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クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第五話

 あれから三日が過ぎた。
 あの後、すぐに17時を伝える予鈴がなって二人は慌てて食堂を閉め、校舎を後にした。
 少しがっかりしたものの先に進むことが出来た喜びの余韻に浸りながら二人は次に会う予定を立て、お互いの予備校や部活、生徒会活動を鑑みて三日後に予定を立てた。
 オミオツケさんは、最後の授業を終えると急いで教科書を片付けた。
 スポーツ女子と文系女子に生徒会がないならカフェしようと誘われるも丁重に断って駆け足で出ていった。
 しかも嬉しそうに。
 そんなオミオツケさんを見たことがなかった二人は疑わしく目を細めてその背中を見ていた。
 食堂に着くと既にレンレンは来ていて、厨房で作業をしていた。
 食堂の中はほんのりと暖かく、甘くて濃厚な食欲を唆る香りが漂っていた。
 この匂いを嗅いだ瞬間、オミオツケさんの脳裏には脊髄反射のようにあの料理の絵が浮かぶ。
 人生で最も因縁深く、それなのに一度も口に入れたことのない料理……。
「みそ汁……」
 オミオツケさんが呟く。
 その声を聞いてレンレンは振り返り、和やかな笑みを浮かべる。
「こんにちは。オミオツケさん」
「こんにちは。レンレン君」
 オミオツケさんも小さく笑みを浮かべて言う。
「今、準備してるんでそこにある物食べて待っててください」
 そう言ってレンレンはいつもの二人席を指差す。
 テーブルの上には小さなマグカップ付きの水筒とふんわりと膨らんだ表面に赤茶色のお豆が混ぜ込まれたマフィンが載っていた。
「アズキのマフィンとこの前のハーブティーです。相性ばっちりなんで良かったら」
 オミオツケさんは、あまりに美味しそうなマフィンに思わず目を奪われる。
「ひょっとして……手作り?」
「はいっ。今度レンレン定食でプチスイーツで出そうかと」
 と、言うことはアレルゲン除去の料理。
 しかし、見た目からはとてもそんな風には見えない。
「どうぞ召し上がってください」
 レンレンの甘美な誘惑にオミオツケさんは負けて席に座ると手を合わせて「いただきます」と言ってアズキのマフィンを千切って口に運ぶ。
 甘い……。
 アズキ特有の上品な甘さと生地のほんのりとした優しい甘みが重なりあう。アレルゲン除去と言うが何が抜けてるのか分からないくらい生地は柔らかく、香りもいい。
 水筒に入ったハーブティーも相変わらずいい匂いで美味しい。
 オミオツケさんは、幸せな気分になりながらアズキマフィンを堪能しつつ、厨房にいるレンレンを見た。
 レンレンは、普段の穏やかな顔からは考えられない真剣な眼差しで鍋と向き合っている。逞しい腕の動きは見た目からは考えられないくらい繊細で無駄がなく、一つ一つの作業を丁寧に、流れるようにこなしているのが遠目からでも分かる。
 お玉と菜箸を動かし、火加減を見て、鍋の中身を確認し、味を見る。
 ただ、それだけの動作なのに、その一つ一つがとても輝いて、美しくオミオツケさんには見えた。
 オミオツケさんは、自分が見惚れていることにも気づかず、じっと調理するレンレンを見続けていた。

 いつの間にか食べ終えていたアズキのマフィンの乗っていたお皿と水筒を片付けて丁寧にテーブルを拭くとレンレンがその上に黒いお椀を置く。
 その中に入っているのは具材のないみそ汁だった。
 オミオツケさんは、飛ぶようにみそ汁から数歩離れる。
「今日はみそ汁の何に反応するのかを見ていきましょう」
 レンレンは、和かに言うと綺麗に畳まれたレインコートをオミオツケさんに渡す。
「反応?」
 オミオツケさんは、レインコートを着ながら聞き返す。
「はいっ」
 レンレンも同じようにレインコートを着る。
「前回でみそ汁自体に反応することは分かりました。次はみそ汁の何に反応するかを見ていきましょう」
 オミオツケさんは、意味が分からず顔を顰める。
「まずはコレです」
 そう言って具なしのみそ汁を指差す。
「この具なしのみそ汁。もしこれに反応しなかったらオミオツケさんは具に反応していたことになります」
 なるほど。
 オミオツケさんは納得する。
 つまり、みそ汁を作る工程の中に反応するものがあるのではないか、とレンレンは言ってるのだ。
 そんなこと……考えたこともなかった。
 オミオツケさんは、レンレンの発想に舌を巻く。
「それじゃあさっそく始めましょう」
 レンレンの言葉にオミオツケさんは頷く。

 具なしのみそ汁は、お椀の中で球状にまとまるとそのままポンッと飛び出して宙に浮かぶ。
 右と左の上が摘まれた土地のように伸び、中心に大きな目と半月のような大きな口が現れ、何とも可愛らしいキャラクターに変貌する。
「星屑のカッピー」
 レンレンは、ぼそりと呟く。
 星屑のカッピーと呼ばれたみそ汁の塊はテーブルの上を楽しそうに飛び跳ね、足元から飛び散った汁が小さな星屑となってテーブルと床に落ちていく。
 そしてテーブルに足を思い切り叩きつけて宙に舞い上がり、形が錐状に変化するほどに回転し、汁の星屑をばら撒きながら消えていった。
「オミオツケさん……」
 レンレンは、隣で顔を真っ赤にして俯いているオミオツケさんを見る。
「昨日、星屑のカッピーやりました?」
「……はい」
 オミオツケさんは、力なく、恥ずかしげに頷く。
