【続報】カルシウム不足=イライラ説の起源についての継続調査
皆さん、カルシウムとってますか。私は乾きものはアーモンドカルをよく食べます。
さて、以前私はカルシウム不足がイライラの原因となるという俗説の起源についてリサーチし、2つのnoteに分割して調査の報告をしました。「イライラの原因はカルシウム不足という説の起源」という記事と「川島四郎とフードファディズム」という記事がそうです。
前編にあたる「イライラ説の起源」の記事では、まずTBSテレビで2018年9月25日に放送された『この差って何ですか』という番組で紹介された説を紹介し、それを乗り越えるべき従来の説とすることで自論の展開をしました。少し具体的にいうと、TBSテレビはある雑誌に掲載された「ストレス社会の原因はカルシウム不足」という1975年の記事がイライラ説の起源だとしましたが、私はそれよりも古い1972年の毎日新聞に掲載された記事が起源と主張したと、このような対立図式です。
TBSテレビは1975年説を提唱した番組の内容をネット記事として残しています。ここにもリンクをしておきましょう。
そして、実はTBSテレビは2012年6月13日の『まさかのホントバラエティー・イカさまタコさま』という番組でも1975年の雑誌記事がカルシウム不足=イライラの起源だという内容の放送をしており、言い出しっぺは『女性セブン』1975年4月28日号だと特定までしていたということです。この情報はOKWAVEというコミュニティサイトで「カルシウムはなぜイライラにいいのですか?」という質問にjhayashiさんというユーザーが回答した書き込みから得られました。
それならば、ということで国立国会図書館に赴いたところ、『女性セブン』1975年4月28日号に「春の健康と美容管理事典」という特集記事が掲載されているのが明らかになりました。TBSの番組では「ストレス社会の原因はカルシウム不足」という内容の記事だったと紹介されていましたが、実際は新人OLに向けた美容と健康管理の記事であって、ニュアンスはやや異なります。
特集記事の表紙をめくると「4月、5月はあなたも危険!自殺しないための自己管理法」という小見出しが目に飛び込んできます。表現はやや直接的すぎる気もしますが、入社や転勤などで新しい環境に変わる時期にメンタルヘルスを大事にしましょうという呼びかけは、当時としては先駆的な考えだったのではないでしょうか。
次の見出しは「OL1年生がおちいりやすいイライラウツウツ——ノイローゼ完全解消法」となっており、メンタルヘルスを扱っているのはこの箇所までの4ページ分です。この4ページの中で「ストレス」という言葉が出てくるのが3回、それに引き換え「ノイローゼ」が出てくるのが14回となっており、1975年における精神の不調を表現する語彙の傾向がうかがえます。そして、記事中でカルシウムが取り上げられているのもノイローゼ対策としてなのです。記事の該当部分を以下に引用します。
まず唐木秀夫という人物が何者なのか、この記事を読んだ時点で私は一切知りませんでした。ですが、この時に私がいたのは調べ物の殿堂、国立国会図書館です。慌てず騒がずNDL ONLINE(国立国会図書館オンライン)で所蔵資料を検索し、まずはデジタルコレクションでデジタル化されている館内限定の雑誌記事をパソコンから閲覧します。
するとまず1956年5月の『実業界』という経済雑誌にプロフィールを見つけました。社会的・経済的地位のあった人たちを紹介する記事で、どうやらこの雑誌はいわゆる紳士録的な性格もあったのかもしれません。
記載された経歴では東京医大をトップで卒業、在学中は学生会委員長や総代として活躍し関東学生乗馬連盟の花形でもあった。近年は“精神と肉体”、“子供のノイローゼ”などの講演会を開き、抜本的な人間改造の科学を提唱し、各方面から深い共感を呼んでいる、とこのような内容です。この時の肩書きは唐木病院長/医学博士・法学士唐木秀夫となっています。
この経歴記事から18年後、1974年の『週刊平凡』7月11日号に、唐木秀夫医師の人物像の理解が一気に深まる情報が掲載されていました。【今週のフレッシュトピックス】のコーナーで「郷ひろみが、なんとこっそり人間ドックに入っていた!」というニュースと並んで「『おもろい夫婦』の人気ドクター唐木秀夫センセイが6890万円の脱税容疑!」と見出しは伝えています。
記事によると、この報道の一年前の1973年9月から「唄子・啓助のおもろい夫婦」というテレビ番組の“お見合いコーナー“に唐木医師は出演していました。番組での唐木氏の役割は、お見合い希望者の健康診断から性格診断までを専門家として鑑定をして、結婚相手としての資格に太鼓判を押すことでした。彼のおかげで約40組のカップルが縁談を成立させており、“縁結びの神”としてお茶の間の人気者になっていたとあります。
《それにしても、その先生が、6890万円もの脱税とは…!いやそれとともに、あの若々しくダンディーな唐木ドクターが、じつは67歳だったなんて…!》という記事の文章から、唐木氏が1974年の時点で67歳だったことがわかります。おそらく明治40年の生まれでしょうか。
