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希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第四話

 カギは、指輪を嵌めて喜び飛び跳ねるハコを嬉しそうに、そして悲しげに見る。
「ねえパパ」
 ハコが指輪を見ながらカギに尋ねる。
「んっ?」
「なんでお外に出る時しか指輪付けちゃダメなの?」
 ハコは、不思議そうにカギを見る。
 当然と言えば当然と言える質問にカギは何と答えるか悩む。
 一応、戸籍上ではカギとハコは夫婦となっている。
 ハコの祖母が生前にカギをハコの身元引受人、後見人にするに際して法律上で最も揉めない方法だからだ、と意思表示出来ないハコの代理人として手続きをしてくれた。
 まさか、こんな形でハコと戸籍上とは言え夫婦になるなんて思っていなかったのでカギは複雑に感じた。
 だから、ハコに結婚指輪を送るのも嵌めるのもまったく可笑しくはない。しかし、そんな理由を今のハコに話しても意味はないし、強いて違う理由を話すなら……。
「虫除けとお守りかな……」
 カギの言葉にハコは当然意味が分からず首を傾げた。
 そんなこんなと話している内にお客さんはやってくる。
 最初にやってくるのは商店街に買い物に出てきた主婦達。
 エコバッグに大量の食品を詰めて電動自転車を押しながらやってくる。夕飯の手抜きの為の一品、もしくはお昼に自分の胃袋に入れる為に。
 主婦達は物珍しい小籠包しょうろんぽうのキッチンカーに目を輝かせてながらシンプルな小籠包しょうろんぽうとチーズやトマト入りを買っていく。
 カギが注文を受け、接客し、ハコが汁が溢れないように丁寧に袋詰めしてお客さんに渡していく。
 ハコが「はいっどうぞ」と可愛らしい笑顔で渡すと主婦達も思わずほっこりした顔を浮かべ「可愛い奥さんでいいわね」とカギに声をかけて帰っていく。その度にハコが「奥ちゃんじゃないよー」と不満そうに口にする。
 十二時になると近くの会社や工場からたくさんの人がやってくる。
「ハーコちゃん!」
「今日もきたよー!」
 常連のOL達が手を振ってやってくる。
「お姉ちゃん達、こんにちは」
 ハコは、にこやかに笑って挨拶する。
 どう見ても彼女達は二十代前半でハコより年下だ。
 しかし、お姉ちゃんと呼ばれても気にした様子もなくハコに楽しそうに声をかけてくれる。
 説明しなくても何となく察してくれているようだ。
 ハネつきの焼き小籠包しょうろんぽうとスイーツ小籠包しょうろんぽうを買い、ハコにたくさん声をかけて戻っていく。
 他の女性のお客さん達も似たようなものでハコをたくさん可愛がって買い物をして帰っていく。
 問題なのは男共だ。
「ハコちゃーん」
 老若問わずスーツを固めた男達が鼻の下を伸ばしてハコに声をかけてくる。
「おじちゃん達こんにちは」
 ハコは、丁寧に頭を下げてにこっと笑う。
 その仕草が堪らなく男達の心をくすぐるようで男達は頬を真っ赤に染めて買い物すら忘れてハコに声を掛けてくる。
 表情こそ幼い子どもだがハコはとても美人だ。
 しかも、体つきもしなやかで程よく膨らみ、女性としての色気を醸し出している。
 その為に花に群がる虫のようにどこで商売しても男達はこぞってハコに寄ってくる。あわよくば口説こうとするものまでいる。
 そんな男共に対してハコはあまりにも無防備だ。
 男達の話す意味も接してくる意味も分からずににこやかに笑う。
 それが男達の心を刺激する。
 それなのに男達がそれ以上のことをハコにしないのは左
 手の薬指に付いた指輪虫除けのおかげだ。
 慣れ親しく声を掛けてきた男たちもハコの指に嵌められた豪奢な指輪を見た瞬間、目を逸らし、辿々しくなる。
 それでも指輪虫除けの効力を払って迫ってくる輩に対しては……。
「お客さん……」
 カギが目を座らせて睨みつける。
「買わないなら帰ってもらえますか……?」
 キッチンカーの中から放たれる保護者の圧に尻尾を丸めた猫のように萎縮し、小籠包しょうろんぽうを必要以上に買って帰っていく。
「また、来てねー」
 ハコは、無邪気に手を振ると、男達は再び生気を取り戻したように顔を赤く染めて手を振った。
 カギは、顎に皺を寄せてハコと去っていく客たちを見る。
 午後一時も後半を回ると客足も減ってくる。
 それでも通りすがれば匂いとハコの笑顔に釣られて買いに来てくれるが昼時ほどではない。
 ハコも退屈して立ち食い用のテーブルにうつ伏せて足をパタパタ揺らしている。
