信玄の第二次駿河侵攻
まだ、徳川家康が今川氏真と和睦を結ぶ前の出来事。
第一次駿河侵攻で北条氏が介入してきたせいで、駿河の領土を攻略できなかった武田氏は、引き返した後、標的を北条氏に変えて、風林火山のごとく侵略を進めていった。
北条勢も駿河を守り抜くべく、守備堅く配置されていた。
あっという間に駿河を奪還することになる。さすが、武田信玄である。
同じ時代に生きていたとすると、敵にはしたくない人物だな、と思う。
時系列でいうと、わずか1年弱(8か月)ほどで、北条氏が守備していた駿河郡を武田氏が攻略したことになる。
この時期は、度々織田信長に近寄って書状を出していたが、それは足利義昭という将軍を庇護していたからだろう。
織田信長単体であれば、決して歩み寄ることはなかったんだろうな、と思う。
このような大きくて畏怖する存在が身近にいた徳川家康。
敵には回したくない相手だろうと思うとともに、ここまで強いと、いずれ攻め込んでくるだろう、と思わされてしまう。
関東の雄・北条氏康率いる北条家相手にいとも簡単に駿河を取り戻す。
ただ、前回も記載したように、徳川家康はこの時26歳。若さもあり、「勝てない相手はいないだろう」とここまで順調に領土を広げた自分に対し、才能に溺れてしまった部分もあるかもしれない。
このあと、三方ヶ原の戦いに続く。