さらに、唐木医師は新宿の四谷で西洋医学と東洋医学の融合をはかる、新しいタイプの医療を提供するクリニックを経営していたそうです。そこに通う患者の中にはタレントも多く、「おもろい夫婦」の“お見合いコーナー“はこうした唐木氏の個人的な信用によって成り立っていた部分が大きかったため、お見合いコーナーの消滅もやむなし、と記事は結んでいます。
以上の情報をまとめてみると、標準的な医療の枠にとどまらない独創的な理論をもとに人間改造(体質改善)に取り組んでいた、芸能界やマスコミに独自のパイプを持つタレント医師というような人物像が浮かび上がってきます。
国税局の調べによる脱税容疑の顛末がその後どうなったかについて追ってはいませんが、税金の申告漏れについて報じられた1974年と翌年の1975年に、唐木秀夫氏は一気に大量の本を上梓しています。その全てが食事と栄養にまつわる健康法についてのものなのですが、以下に私がインターネット検索によって確認できた5冊の本のタイトルを列挙してみましょう。
『臭くない食べ方! にんにく健康強精入門』1974年
『らくらく受験健康食—ここ一番はこれで充分』(本多京子と共著)1974年
『ハツラツ食事健康法』(本多京子と共著)1975年
『体質改造健康法』1975年
『作り方と食べ方! 絶対健康食入門』(本多京子と共著)1975年
共著者の本多京子氏は管理栄養士であり、この人とコンビを組んだ本ではカラーでたくさんの料理の写真が掲載され、レシピ本としても活用できるようになっています。上記のうちの1番、3番、5番の本は国立国会図書館に所蔵されていました。すでに読者の方もお忘れかもしれませんが、私はまだ国立国会図書館内の閲覧用パソコンの前に座っています。すぐにパソコンから資料利用のリクエストを送信して、本館の図書カウンターに移動して書籍を受け取りました。
第一閲覧室に移動して3冊の図書をざっと読んでみると、唐木秀夫氏が1975年の『女性セブン』の記事で「ノイローゼの人の血液はほとんどが酸性になっています」などと言っていた理由が理解できました。
というか、酸性という字を見た瞬間からすでに分かっていたのですが、
これは【血液酸塩基平衡説】です。
「血液酸塩基平衡説」とは、戦前の大阪帝国大学の病理学の教授であった片瀬淡という人が提唱した学説で、健康の維持・増進には血液を弱アルカリ性に保つことが重要だとする考えのことです。
そもそもホメオスタシスによって健康な人間の血液のpH値は7.35~7.45の間で保たれているはずですが、この学説の支持者は食事に含まれるミネラルによって血液は容易に酸性“傾向”になったりアルカリ性になったりするので、アルカリ性のミネラルを多く含む食べ物をとることが健康に不可欠だと主張します。
とりわけ、アルカリ性のミネラルの中でも特にカルシウムを積極的に摂取するよう勧めるのですが、その理由の一つは唐木医師も述べているとおり、砂糖が体内のカルシウムを消費して万病の元となる酸性体質にさせると思っているからです。これ以上の詳細については、拙note「川島四郎とフードファディズム」を参照していただきたいですが、はっきり言って疑似科学です。
私の提唱する1972年説の川島四郎も、この説の信奉者でした。というわけでTBSと私との論争の行方は、カルシウム不足がイライラの元となるという俗説は、元を辿ればいずれにせよ片瀬淡に行き着く、ということで一応の決着がつきそうです。あるいは、1970年代以降に複数の論者が「血液酸塩基平衡説」を普及させていたのが、また一つルートが判明したとみてもいいでしょう。
とはいえ、大枠では共通しているものの、それぞれの論者によって違っているところも見られます。今回新たなルートとして発見した唐木秀夫医師ですが、彼だけの特徴としてアルカリ性食品健康法の源流をフランスの病理学者クロード・ベルナールの「体質病因説」になぞらえて説明している点が挙げられます。さらにまた、マイナスイオンというニセ科学とも接続させる興味深い記述も発見できました。『ハツラツ食事健康法』の第5章「さようなら酸性人間」にそれは書かれています。
ところで、今回たまたまTBSテレビの説を検証するために手にすることとなった『女性セブン』1975年4月28日号ですが、この号には偶然「有吉佐和子さんが『複合汚染』で提起した問題点を総ざらいする」という特別企画が掲載されていました。
気が滅入りそうな黒い胎児のイラストと共に、「米、洗剤、卵、漬物が奇形児を作る“恐怖“」という扇情的なタイトルが冠されているのですが、今回取り上げたような疑似科学、ニセ科学が流通しはじめた1970年代という時代の背景には、公害問題への不安や科学不信があったことは、見て見ぬふりはできないでしょう。この先、もっと整理がついた暁にはこうした時代背景についても取り上げたいと思います。
最後に、「唄子・啓助のおもろい夫婦」とは、ウィキペディアによると本来は熟年夫婦を招いて司会の京唄子と鳳啓助がインタビューをする番組だったそうです。ですが1969年から1985年まで放送された長寿番組だったそうで、番組を知ってはいてもお見合いコーナーの企画は記憶にないという人が多数派な気がします。もしどんな感じだったのかご存知の方がいれば、ぜひ教えていただきたいものです。
ポテチン!