小豆坂の合戦
松平家内も統治がかなり不安定なことが分かる場面。通常であれば、そのまま滅亡の一途を辿るような展開。
しかし、そうはならなかったのが、不思議なところ。
やはり、天はいるのかと感じさせられる。
松平広忠も負けてはいなかった。勢いづいた松平信孝を返り討ちにし、信孝を討ち取ることに成功した。
この時、家康は6歳で既に織田信秀の元にある。
一説によると、本来家康は今川氏の人質になるべきところを織田方に奪われてしまった。その報復のために安城城を攻めて織田勢の人質を確保し、家康との交換を狙った、という考え方がある。
そのため、今川家きっての智将・太原雪斎を筆頭に攻め立てた、という見方。
三河の統治は、今川家にとっても念願であるため、その国主である松平家の嫡男は確実に今川の元で教育し、統治をさせることを念頭に置いていたであろうから、今川家も焦ったことに違いない。
そういった大人の事情が絡んでの合戦だったのだろうと私も思う。