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自由連想法による文章練習【1】

 ぼくは何ものなのか。そのことを考える必要があるのか。たぶんないと思う。でも一応、考えてみようと思う。「一応」なんて前置きをしてしまっただけあって、まったく先に進めない。いや、「ぼくは全人類で、全人類もまたぼくである」というふうに、ぼくはいつだったか、そう結論したはずである。その結論が間違っているとは今も思わない。というか、そういってしまった時点で、ぼくはこのことをマジメに考えようとしていない。つまりぼくはこのことを考えたくないのだろう。考えるのが面倒くさいのだろう。たぶん、「ぼくは何ものなのか?」という、この定番染みた問いが、ぼくはすでに気に入らないのだ。ぼくに迷いはない。正確には、迷いをもてる「対象」がない。すべてがどうでもいいとかではない。すべてが、わからなさすぎるのだ。何から手をつければいいのか、ぼくにはわからない。何でも簡単に手がつけられるような気もする。そしてぼくは、目の前にある極めてどうでもいいことに、適当に手をつけてみた。書き出すまでが、かなりキツかった。こんなことを書いて何になる?という気持ちに、何度も負けそうになった。いや、ぼくはその気持ちに何度も負けた。なかなか勝てなかった。というか、勝つ意味(勝負する意味)がわからなかった。いや、今もまだちゃんとわかっていない。でも、それでいい。とりあえず勝って書いてみたそれは、なかなか良いモノのような気がした。少なくとも、悪くはないと思った。たぶんコレでいけると思った。ダメだったら、またやり直せばいい。ぼくはまだ三十代だ。もうすぐ四十歳になるが、上手くいけば、あと四十年位はいくらでもやり直せる。最近のぼくは晴れ晴れしている。何かを悟ったわけではない。ふっ切れたわけでもない。じゃあどうしてか。やっぱり、「ふっ切れた」というのが最も適切なような気もするが、そういうふうに言い切ってしまえるものではない、というより、そういうふうに言い切ることが、単純に悔しいだけかもしれない。だったら、「ふっ切れた」と、はっきりそう言うべきだろう。子供のように駄々をこねて着陸を拒むだけでは、たぶん駄目だ。それでは嘘になる。と、書きながら、ぼくは「ふっ切れた」ことについて、もうほとんど何も考えていない自分に気づいた。こうなるともう駄目だ。いや、頑張ってもどってみる・・・そう、「ふっ切れた」のことである。ぼくは晴れ晴れしている、何かを悟ったわけではない、ふっ切れたわけでもない・・・要するに、なにもわからないことがわかった――そう、コレである。ぼくはもう、わかろうとしないことに決めた。ぼくはもうぼくではない。ぼくにはもう人格はない。人格のあるぼくは、本当のぼくではない。目の前にあるものを見て、何かを思うぼくはぼくではない。ぼくはもう何も思わないはずである。いや、何も思わない自分を作りあげなければならない。ぼくの人格はもう死んだ。いや、殺さねばならない。人格さえ殺せば、たぶん何も恐れることはない。人格さえ殺せば、ぼくは全人類と共通になれる。というか、百歩進んで、ぼくはもうすでに全人類であることにしてしまおうと思う。全人類宣言。それはたぶん、宇宙とも繋がっているはずだ。だから宇宙に行く必要ももうない――ということにしてしまおうと思う。何かを変えようとしてはダメだ、何かを超えようとしなくてもいい、何かをただ見る、いや、感じる、いや、すべてと同化する・・・コレだ。たぶんコレでいい。で、問題はどうやって同化するか?ということだが、考えた途端にその方法はますますわからなくなる。じゃあどうするか。どうもしない。どうもしない。本当にどうもしない。ただ書くだけ。たぶんそれでいい。そしてぼくの書く手が止まった。つまり、何かを考えようとしているのだと決めつけるのは、ちょっと早い。手は止まっても構わない。だったら、手が止まったことを書けばいいのだ。止まった手(右手)は、ぼくの首筋を押さえた。その後、右手がどういう運動をしたのかを追ってみようとしたが、面倒くさくなってやめる。目の前には妻がいる。スマホでゲームをやっている。「ミュミュミュミュミュ・・・キュイ~~~ン」という音が、何秒かおきに聞こえる。外からは車の音。このまま進むか?いや、もう飽きたから別の入口を探そうと思う。ちょっと疲れたか。いや、歯茎が腫れているのがちょっと気になるだけだ。どんどん進もう。そのほうがいい。今日は雪が降っている。昨日も雪が降った。雪は白い。だからどうした?じゃない。雪は白いのだ。もちろん、泥にまみれて、黒くなったり茶色くなったりもする。でも、ほとんどの雪は白い。そう、それでいい。ぼくは今日、すぐそこの曲がり角のところで雪をみた。その雪に日差しが反射して眩しかった。曲がり角のところを曲がって、ぼくはそのまま真っ直ぐ進んだ。そのまま真っ直ぐ進んだところに、ぼくのアパートがあるからである。ぼくのアパートはボロい。雄二の娘に、どこどこのだれだれの家みたいだと言われて、要するに「おばあちゃんの家みたい」な感じでいわれた。ぼくが住む二階に上がるための階段のほとんどぜんぶの角には、大量の砂埃が積っている。蜘蛛の巣なのか綿ゴミなのか、判別がつかないヘンな塊もある。ぼくはそこでムカデを二匹殺した。ムカデは死ぬまいと必死だった。でもムカデは死んで、排水路の穴に落とされた。そうしたのはぼくである。階段で殺したムカデを、排水路がある一階の地面のほうまで、ぼくはほうきで掃き下ろしていった。ぼくは排水路の穴をのぞき込んで、中の水が左右のどっちからどっちのほうに流れているのかを見ようとしたが、暗くてよくわからなかった。とりあえず、右から左に流れていることにして、左の向こう側にある消防署あたりの下を、今頃ムカデが通過しているかもしれないことをぼくは想像した。歩道はオレンジ色の街頭に照らされていた。真横の国道には車がそこそこ走っていた。ぼくはムカデと同じ左のほうへ行くある車に狙いを定めて、排水路を流れるムカデと頭の中で競争させた。勝ったのは車だった。いや、信号が邪魔をすれば、ムカデが勝つかもしれない。ゴールは、左のずっと一番先に見える東岳ということにした。八甲田山より、東岳のほうが、雪景色が綺麗に見えるのは、たぶん木の量の違いだと思う。少し、寝たほうがいいかもしれない。寝て、頭がスッキリした状態のことを想像する。ぼくはまた目を覚ます。目を覚ましたら、ぼくはまた運動をはじめる。ぼくはもう駄目かもしれないと何度も思った。でも、今のぼくは、ちょっとだけ宙に浮いている。そのことについて、説明はしない。いや、何を説明する必要もない。とにかく、ぼくには目的も終わりもない。ぼくは死ぬまで回り続ける。いや、死んでも回り続ける。つまりぼくはもう死んでいるともいえる。ぼくは死んでも息をし続けるということである。ぼくは必ず死ぬが、絶対に死なない。そのことは、たぶん確実にいえる。ぼくはちょっと宙に浮いているから、もう怖いものはない。いざとなったら、もっと高く飛ぶというか、体を斜めにするとかいろいろ工夫すれば、たぶん大丈夫だと思う。

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