 星屑のカッピーは、レンレンやオミオツケさん世代が小学生の時に流行った子供向けのゲームで今でも人気があり、新作が度々登場している。主役のカッピーがとても可愛く、ユーモラスな動きで敵キャラを倒していく様は爽快と言うよりもほのぼのと心を和ませ、今だに小学生に根強い人気を持っている。
 そう、小学生の子供向けゲームとして。
「まあ、別に……」
 レンレンは、オミオツケさんを見ないようにしながら頭を掻く。
「高校生がやっちゃいけない決まりはないですよね……」
「あうううううっ」
 オミオツケさんは、子犬のように呻きながら、みそ汁の件が進んだことが嬉し過ぎて夜遅くまで星屑カッピーをプレイした自分を呪った。
「だって……面白いんだもん……星屑のカッピー」
 あのまん丸い星形のキャラ。
 夢の国のような世界観。
 そんな馬鹿なとつっこみたくなるような戦う理由。
 そして最終的に誰もが癒されるようなストーリー。
「どこにゲームを卒業する理由があるのよ……」
 オミオツケさんは、子どものように切実に声を漏らす。
 レンレンは、少しずつ殻が外れるように見えてくるオミオツケさんの天然ぶりにどう対応したらよいか些か悩んだ。
「とりあえず……次行きましょうか?」
 そう言ってレンレンが用意したのは同じような具なしのみそ汁だった。
 先程と何の変化もないみそ汁にオミオツケさんは眉を顰める。
「触ってみてください」
 レンレンは、和かに言う。
 オミオツケさんは、訝しく思いながらもみそ汁に触れる。
 みそ汁が泡吹き、一気に天井上まで飛び立つ。
 そこに現れたのはみそ汁で形どられた、パンの頭を持った幼児向け番組のヒーローだった。
 レンレンは、そのヒーローを見て間違いなくアズキマフィンを見て想像したのだろうと思い、それが正解であると告げんばかりにオミオツケさんは両手で顔を覆って何かを振りちぎるように顔を横に振る。
 パンの頭を持ったヒーローは、ずんぐりとした右手を思い切り回してレンレンに向かって飛んできて〜〜パーンチと言わんは分かりにレンレンの胸に手を当てて、弾けた。
 レンレンは、みそ汁で汚れたレインコートの胸元を見てぽそりっと呟く。
「オミオツケさんって可愛いですね」
「もうやめて……」
 オミオツケさんは、恥ずかしさに弾けそうになる。
「これで何が分かるの?」
 しかし、レンレンはオミオツケさんの質問に答えず、ペーパータオルでレインコートを拭き取ると厨房に入り、少ししてから新しいお椀を持って出てくる。
 オミオツケさんは、怪訝な顔をする。
 お椀もそうだが、何故かレンレンはもう一つの手を背中に回していた。
「これを」
 そう言ってテーブルに置かれたお椀の中身は関西風のうどん出汁のような薄い黄色がかった汁物だった。
「ブレイクしましょう」
 レンレンは、和かに言う。
「飲んでください」
 オミオツケさんは、意味が分からず眉を顰める。
「えっ……どういう……?」
「いいから飲んでください」
 和やかな笑顔から放たれる圧にオミオツケさんは気押されし、仕方なく器を持って口に付けた。
「……美味しい」
 まろやかな鰹の出汁が身体にじんわり染み込んでいく。
 僅かに塩の味がするがそれが出汁本来の旨味を引き出している。
「どうですか?」
 レンレンは、じっとオミオツケさんを見る。
「凄く美味しい!」
 オミオツケさんは、表情柔らかく答える。
「うちのお母さんが作るお吸い物より美味しい!」
「それは良かった」
 レンレンは、嬉しそうに笑うと後ろに回していた手を前前に出す。
 それもお椀で、しかし中に入っていたのは茶色い柔らかな固形物だった。
 オミオツケさんは、思わず引く。
「アレじゃありません」
 オミオツケさんの露骨な反応にレンレンは、きつく目を細める。
「お味噌です」
 お味噌⁉︎
 オミオツケさんは、まじまじと覗き込む。
 確かにお味噌だ。
 綺麗な明るい茶色のお味噌。
「持てますか?」
「?大丈夫だよ」
 そう言ってオミオツケさんは、お味噌の入ったお椀を持つ。
 当然だが何も起きない。
「前も言ったけどみそ汁以外では何も起きないの。だからお味噌を持ったって……」
 オミオツケさんは、言いかけた口を閉じる。
 レンレンがあまりにも真剣な顔をしていたから。
「……なるほど」
 レンレンは、顎を擦りながら厨房に戻っていく。
 コンロの前に立ち、鍋に火をかけ、ゆっくりとお玉をかき混ぜながら何かを作り始める。
 オミオツケさんは、気になって覗くも距離があって何をしてるか分からず、匂いを嗅ごうともみそ汁の香りが強くて分からない。
 仕方なくオミオツケさんは、元の位置に戻って椅子に座って待った。
 十分ほど経過し、お椀を持ってレンレンは戻ってくる。
「お待たせしました」
 そう言ってレンレンが置いたお椀の中身は……。
「コーンスープ?」
 オミオツケさんの前に置かれたのは鮮やかな黄色のコーンスープであった。
 確か食堂のB定食の人気メニューと言っていた……。
 いや、普通のコーンスープよりドロっとした感じが強いように感じる。
「どうぞご賞味ください」
 レンレンは、和かに頭を下げる。
「レンレン君?」
「美味しいですよ」
 レンレンは、穏やかに微笑む。
 しかし、その目から汁物の時のような強い想いが感じられた。
 きっと何か考えがあるんだ。
 オミオツケさんは、レンレンを信じ、お椀を持って口を付けた。
 不思議な現象が起きた。
 傾けてもコーンスープが入ってこない。と、言うよりもよくよく見るとこれはコーンスープではない。
 コーンスープに似た膜だ。
 オムライスを包む卵のような。
 鮮やかな黄色の幕にコーンの粒が添えられた。
 え……っ?
