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「疾れイグニース!」第3話

 「ま、負けた……」

 「ゴールは過ぎましたわ! ドラゴンを減速させて!」

 「!」
 
 呆然としていた炎仁は瑞穂の声でハッと我に返り、イグニースを徐々に減速させ、第二コーナーの手前辺りで停止させる。瑞穂が笑顔で声をかける。

 「よく出来ましたわ。スタート地点まで歩かせてクールダウンさせましょう」

 「は、はい……」
 
 炎仁は反転する瑞穂たちの後に続く。スタートまで戻ると、瑞穂はドラゴンから降りて、ナデシコプリティーの体を優しく撫でる。

 「引退させるのはちょっと早かったかしらね? お疲れ様。浅田君、お願い」

 「はい」
 
 浅田がナデシコプリティーを車の方に曳いていく。

 「……」
 
 炎仁も無言で降りて、イグニースの体を撫でる。瑞穂が苦笑する。

 「心ここにあらずね、それでは良くありませんわ」

 「え?」

 「ちゃんと言葉をかけて労ってあげなさいな」

 「言葉をかけてって……」
 
 困惑気味の炎仁に向かって、瑞穂は人差し指を左右に振る。

 「こういうのは意外と伝わるものなのですよ」

 「はあ……でも、何て言えば良いのか……」

 「シンプルに『良くやった』とかでいいでしょう?」

 「だけど、負けちゃいましたし……」
 
 炎仁は悔しそうに俯く。瑞穂がヘルメットを外して、髪をかき上げながら告げる。

 「君の勝ちですわ」

 「え、ええっ?」
 
 炎仁が驚く。

 「何を驚くの?」

 「い、いや、クビ差で負けていましたよ?」

 「へえ……分かったの?」

 「ええ、見えてましたから」

 「ふむ……熱くなりがちなゴール前でも冷静さを失わないとは……なかなか」
 
 瑞穂が顎に手を当てて呟く。

 「あ、あの?」

 「着差はそうですけど、わたくしは反則をしてしまったので……」

 「反則?」

 「ええ、これを一発入れてしまいました」
 
 瑞穂は右手に持った鞭をくるっと回して笑う。

 「あ、ああ、最後の激しい追い込みはそういうことだったんですか……」

 「そういうことだったのです。だから、このレースは君の勝ちです」

 「ということは?」

 「ええ、この牧場は君のものです」

 「よ、よっしゃ――!」
 
 炎仁は両手を突き上げながらその辺りを走り回り、喜びを露にする。

 「ふふっ、派手なパフォーマンスね、サッカー仕込みかしら?」
 
 瑞穂は微笑みながら炎仁を見つめる。ひとしきり喜んだ炎仁は肩で息をする。

 「……はあ、はあ……」

 「落ち着いたかしら? それじゃあ、ビジネスの話をしましょう」

 「え?」

 「浅田君」

 「はい」

  戻ってきた浅田が情報端末を瑞穂に手渡す。瑞穂は端末を操作して告げる。

 「紅蓮炎仁君、勝手ながら君のご家庭を調べさせてもらいましたわ……」

 「は、はあ……」

 「結論から述べますけど、君のご家庭の経済状況では、この紅蓮牧場を維持するのは極めて困難ですわね」

 「ええっ⁉」

 「家計を圧迫するっていうレベルの話ではありませんわ。ここは素直に牧場を手放されることをお勧め致します」

 「そ、そんな……!」

 「それがお利口な判断です」

 「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 
 詰め寄ろうとする炎仁を片手で制し、瑞穂は話を続ける。

 「君のご両親は牧場経営する意志はあるのかしら?」

 「そ、それは……」

 「無いでしょう。何よりそれぞれのお仕事が忙しいようですし」

 「……お、俺が経営します!」

 「ふふっ、やる気十分ね。そこで話は振り出しに戻ります」

 「振り出し?」

 「繰り返しになりますが、現在、この牧場の債務はわたくしたち、撫子ファームが全て引き受けた形になっております」

 「は、はあ……」

 「この牧場を継ぐというのなら、それをわたくしたちに払って頂かねばなりません」

 「う……は、払います! 何年かかっても必ず!」
 
 炎仁が力強く宣言する。

 「若者らしい意気込み、大変結構……金額はこちらになりますわ」

 瑞穂は端末の画面を炎仁に突き付ける。金額を見た炎仁は愕然とする。

 「ええっ⁉ こ、こんなに……?」

 「このドラゴン一頭を見ても、君のおじい様が優れたブリーダーだったということが伺いしれます。ただ、経営者としてはお世辞にもちょっと……」
 
 瑞穂は言い辛そうに首を捻る。

 「お、おお……」

 「君が三百歳くらいまで生きるなら払えそうですけどね」
 
 絶句する炎仁に瑞穂が追い打ちをかける。

 「……コ、コールドスリープとかすればワンチャン……」

 「無いです。大体、こちらが待てません」
 
 炎仁の苦し紛れの提案を瑞穂は切って捨てる。

 「そ、そんな……せっかく勝ったのに」
 
 炎仁が地面に両手両膝をついてうなだれる。
 
 「……一つだけ方法があります」

 「え?」
 
 炎仁が顔を上げる。

 「これです」

 瑞穂は端末を操作し、再び画面を突き付ける。炎仁は画面の文字を読み上げる。

 「『関東競竜学校騎手課程短期コース』……?」

 「騎手になるには普通は二年か三年かかるところ、このコースはなんと最短一年で競竜騎手になれます」

 「一年で……」

 「そうです。但し、難しい条件が二つあります」

 「二つ?」

 「ええ、関係者の推薦と、一年後新竜としてデビュー出来る競走竜の確保」

 
 「ま、まさか……?」
 
 立ち上がった炎仁に瑞穂は悪い笑みを浮かべて告げる。

 「紅蓮炎仁君、推薦人にはわたくしがなります。このイグニース号とともに、このコースを受講なさい。そして、見事競竜騎手としてデビューし、大きなレースを勝って勝って勝ちまくりなさい! その賞金で借金はあっという間に消えますわ!」

 「え、ええっ⁉」
 
 瑞穂の突拍子もない提案に炎仁はただただ驚愕の声を上げるしかなかった。

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