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冷たい男 第7話 とある物語(8)

火の精霊サラマンダー
 赤い炎の舌が少年の周りの氷を舐めるように焼き切る。
 溶けた雨水が蒸発し、白い蒸気を上げる。
 氷の拘束が外れて崩れ落ちそうになった少年を細い手が支える。
「許せしてな親友」
 少年を抱えた細い手の主は、言うと先の尖った革靴で冷たい男の腹を蹴る。
 冷たい男は、痛みに表情を歪ませることもなく、よろよろと後退る。
 少年は、息を短く荒くしながら状況を確認する。
 自分を支えているのは黒いジャケットに身を包んだピンク色の髪の丸い縁のサングラスをかけた細身の男だ。
 そして2人の背後にいるのは濃い茶色のとんがり帽子を被った長身の美人。その小さな肩の上に赤く燃え上がる蜥蜴が襟巻きのように巻きついていた。
 ピンク色の髪の男は、サングラス越しに少年を睨む。
 少年の心に恐怖が走る。
 ピンク髪の男は、空いている手で少年が凍りついても離さなかった"とある物語"をむしり取る。
「あっ・・・」
 少年は、声を上げる。
 しかし、次の言葉を告げられない。
 本を奪ったピンク髪の男、ハンターはそのまま少年を地面に叩きつけたのだ。
 少年は、あまりの頭に短い悲鳴を上げる。
 しかし、ハンターは、憎しげに唇を歪めるだけだった。
「このクソガキが!なんちゅうことしてくれたねん!」
 ハンターは、冷たい男に目を向ける。
「乱暴はいけません」
 とんがり帽子の美人、チーズ先輩が少年の身体を起こす。いつの間にか茶トラ猫もいた。
「こいつがしでかした事に比べれば優しすぎて涙が出るわ!」
 チーズ先輩も冷たい男を見る。
 冷たい男は、首と両手をだらんと下げ、天から引っ張られているかのように力なく立っている。
 左胸の青い炎、その奥の目だけがじっとこちらを見ている。
 チーズ先輩の首に巻きついた火の精霊サラマンダーが怯える。
「門が開いてますね」
「まだ、鍵突っ込まれたくらいやろ」
 ハンターは、引きちぎるように腰に付けた海色の虫籠を手に取る。
 そして口を使って器用にその蓋を開ける。
「おい、出てこい!」
 ハンターが虫籠の入り口に口を付けて叫ぶ。
 海色の虫籠が激しく揺れ、ハンターの手から落ちる。
 地面に落ちた虫籠から鯨の潮吹きのように海色の何かが飛び出す。
 それは身をくねらせ、軋ませ、気持ちの良くない金属の擦れ合う音を上げながら現れたのは海色の甲冑を着たような巨大な百足だった。
 その身体はまだ虫籠から抜け切れておらず、海色の固い甲殻を 
軋ませる。長い胴体から生えた蟹のような足は百足と言うにはあまりに少なく、20本ほどしかない。
 百足は、見た目と反する知性に満ちた赤い目でハンターを見る。
「我を呼ぶにはまだ早いのではないか?」
「緊急事態やからしゃーないやろ!」
 ハンターは、苛立ち、声を張り上げると"とある物語"を掲げる。
「これは材料にならんのか⁉︎」
「鈴はなったのか?」
 百足は、ハンターの腰に下げられた海色の鈴を見る。
「ならへん」
「それでは材料にはならないという事だ」
 ハンターは、舌打ちする。
「どうにかならんか?」
「ふうむ」
 百足は、"とある物語"を見て、そして冷たい男を見る。
「材料にはならんが効果を高めるくらいには使える」
「どのくらいの効果や?」
「足全部使って押し戻す程度だ」
「それでええ。頼むわ」
「また集め直しだぞ。他の方法考えたらどうだ?」
「そんな時間あらへん。それに・・」
 ハンターは、サングラス越しに百足を見て、口の端を釣り上げる。
「親友の為なら少しも惜しくないわ」
 百足は、目を鈍く光らせ、大きく顎を開く。
 ハンターは、その口を目掛けて"とある物語"を放り込む。
