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僕が走る理由

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そうとうお久しぶりです、だーぴよです🐣

前のやつ→ https://note.com/daapiyo/n/n971e5ea56c03


前のやつとめちゃくちゃ同じようなことも書いてる気がするけど、これはこれでこの度考えたことだから、また書きます(笑)


質問箱的な匿名性の自由に誰でもコメントを送れるアプリを始めてみたら、こんなコメントが来ました
「最近走るモチベーションが無くなった」

このコメントを見て、僕は考えてしまった、考えさせられてしまった。僕はなぜ走っているのだろう、と

新型コロナウイルスの影響で、2月後半からレースが消え、僕自身も走る予定だったレースが4つ中止になった。そこで、2週間走るのを辞めた。走る気がなくなったのだ。

僕ら「ランナー」は、基本的にレースがあり、目標があり、それに向かって走っている。目標達成に向けて、辛い練習も乗り越えられるし、時には飲み会の誘いや遊びの誘いも断って、自分を追い込む。
モチベーションの消失はその「目標」となるものが突然消え、走る気もなくなった、ということだろう

こういう「走る気がなくなる」場面はほかにもあって
・故障をして走れなくなった、そしてそれが長く続く
・メンタル面の不調
などが挙げられる
人間とは弱い生き物で、誰しも楽な方に逃げてしまう習性があるように思う。飲み会や遊びなどの誘いに行って練習をしないということもあるだろう
しかし、ここで思うことは「そこまで無理してまで走らなければならないのか」ということである

僕は実業団選手やプロアスリートではないし、体育会で活動している訳でもない。箱根駅伝を夢見てはいたが、金銭面で部活に入れずサークルで走る一大学生、いわば市民ランナーである。一般的に見たら、無理してまで走る必要はないだろう

そもそも、僕は新聞奨学生というものをしていて、配達、大学を両立しながら競技をしている。周りの人にはよく「なんでそんなに大変なのに陸上を続けているのか分からない」と言われる。確かに、普通に考えたらクレイジーだし、わざわざ辛いことをプラスするなんてありえないはずだ
でも、僕は走る

なぜだろう

僕は中学の時も高校の時も家庭の事情で最後まで満足に部活が出来なかった過去がある。加えて、大学でも部活に入れなかったという「悔しさ」がある
この「悔しい」という感情は人を動かす大きな原因であるように思う。僕の憧れる男子マラソン日本記録保持者・大迫傑さんも「やっぱり悔しさがあって、次に進めるということがあるので」(陸上競技マガジン4月号より)と語っている。

それともうひとつ、僕の数少ない「輝ける場」だから
小さい頃から特にスポーツはやっておらず、何か秀でたものがある訳でもなく、、努力が実を結ぶ長距離に楽しさを見出した。誰かに褒められる訳ではなくても、自分の中で満足出来る結果が出せれば、生きている中でこれほど幸せなことはないと思う。その中で、周りの人にも認めてもらえるならなおのこと幸せだと思う。
また、走ることで人と繋がれたり、コミュニケーションを取ったり、新しい楽しみ方もここ数年で発見出来た。

ここまで色々書いてきたけど、

僕は別に速い選手ではないけれど、自分が満足するために競技をやっているのだなと、思うわけです




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