見出し画像

だと思う広告


『TVブロス』2016年8月掲載のコラムを加筆修正したものです。


 最近、「だと思う広告」が気になる。


 これは僕の造語で「『○○は、☓☓だと思う』という形式のキャッチコピーが使われた広告」のことだ。この説明で「ああ」と思った人は多いのではないか。誰もが一度は見たことがあるはずだ。


 たとえば、タバコのポイ捨てをやめよう、という広告に、こういうキャッチコピーが付く(これは架空です)。


 旅行会社の広告だと、こう(これも架空)。


 こういう感じの「だと思う広告」に触れると、僕はえも言われぬムズムズとした感覚に襲われる。優れたテンプレートであることは認めた上で、くすぐったく感じる。なぜだろうか。


 そもそも、あらゆる文章には「だと思う」が内包されている。ふつう、思っていないことは主張しない。小学生のときの作文指導でも「思いました」ばっかり使うなと言われた。思ったことを書くのが作文なんだから、と。それでもあえて「(私は)思う」をつけ加えるタイミングは、主張の内容を強調したいときだろう。メッセージを強く訴求する広告で使われるのも納得だ。


 しかし、この強調は逆の向きにも作用する。

 つまり、主張内容とは別に「思う」と言うことによって「特定個人の主張」であることが強調されるのだ。だから、企業のような組織的な集団が「だと思う」のレトリックを使うと、「こう思っている人はいるけれど、集団の総意ではないですよ」という、消極的な主張にもそのまま転換してしまう。


 広告は、それを広める組織の総意でなくてはならない。なのに「ボクはそう思うんですよね」みたいなニュアンスで意見を出してこられると、少し「なんなんだ、ちょっとずるいんじゃないか」と感じる。独り言のふりをしてチクリと小言をいう人がいるが、あの陰湿さに近い。

 たしかに、消費者の心に訴えかけるには最適なのだろうけど、安易に使いまくるのはどうなんだろうと少し思う。

 僕はそう思います。


月額の『ウーロン茶マガジン』か『黒ウーロン茶マガジン(50円高い)』を購読している人は、同日更新の日記で軽いあとがきを読むことができます。

スキを押すとランダムな褒め言葉や絵が表示されます。