有の共有知識や空気感のようなものが少なからず存在する。
一方、きゃりーぱみゅぱみゅさんが、その地位を確立した2012年頃は、「インターネット」が大きく発達し、価値観や好み、ファッションや、スタイルが細分化した時代であった。
同じ世代でも、それらが、まったく異なるということも当たり前になった。
スマートフォンも、SNSの普及も加速した。
このような時代の中では、彼女は、よりニッチなジャンルのシンボルに過ぎないとも言えるだろう。
そういった意味では、『西野カナ』が、最後の‘‘カリスマ‘‘であり、それ以降のティーンの人気歌手は、彼女たちとはまったく別物と言えるだろう。
そして、そういった意味では、現在は女子中高生、若い女性のカリスマと呼べる存在は、不在のように見える
現在はインターネットが発達し、自分で様々な情報を得ることが可能になり、さらにSNSなどの発達によりマニアックな趣味であっても、仲間を見つけることも容易となった。
また、演者のほうも、スマートフォンだけあれば人前に出て活動することができる時代だ。
YouTubeやTwitter、インスタグラム、さらには、もっと、マニアックなSNSのみで活動しているティーンのインフルエンサーと呼ばれる人たちも存在する。
そのため、趣味や流行は細分化され、より深くマニアックになっている。
違う世代どころか、同じ世代でもまったく知らないということもリアルに起こり得るのだ。
テレビのように、公平公正な公共放送のフリをしながら、様々な利権と思惑にまみれた大手メディアに扇動される時代は終わった。
インターネットの発達によって、様々な問題やリスクを孕みつつも、我々は何でも自由に知り、発表できるようになった。
それは健全なことであり、正しい知識と判断があれば生活を豊かにし、とても有意義なものとなる。
『安室奈美恵』や、『浜崎あゆみ』が、ブレイクから20年近く経った今でも、大きく取り上げられているのは、本人の努力や才能によるところが大きいだろう。
ずっと活動を続けてきた、努力の賜物である。
ただ、それだけではない。
往年の歌手や、ロックバンドの再始動や再結成が、近年、大きな話題となっているが、それは、その時代を象徴する存在であったからこそだからだ。
インターネットが社会に広がる前、メディアによって、世間がひとつの方向に扇動されたからこそ生まれたパワーでもある。
趣味趣向や、流行が、細分化され深く狭くなった2010年代半ば以降に、全盛期を迎えた今の時代の音楽アーティスト達が10、20年後、またはもっと先の時代にこのようなパワーを有しているかと思うと少し寂しいような気がする。
特に歌姫、ティーンのカリスマというのはその時代の象徴であり、ある種の‘‘共通言語‘‘でもある。
大手のメディアがAKB48をいくら「国民的アイドル」と煽っても、即座にインターネット上で「まったく国民的じゃない」という意見が何倍も出る時代である。
今の時代の彼女たちのカリスマは、安室奈美恵や、浜崎あゆみといった『絶対的なスター』でもなく、西野カナのような『共感型スター』でもないのかもしれない。
そもそも、現代の女子ティーンは、歌手にそのような部分を求めていないのではないか。
有名人やアイドルなどに影響を受けながらも、それと同列的に、「インスタグラム」や「TikTok」の人気ユーザー、人気の投稿・トピックスを少しずつ、かじっては消費し、自分のライフスタイルを組み上げ、常に変化していくのが現代のスタイルと言える。
流行に敏感で、共感性が高く、流行がつくられやすい傾向のある女子中高生世代、ティーン世代であっても、今や、‘‘カリスマ‘‘が生まれるのはそう簡単なことではないだろう。
『安室奈美恵』や『浜崎あゆみ』、そして、『西野カナ』は、
もう、二度と生まれないのかもしれない。
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