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としまえんの思い出

今日、としまえんが閉園する。

小中学校を練馬区大泉の学校で過ごした自分にとって、としまえんは身近な存在だった。

毎年夏になると必ずとしまえんのプールに行っていたし、夏は閉園後に花火をあげてたから、その花火をみるために、光が丘のマンションの14階に住んでた祖父母の家によく遊びに行ってた。

祖父母と一緒に夕飯を食べたあと、決まった時間に、少し遠くから花火のドン、ドン、という音が聞こえはじめる。それを合図に家族みんなでベランダに出て、しばらく一緒に花火をみる。スターマイン、って言葉を生まれて初めて聞いたのは、そのベランダだと思う。チカチカチカって一番眩しい花火が終わりの合図で、それが出ると、あーもう終わっちゃうんだ、と思って少し寂しかった。

小学校の頃、初めて子供だけで行った遊園地も、としまえんだった。友達の誰かが「木馬の会」という年パスのようなものに入ってた。一人が会員に入ってると、当時は一緒に行く人もみんな500円で乗り放題だった。

コークスクリューとかサイクロンとか、空いてるときは連続で何度も乗った。シャトルループは初速のGがすごくて、一回転するところよりも、スタートが一番怖かった。

屋内には体験型のゲーセンがあった。ポリバケツみたいなのにボールをすくって投げてドサドサ入れるゲームとか、カエルが乗ったバーの先をハンマーで叩いて、前方にある池の蓮の花の上に飛ばして乗せるゲームとか。男子だけで行ったときは白熱した男の戦いがあったし、クラスメイトの女子と一緒に行ったときは、それはそれでいいところ見せたいみたいな、別の男の戦いもあったような気がする。

フライングパイレーツは結構苦手だった。そもそも三半規管が強くないから、みんなに合わせて頑張って乗った。大きいフライングパイレーツのミニ版みたいなのが、端っこのほうに別にあって、それも実は侮れないくらい、ぐわんぐわん揺れた。なんか妙に覚えてる。

夏にプールに行くときは、車で自宅から浮き輪やシートを持っていく。決まって駐車場は裏のほうの「プール入口に近い駐車場」に停めてた。もう少しおとなになって、子供同士だけで電車で行くようになってから、としまえんの正門は豊島園駅からすぐの、いつもの駐車場とは逆の方にあることを知った。でも、幼い頃は、家族であの裏から入るのが、としまえんの景色だった。

開園前に、その裏の方の駐車場からプールに向かうと、豊島園駅の方から歩いて来る人よりも早く入れたりして、なんか嬉しかった。うちのお父さんはみんなが知らないこの裏技を知っててスゴイ、とか思ってたな。

屋外の青空駐車場だから、フロントガラスをサンシェードで覆わないと、帰るときにハンドルがめっちゃ熱くなる、っていうのはちょっとオトナになってから知ったこと。いつもサンシェードをトランクから出して、フロントガラスを覆ってる父親をみながら、そんなのいいから早く行こうよ、って思ってた。

自分に家族が出来て、子どもが出来て、車でとしまえんプールに行った時、全く同じことをしている自分がいた。なんだか感慨深いものがあったよ。なんでもないことなんだけど。

プールは、波のプールとか子どものプールとかプールによって水温が違う。各プールの水温が、入り口の掲示板に書いてあった。競泳用のプールはちょっと水温が冷たい。流れるプールは、日陰のところは結構冷たかった。

奥に行くとどんどん深くなっていく波のプールは、ちょっと怖かった。父か母が一緒じゃないと行っちゃいけなかった。自分の足が立たないところで、二人用のでっかい浮き輪で浅黒いカップルがキャッキャしているのをみながら、あれがオトナなんだ、とか思った。

流れるプールは、水が勢いよく出てるところがある。その近くでプールの縁を手で掴んで耐えて耐えて、一気に水の勢いとともにビューンって行くのが楽しかった。流れるプールに足が立つようになったのは、いつだったんだろう。気づいたら流れるプールでも足が立つようになってた。



今日、としまえんが閉園する。


ベランダから花火をみた、光が丘の家は今はもう無いし、
一緒にみた祖父母も、もういない。

でも、
こうやって思い出して、文章にできるくらい、
心に残ってるから、いいよね。

ありがとう。としまえん。

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