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己を責めて、人を責めるな

自分自身を疑う、ということ

前職時代の経験

私の前職時代、よく叱られる経験をしていました。
今となっては、あの頃に𠮟って下さったこと、心から感謝しています。

その中の一人から言われた言葉で、私にずっと残っている言葉があります。

「俺は自分のことを一番疑っている。自分自身を信じていない」

その時は自分の仕事のミスや態度の悪さなどが原因で、個室に呼び出され、叱られていました。

その当時は、ただただ自分が怒られたことに対して自分のことを否定されている、と勘違いして泣いていました(本当にその方の目の前で「なぜここまで否定されるんだろう…」と号泣してしまいました…)。

でも人間本当に不思議なもので、その人のことを思って叱って下さった言葉と、ただただ不機嫌で叱り飛ばしている言葉ってなんとなく理解できるもんだなと思います。

今では、この言葉が自分の座右の銘に近い状態にまでなっています。

私にとって、その言葉の本当の意味は、

「自分自身の中に一番初めに出てくる感情は、自分よがり(自分中心)の考え方によるものだから、人に迷惑をかけることにつながる。だから、自分の中から湧いてきた第一感情は否定せよ。強烈に否定できればできるほど、人のことを思った行動が出来る」

ということなのかなぁ、と自分なりに思っています。

自分自身のことって、本当に分からないし、都合の良いことしか頭の中に残っていない。感情の赴くままに仕事をすると、ゆくゆくは人に迷惑が掛かった仕事をしてしまう。

だから、「自分の今の考え方は間違ってるんや。もっと考えろ。もっと全体を見ろ。今、何をするのが一番いいんや。何が足りていないんや。」と否定をすること。このことが大事なんだととても強く思います。

人を守る、ということ

人のことを見るとき、その人の言動を見ることもあるし、行動を見ることもあります。
弱い人間は、人を守ることが出来ず、どんどん舐められてしまいます。
厳しい社会です、時には弱肉強食の性格を持つ社会です。

捉え方は本当に人それぞれあります。それは、育った環境や経験から学んだことがそれぞれ違うからです。当たり前のことです、それを否定しだすと、その人の人生を否定することになります。

また、前職のその人からの言葉で、

「支社長や周りの部長から怒られるのは、周りの人が注目してしまうし、その人たちからの評価を下げるきっかけになるだろう。だから、その方々から怒られるんじゃなくて、下っ端の自分から、目立たない場所で怒られる方がいいんだよ(その時は個室に入って怒られていました)。」

と言って下さったこと(うまく伝わっていなければ、申し訳ないです。深い意味があります)です。
今になって思うと、その方なりに自分を守ってくださったんだな、と思います。

人は、怒られている人を見ると、「何かやらかしたのかな」とか「あの人って使えないんじゃ…?」という感情になります。

そうならないように、個室でしっかりと諭すように、自分の行動を改善させるために教えてくださっていたんだと思います。

叱ることは本当に難しいし、時間をかけないと分からない時があります。
僕がそうでした。

若い時に多く叱られた経験を持ったお陰で、たくさんのことを優秀な方々から教わりました。

その経験を活かしたい、と今では思います。
自分が仕事や人生で結果を出すことは、その人たちに対する恩返しにもなります。

若い時のどうしようもない奴だった頃から変わりたい。

一つ一つの言われたことを自分のペースでゆっくり変わっていっています。

そして、自分自身の存在で、人を守り、頼られる存在になりたいです。
ただ、強い言葉を言える人になるだけではいけない。
強い言葉に裏打ちされた深い愛が無ければいけないと思います。

その人や、その人以外にも自分のことを思って叱って下さった方々のためにも報いることが自分の人生の宿命だと思っています。

徳川家康公の名言「人は生かさず殺さず」

「人は生かさず 殺さず」

自分は、この言葉に深い意味があると思っています。
徳川家康公が生きた時代は、いつ死ぬか分からない時代。家康公自身もたくさんの人の死を目のあたりにしてきたと思います。

この言葉は、そんな時代に生まれた言葉です。

人は生かさず▶人に厳しくする、という接し方のより厳しい表現
人を殺さず ▶人に優しくする、という接し方のより厳しい表現

だと、私は思っています。

上に立つ者の心得として発言された言葉です。
今の時代でも分かりやすいことですが、ただ甘やかしすぎると組織は慣れ合いになって、大きなミスを引き起こし続けます。

ただ厳しすぎると周りの部下の精神が病み切って、問題のある組織と言われてしまいます。

だからこそ、バランス良くあり続けなければいけません。その根底にあるのは、”愛”だと自分は思います。

愛があると、(ここで厳しくしなければこの人は必ずミスを引き起こすな)であったり、(ここで優しくしなければ、この人はつぶれてしまうな)という感覚が見えてくるかと思います。

改めて、徳川家康の時代は明日死ぬかもしれない、という時を過ごしています。今の時代のように、殺されることはないから、「ここで厳しくしよう」「ここで優しくしよう」なんていう生半可な、上から目線のような考え方をしてしまうと、足元をすくわれ、殺されてしまうかもしれません。

だから、もっと強烈な想いで、「人を生かさない、殺さない」という理念で部下に接していたんだろうと思います。

そうすることで、「間違ったことを安易にすると殺されるかもしれない」、「これ以上本気を出せない。これでもまだ無理難題を言うなら殺してやろう」と思う部下たちに対して本気でぶつかり合うことができ、従わせることができたんだろうな、と思います。

「己を責めて、人を責めるな」

最後に、この言葉を考えます。

人を責めだすと、キリがなく色々と出てきます。
でも、ある時ふと思いました。

「自分はどうなんや…?」「自分は誠実に、嘘つくことなくその人と話したか…?」

そう投げかけた時、自分も相手が求める行動をとれていないことに気付きました。そんな時、前段で書き記した、「自分自身の考えを否定する」という言葉に行き着きました。

自分を否定することは簡単なことじゃない。でも、それでも人のことを責めずに自分を責めなければいけない、と思います。

怒りの感情や焦りの感情、落胆の感情は全て”否定”して、自分自身が冷静な状態の時に判断をする。

そうした行動をとることこそ、「己を責めて、人を責めるな」という行動がとれるのだと思います。

戦国の世を生きた人の言葉も、今の社会で活躍している人の言葉も、立派な人の言葉はずっと残るものだな、と感じつつ今回はここまでとさせていただきます。

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