 オミオツケさんが疑問を抱くと同時に膜の隙間から液体が流れ、口の中に入ってくる。
 まろやかな風味と甘味、そして深い出汁の味……。
 これは……まさか……。
 オミオツケさんが液体の謎に気づいた瞬間、お椀が激しく揺れ出す。
 オミオツケさんは、驚いて思わず手を離す。
 お椀は、そのまま床の上に落下するも黄色い膜を羽織るように茶色の液体、みそ汁は浮かび上がっていた。
 みそ汁は、ゆっくりと形を変えて少女の姿に変化し、黄色い幕は千切れ、歪んで少女の身体を包む鎧となり、大きな鉈となる。
 それはまさにオミオツケさんの好きなライトノベル"エガオが笑う時"の主人公、エガオの姿だった。
 唖然とするオミオツケさんとレンレン。
 エガオになったみそ汁は空中で飛び跳ねながらリズムを取って踊るように大鉈を振り回す。
 そしてレンレンを見つけるとリズムを刻みながら近づき、大鉈を振り回してレンレンの頭に振り下ろす。
 オミオツケさんは、レンレン君!と悲痛に叫ぶ。
 レンレンは、左手を上げて攻撃を防ぐ。
 大鉈がレンレンの身体に触れた瞬間、エガオの形を模したみそ汁はパンっと弾けて床に散らばった。
 レンレンは、散らばったエガオの残骸……もといみそ汁を見る。
「なんで……みんな俺を攻撃してくるんですかね?」
 レンレンは、不服そうに呟く。
「大丈夫⁉︎レンレン君⁉︎」
 オミオツケさんは、慌ててレンレンに近寄る。
「大丈夫ですよ。いつも通り冷ましてから出したので」
「でも、エガオの攻撃をまともに受けて……」
「エガオじゃなくてただのみそ汁ですから……」
 現実と虚構をごちゃ混ぜにして言うオミオツケさんに少し呆れながらレンレンは言う。
 オミオツケさんもそれに気づいて恥ずかしそうに赤く染めた頬を両手で挟んで顔を背ける。
「それよりもどうでした?」
「えっ?」
 オミオツケさんは、レンレンに目を向ける。
 レンレンは、和かに笑う。
「初めてのみそ汁の味は?」
 その言葉にオミオツケさんの顔に驚愕が浮かび、自分の唇に触れる。
「アレって……やっぱり……」
「はいっ」
 レンレンは、柔らかく微笑む。
「みそ汁ですよ。正真正銘の」
 その言葉はオミオツケさんの耳に現実のものとして届かなかった。
 どこか遠くの……地球の裏側から鳥の囀りが聞こえるかのようにまるでリアリティがなかった。
 しかし、レンレンの声は現実で、その言葉はゆっくりと清水のように染み込んでいく。
「本当に……?」
 それでもオミオツケさんは信じられないと言わんばかりに声を震わす。
「本当に私……みそ汁を飲んだの?」
 オミオツケさんの言葉にレンレンは小さく頷く。
「はいっ」
 レンレンは、優しく言う。
「オミオツケさんはみそ汁を飲みました」
 その瞬間、オミオツケさんの心に光のシャワーが注ぎ込んだ。
「いやーうまくいきました。実はですね……」
 レンレンは、ここまでの流れの説明をしようとして……やめた。
 オミオツケさんの冷めた目から大粒の涙が溢れたから。
 オミオツケさんは、涙を流し、嗚咽しながら泣いた。
 あまりの嬉しさに。
 レンレンは、小さく微笑んでそっとハンカチを彼女に差し出した。
 オミオツケさんの涙は止まらなかった。

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