論語と算盤~第6章 人格と修養~
「興国安民法」の廃止について、相馬藩の富田久助、志賀直道(志賀直哉の祖父)の二人が西郷隆盛に面会し、「興国安民法」の廃止を取り下げるように頼み込んだ。
それを引き受けた西郷隆盛は、大久保利通さんや大隈重信さん、井上馨さんでは受け付けてもらえないが、渋沢栄一氏ならば聞き入れてもらえるかもしれない、と思い尋ねられた。
渋沢栄一氏も「興国安民法」は優れた法であることを認めたうえで、
と西郷隆盛公に言い返しました。それを聞き入れた西郷氏は何も言わず、静かに帰られたそうです。
その姿を見て、
西郷隆盛公は現在の鹿児島県出身。古くから島津家が統治している場所です。大河ドラマ”西郷(せご)どん”を見ましたが、下の者から慕われている姿が印象的でした。
大久保利通も同じ鹿児島県の出身ですが、二人は征韓論(韓国を攻めるか、国の内政を重視するかの議論)で大きく割れてしまいます。西郷さんはどちらかというと、周知を集めて物事を進める性格、ようは相手の意見をよく聞くタイプなんですね。大久保利通は上の意向に忠実に従うタイプ、同志はライバル、と見てしまうタイプ(人のためになる意見を採用せず、あくまで位の高い者の意見に引っ張られてしまう)である、と私は分析しています。
大久保利通公も立派な偉人ですが、井上馨、渋沢栄一などは大久保利通公の進め方に異論があり、政府を出ています。
私自身、明治政府に関することがさほど詳しくないため、興味が湧いてきたら、改めて研究してみようと思います。
私は実践するにあたって、思うことがあります。それは、「命まで取られることはない。だから若い時はたくさん挑戦してたくさん失敗しよう」です。
昔の戦国時代は、一瞬の判断の誤りが自分の命、人の命を失うことにつながっていました。豊臣秀吉の兵糧攻めで有名な鳥取城攻めは、その最たる例です。山名家の家臣が豊臣秀吉を裏切らなければ、人が人を食う、という事態が起きたように、たくさんの餓死者を出さずに死んだのに…、有能な武将が切腹する必要がなかったのに…、そう思います。
しかし、今の時代では例え大きな失敗をしても命を取られることがありません。もちろん失敗をしたら落ち込むし、「明日会社に行くのが嫌だな…」「どんな怒られ方するんだろうか…」と様々なマイナス感情が生まれます。松下幸之助氏も、「常に勝ち続けてはいけない。二つ勝って、一つ負けるくらいのペースが丁度いい」という言葉を残しています。
人は失敗をし、そこから逃げないことで助けてくれた人、心無い言葉を吐き捨てる人、傍観する人、様々な人の有り様が見えてきます。その経験が後々になって、自分を支えてくれる人なのか、突き放す人なのか、という目に代わってきます。目の奥が深くなる、という言葉が合っているでしょうか。
自分は「若い時の苦労は買ってでもせよ」という名言をずっと心に留め、生きています。20代の時はよく、卑屈になって周りを羨んだりしていました。
それでも、「何が自分にいけないところなんだろう」と常に考えて生きていたら、今の奥さんに「あなたは何もかも中途半端。一つずつ丁寧に物事をこなしていきなさい」と教わり、そこからは「まず一番身近な人を大事にすることから始めよう」という考えに切り替わりました。
その経験を経てから、自分の人生が徐々に好転していきました。
もちろん、人間すぐに変わることは出来ず、まだまだ至らぬところばかりですが、20代の自分よりも、遥かに豊かな人生を送っている自信があります。
今の時代、一般の家庭では学校の勉強をした後に塾の勉強をする、そして高校や大学に行くという風に、成人するまでにある程度の教養は身につけることのできる時代です。
勉強をする環境は昔よりも遥かに整ってきている昨今、「現実」9割、「理論」1割という感覚で、どんどん行動を起こすべきではないか、という自論を持っています。
実践を通じて人のありがたみ、大切さ、人がいるから自分が満たされる、支えられる、という感覚を養うことが、現代の「現実と理論の調和」につながってくるのではないか、と思います。
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