 小籠包しょうろんぽうはまだ三割ほど残っている。しかし、今日はハコの髪を切りにいかないといけないので少々勿体無いが早々と割引にして売っていくか、と思った時だ。
 眠たげに地面を歩く蟻の数を数えていたハコの上に影が被さる。
 ハコは、とろんっとした顔を上げると銀縁の眼鏡が目に飛び込んでくる。
 ハコは、目を丸くする。
 ハコの前に立っていたのは右手に紙袋を持った紺色の着物を着た背の低い五十代後半くらいの男だった。
 白髪の混じった短く刈り込まれた髪、皺の多い顔には小さな切り傷のような跡が幾つも浮かび、銀縁の眼鏡の奥の目にも縦に走った傷跡がある。身体つきは小柄で痩せぎすで少し触れただけでも折れそうなのに、鞘から抜かれる前の刀のような危険な雰囲気を醸し出している。
 明らかに堅気ではない。
 通行人たちは足を止め、商店街の人たちが身を乗り出して男を、そして男に絡まれそうになっているハコを見る。
 しかし、当のハコには怯えた様子は微塵もない。
 むしろ風船が膨らむように嬉しげに大きな笑みを浮かべる。
「ギンおじちゃん!」
 ハコがはしゃぐように言うとギンと呼ばれた男から危険な雰囲気が消え、傷だらけの顔に人好きのする穏やかな笑みを浮かべる。
「ようっハコ坊主」
 ギンは、顔と同じように傷だらけの筋張った手でハコの髪を優しく撫でる。
「いい子にしてたかあ?」
「うんっ」
 ハコは、大きな声で返事する。
 通行人と商店街の人たちは想像もしなかった二人のやり取りに唖然とする。
組長オヤジ
 カギがキッチンカーから降りて二人に駆け寄る。
「ご無沙汰してます。組長オヤジ
 カギは、足を広げて、膝に手を付くと深々と頭を下げる。
「ご無沙汰ってほどでもねえだろ」
 ギンは、眼鏡の奥の目をきつく細める。
「それにお前はもうカタギなんだ。組長オヤジなんて呼ぶ必要はねえ」
 渋沢銀道。
 かつてカギが所属していた天舟会系渋沢組の組長であり、カギに極道のいろはと素手喧嘩ステゴロの仕方を教えた人物だ。
 ちなみに銀道と言う名前は彼の父親が応援していたオリンピック選手が初めて銀メダルを取った日に生まれたことが由来だと、カギは耳にタコが出来るほど聞かされた。
「他のカタギさんがビビってるだろう。そう身構えるな」
「へい」
 ギンに言われてカギは姿勢を正す。
 どちらかと言うと通行人も商店街の人もカギにではなく、カギたちに絡んでるように見えるギンに怖気ていたのだが二人ともそのことに気づいておらず、ハコは二人のやり取りを目を丸くして見ている。
「それで組長オヤジ……」
「ギンさんだ」
 ギンは、カギを睨む。
「は……はいっ。ギンさん、今日はどういった用件で」
 呼称は正したもののまだ言葉の固いカギにギンは苦笑する。
「そんなかしこまったもんじゃねえよ」
 ギンは、手に持った紙袋をハコに渡す。
 ハコは、不思議そうな顔をして紙袋を見る。
 そして目を輝かせて袋から中身を引き抜く。
 それはずっとハコが欲しがっていた大人気の魔法少女のフィギュアだった。
 未開封で箱には折れ目一つない。
 コンビニのクジで一等を取らなければ当たらない限定ものでハコも何回もしたが結局タオルやクリアファイルしかもらえずに泣いていたのを思い出す。
 確かホビーショップに誰かが売ったものでも一万円以上したはずだ。
組員ガキ共に探させた」
 ギンは、フィギュアを高々と持ち上げて大喜びするハコを見て目を細める。
「ずっと欲しがってたもんな」
「うんっ」
 ハコは、顔を輝かせて大きく頷く。
「ギンさん……こんな高価な物を……」
 カギは、恐縮する。
「構わねえよ」
 そう言ってハコの頭を撫でる。
「ずっといい子で頑張ってんだぞ。ご褒美だ。なっ」
 そう言ってハコに笑いかける。
「ありがとう。ギンおじちゃん!」
 ハコは、ぎゅっとフィギュアの入った箱を抱きしめる。
 ギンは、喜ぶハコの姿を嬉しそうに見る。
 カギは、恐縮し、ギンに頭を下げる。
「ありがとうございます。ギンさん」
「いいってことよ」
 そういってギンは、カギの肩をポンと叩く。
「まだ……記憶は欠片も戻らねえか?」
 ギンは、立ち食い用のテーブルにフィギュアを置いてうっとりと眺めるハコを見る。
「はいっ」
 カギは、小さく頷く。
「俺のことを父親と思い、日々の全ても忘れたまま子どもとして成長していってます」
「そうか……」
 ギンは、カギの顔を見る。
 その目には憐憫が浮かんでる。
「辛く……ないか?」
 ギンの問いにカギは首を横に振る。
「あいつが元気に生きていけるなら……それが一番の幸せです」
 そういって笑みを浮かべた。
 しかし、その笑みに小さな憂いが浮かんでいることにギンは気づいていた。
