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ゆっくり話しましょう、未来を築くために『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』

今回は『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』のお話。
 
昨日観てきましたが、前作を上回る傑作でした。
 
音を頼りに獲物を襲うエイリアンによって、文明的な世界が崩壊した世界。音を立てられないという過酷な状況の中、ある家族が生存をかけて戦う物語。
 
2018年公開の前作はその世界観作りの妙と、エイリアンに太刀打ちするための切り札が、聾唖(ろうあ)者が使用する補聴器から発せられるハウリングであることが素晴らしいと感じていました。
 
健常者、一般人、どのように表現してもよいのですが、五体満足で五感が正常に機能している“マジョリティ”という人々が創造する社会の中で“障害”とされる聾唖を持つ子供が、この音を出せない世界では最大の救世主になる。
 
これは「音が出せない状況になってしまった」という世界の逆転に対し、その対抗策が健常者(強者)と障害者(弱者)という先入観、価値観の逆転によって解決するという、実はとても社会への風刺が効いた作品でもあるのです。
 
その前作をいかに超えてきたのか?
今回はそのお話をします。
 
今作の最大のテーマは『ゆっくり話しましょう』だと感じました。
 
劇中の序盤、物語が大きく展開するシーンで聾唖の女の子リーガンは「ゆっくり話して」と、自分を助けに来たエメット(キリアン・マ-フィー)に語りかけます。
 
彼女は聾唖で耳は聞こえないが、手話もできるし会話の口を読んでコミュニケーションができるのです。
 
“ゆっくり話すこと”がリーガンとエメットにとっての対話であり、それ以上に聾唖の彼女がエイリアンへの唯一の対抗手段を握っているということは、それこそが世界を変える鍵なのです。
 
さらに、ゆっくり話すことを強いられたエメットは、リーガンからそう言われて初めて他者の立場に立つことを意識し始めます。
 
ゆっくり話すことを通じて、相手へ自分の思いが伝わるように声をかけること、自分とは違う立場の目線で世界を見ることの大切さが描かれています。
 
その対話によって登場人物の視点の変化や交換が行われ、彼らは未来への希望を再び抱くように至ります。
 
“ゆっくり話すこと”これって実はもうすでに健常者とか聾唖者とか関係なく、人と人とが対話をするときには多かれ少なかれ必要な気遣い、心遣いですよね。
 
こんなことを思いながら今作を見てて思ったことは、最近「何分で話せ」とか「できるビジネスマンの効率的な○○」的なスピード重視のタイトルや文言のメディアが目立ちますし、マウンティング、論破などの過度な強者弱者などの二極的な区分けや、何事も分かりやすく事をまとめてしまおうといった価値観、世界のその先をこの映画は描いているようにも感じました。
 
ゆっくり話して、考えて、分かろうとする思いやりが、良き未来を創るための努力でしょ?
 
そんな風にこの映画は訴えてくるような気がしました。
 
最後に宣伝ですが(笑)、今夜は21時からYoutube映画レビュー配信をします!
 
今作、音出したらダメ!な『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』と、殺しちゃダメ!な殺し屋映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』の二作を、禁止事項多めのダメダメ続編映画(作品がダメという意味じゃない!)特集として取り上げます!
 
『クワイエット・プレイス』では更に家族映画としてどう描かれているのか?『ザ・ファブル』は邦画アクションとして何が素晴らしいのか、前作との対比をしながら、語り尽くします!

【#138】『ザ・ファブル 2』『クワイエット・プレイス 2』【殺しも音出しもダメ!ダメダメ映画特集!】 

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