 百足は、一気に"とある物語"を飲み込む。
 20本の足が黒く鈍く光る。
「網を出せ」
 その言葉に茶トラが尻尾を地面に叩き付ける。
 地面がカーテンのように捲れ上がり、海色の虫網が現れる。
 ハンターは、それを掴んで百足に近づける。
 百足の口から緑色の粘液が垂れ、虫網の網の中を侵食する。
 粘液が出るごとに足が土塊のように崩れていく。
 粘液は、網の中でアメーバのように蠢き、揺めきながら形を整え、真円の宝珠のようになる。
 見た目からは想定ずっしりとした重さが両腕に伝わり、ハンターは両足を広げて網を支える。
 百足から全ての足が崩れ落ちる。
「一度きりだぞ」
「分かってるわ」
 ハンターは、虫網を構える。
 青い炎、その奥にある目がハンターの持つ虫網を捕らえ、微かに震える。
 冷たい男の両腕がハンターに向けて伸ばす。
「そいつの身体、勝手に使うんやないで」
 ハンターは、歯噛みする。
 青い炎がその手を伝い、放出される。
 ハンターの周りの雨が凍りつき、その身を拘束する。
 しかし、その氷はすぐに蒸気を発して溶ける。
 火の精霊サラマンダーがその身をムササビのように広げ、幕となってハンターを覆う。
 ハンターのもっと虫網の柄にチーズ先輩の手が添えられる。
「手伝います」
 チーズ先輩は、切長の目を冷たい男に向けて言う。
「これでも元ラクロス部なので」
「おおきに」
 ハンターは、笑うと2人は力の限り虫網を水平に構える。
 冷たい男は、いや青い炎の目は脅威を感じたのか、さらに青い炎を飛ばし、周りを凍て付かせるも火の精霊サラマンダーがそれを全て防ぐ。
火の精霊サラマンダーがこれ以上は持たないと言ってます」
「もう終いやで」
 ハンターは、そういうと2人は力と息を合わせ、虫網を一気に振り上げる。
 虫網の中の宝珠が網を抜け、投擲される。
 宝珠は、強い輝きを放ち、冷たい男の青い炎にぶつかる。
 断末魔のような悲鳴と共に青い炎と宝珠が光を飛び散らせる。
 それは冷たい男から挙げられたものではない。
 青い炎が冷たい男の胸に宝珠と共に押され、そのまま飲み込まれていく。
 そして宝珠と共に冷たい男の胸の中に吸い込まれていった。
 光が消える。
 雨が上がる。
 鼠ほどに小さくなった火の精霊サラマンダーは、事が落ち着いたのを確認し、消える。
 冷たい男の身体を覆っていた白い霜が消え去る。
 青い炎も消え去り、赤い血の跡だけが残る。
 冷たい男は、膝から崩れ落ちる。
 チーズ先輩が慌てて駆けつけ、彼の身体を支える。

 冷たい。

 いつもの冷たさだ。

 チーズ先輩は、彼の左胸を確認しようとするが上手く衣服を剥がす事が出来ない。
 見かねた子狸がとんがり帽子から元の姿に戻り、器用に衣服を剥がすと血の塊があるだけで刺された跡は存在しなかった。
「傷はサービスしといたぜ」
 百足は、人間なら鼻の下を擦るように自慢げに言う。
 ハンターは、サングラス越しに百足を見る。
「これで今までの稼ぎはチャラだ」
 百足は、一本も足の無くなった自分の腹を見せる。
「分かっとるわ」
「だが、急げよ。今回ので門は開きやすくなったはずだ」
「わーってるわ。とっとと集めたるわ」
「期待せず待ってるわ」
 そう言い残すと百足の身体は海色の虫籠に吸い込まれていった。
 ハンターは、虫籠を拾うとそっと蓋を閉める。
 雲の切れ間から太陽の優しい光が降り注ぐ。
 ハンターは、小さく息を吐き、その場に座り込んだ。
 チーズ先輩に身体を支えられた冷たい男の目が開く。
 冷たい男の目とハンターの目が合う。
 ハンターは、にっと笑って親指を立てる。
 茶トラが濡れた身体をぶるっと震わせた。

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