「オヤ……ギンさんは今日はあのフィギュアを届ける為にわざわざ?」
 カギの問いにギンは眼鏡の奥の目をきつく細めて顎を摩る。
「奴らが……再活動を始めたらしい」
 ギンの言葉の意味をカギはすぐに読み取った。
 刀で斬られたような鋭い目に熱が走る。
「カーマの奴らが……ですか?」
 カギは、ハコに聞こえないよう小声で言う。
 ギンは、頷きも目配せず、ただただ淡々と答える。
「警察に捕まらなかった指導者たちが名前を変えてアパートやテナントを借りて細々とやってるらしい。法人格も取れないから宗教というより愛好会だな」
 カギの起こした事件をきっかけにひた隠しにされていたカーマ教の闇がシールを捲るように暴かれた。
 彼らは神の教えと言う勝手な大義名分と共に修験者から法外なお布施を徴収、それを拒む信徒には暴行を働き、逃げようとした者を捉え、粛清という名の儀式と修行という名の洗脳を行った。
 それだけではない。
 彼らはこの国そのものを自分たちの教えに染めようと修験者から得たお布施を使って海外の武器商人から違法される銃器や更なる資金を得る為の麻薬を購入し、修験者の中でも特に優れた有責者をマスコミや警察組織に送り込んで情報を取得し、ついには化学兵器を入手してのテロ行為に及ぼうとしていた。
 しかし、テロ行為が行われることはなかった。
 ハコの救出により彼らの犯罪行為は暴かれ、指示をしていたとされる教祖を始めとした指導者達は一斉逮捕。施設内は一斉捜索され、ハコ以外にも行方不明とされていた信者や彼らに取って不利な活動をしていたと拉致されていた人達が救出された。
 そして彼らの粛清と呼ばれる無惨な行為の犠牲になったたくさんの人達の遺体も……。
 もしカギが一歩踏み込むのが遅かったらハコも粛清という名の暴殺にあっていたのかもしれないと思うとそれだけで……。
 カギの心に黒い怒りが蘇り、鋭い目が激る。
「奴らはお前達を……お前をひどく恨んでいる」
 ギンは、着物の袖の下に手を入れ電子タバコの入った赤い手毬柄の巾着を取り出す。
「弱小化し、絶えず警察の監視下にいるとは言え恨みと飢えに苛まれた獣ほど厄介な奴はいない」
 ギンは、巾着から取り出した電子タバコを口に咥え、ニコチンを含んだ水蒸気をゆっくりと吸い込む。
「いつどこで襲ってくるかもしれん」
 鼻と口の隙間から蒸気が溢れる。
「その時は……」
「上等だ」
 カギは、右手を、左手を握りしめる。
「今度こそ……完膚なきまで叩き潰してやる……」
 カギの目が黒く燃え上がる。
 それはかつて極道に身を沈め、ハコを救う為にギンの制止も聞かずに怒りと憎悪に飲まれたままに自ら破門を申し出て飛び出していった時のカギそのものだった。
 ギンは、カギを見据えたままふうっと息を吐く。
「ダメだ」
 ギンは、静かに呟く。
 カギの怒りに塗れた目がギンに向く。
 しかし、ギンは表情ひとつ変えずにタバコを咥え、水蒸気を吸い込む。
「お前はもうカタギだ」
 ふうっと水蒸気と一緒に長く息を吐く。
「絶対に手を出すな」
組長オヤジ……」
 カギは、奥歯を噛み締め、唸る。
「俺はハコを……」
「守るんだろ?」
 ギンは、目の奥を細め、爪が肉に食い込むほどに固められたカギの手に自分の手を重ねる。
「この手はもう人を傷つける為の手じゃねえ。ハコ坊主を守り、支える為の手だ」
 ギンの筋張った手がカギの手をギッと握る。
「小麦粉と油にまみれても血でまみれさせるな」
 カギの目から怒りの火が落ちていく。
組長オヤジ……」
「ギンさんだ」
 ギンの目がシャツに覆われたカギの背中を見る。
 その下に隠された大きな赤字で✖️された逆さの孔雀を見透かすように。
「その刺青スミを彫った時の気持ちを忘れるな」
 ギンは、カギから手を離し、電車タバコを吸い、吐く。
「何かあったら直ぐに俺たちを呼べ。どこにいても駆けつける」
「でも……俺はもう足抜けした身です。頼る訳には……」
「いいんだよ」
 ギンは、電子タバコから口を離し、小さく笑う。
「お前が一番大変な時に何もしてやらなかったんだ」
 ギンは、筋張った手でカギの肩をポンっと叩く。
「少しは親らしいことさせろい」
 カギの鋭い目の奥が赤く染まり、小さく震える。
 カギは、足を広げて膝の上に手を置いて頭を深く下げる。
「ありがとうございます……ギンさん」
「やめろっていったろう」
 ギンは、照れくさそうに笑った。
 ハコは、フィギュアの箱を揺らして遊びながら二人のことを不思議そうに見て……にこっと笑った。

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