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エガオが笑う時 第4話

 黒い雲が空を覆う。
 タオルを絞るように雨が降り注ぎ、汚れた私の肌と髪を濡らす。
 メドレーの宿舎を出てから一週間が過ぎようとしていた。
 私は、当然行く当てもなく、気がついたら王都の路地裏に入り込んで黴臭い壁に背中を寄せて地面に座り込んでいた。
 路地裏を選んだのは特に意味はない。
 強いて言うなら昼夜問わず暗闇に包まれているのが私の好きだった夜の戦場の空気に似ているからだ。
 汚れた私を隠すような闇の空気が。
 それから特に何もしてない。
 外套で身体を包んで夜の冷気と日中に差し込む細く、短いが強い日差しから守り、宿舎から持ち出した非常食を食べ、喉が乾いたら近くの新しく出来た王立公園の水道から水を飲み、髪を洗った。
 今も降り注ぐ雨を見上げながら石のように硬いバケットを唾液で湿らしながら咀嚼している。毎日のように身体を鍛えていたのに顎だけは鍛えられてなかったのかバケットを小さく千切るだけで精一杯だがそれでいい。持ってきた食量は粗方食べ切ってしまい、このバケットが最後だ。ゆっくり時間をかけて食べよう。幸いにも雨がパンに染み込んで少しだが柔らかくしてくれている。
 これが無くなったらついに買い物をしないといけないが、正直、人生で買い物というものをしたことがない。物心ついた時から戦場にいて、食糧なんかは気がついた時には手元にあった。お金で物を買うということは知っていてもそれをどう使うかも分からない。一応、給金で貰った分はあるがこれがどれだけ価値があるかもしれない。
 路地の表から声が聞こえる。
 雨が激しくなっていくというのに路地はとても賑やかだ。
 傘を差した親子連れ、買い物に来た主婦、一つの傘に入って手を握り合うカップル、そして私と同じ年くらいの同じような衣装を着た女の子達、確か学校と言うところの制服という物だったか?
 皆嬉しそうに、幸せそうに路地を歩き、商店を見て、食べ物を買って食べている。
 そしてその口から出てるのは・・・。
「ついにリヒト王子と帝国の姫君が結婚されるらしいな」
「そのうち大々的な式が催されるでしょうね」
「お姫様って綺麗だろうなあ」
 この一週間、聞こえてくるのはそのことばかりだ。
 皆、心の底から王国と王子と帝国の姫が結ばれることを喜んでいる。
 確かに二人が結ばれれば国は本当の意味での平和が訪れるだろう。
 こんなに喜ばしいことはない。
 私達だって国の平和の為に戦っていたのだ。
 国の為に戦い、勝利する。
 幼い頃からそう言われて戦い続けたのだ。
 念願が叶うことに疑問の余地はない。
 しかし、何なのだろう?
 私は、路地の表を歩く人々を見る。
 何なのだろう?彼らの笑顔は?
 これは戦争が停戦、平和が訪れるのを喜んでいるから笑っているのか?
 それにしては彼らの笑顔は普通だ。
 いつも通りのような笑顔だ。
 まるで戦争が起きていることなんて知らないかのように。
 いや、実際に彼らは、彼女達は戦争なんて知らないのかもしれない。立派な王宮の庇護のもとに暮らしている彼ら彼女らにとっては例え自国のことであっても絵本の中の出来事も変わらないのだ。どれだけの人間が泣こうと、死のうと知ったことではないのだ。
 日々、命をかけて戦っていた私達がただの馬鹿かのように。
 私は、硬いパンを口から離し、雨の降る空を見上げる。
「私・・・何の為に戦ってたんだろう?」
 冷たい雨に混じって熱い何かが頬を伝った。
「本当にここにいやがった」
 低い声が私の耳に届く。
 それと同時に雲よりも黒い何かが空を覆う。
 雨が途切れる。
「おいっ大丈夫か?」
 低い声が再び聞こえる。
 私は、声の方に顔を向ける。
 鳥の巣がそこにあった。
 いや、よく見ると鳥の巣ではなく盛り上がった黒髪だ。
 縦横無尽に渦を巻いた黒髪が盛り上がって鳥の巣のように見えているのだ。
 背の高い男性がそこに立っていたのだ。
 盛り上がった黒髪のせいで目の部分が隠れているが無精髭の生えた細く、綺麗な線を描いた顎と綺麗に伸びた鼻から整った顔立ちであることが分かる。黒いタンクトップから伸びた両腕は長く、筋肉の筋が彫られたようにくっきりと浮き出る。同色の黒いズボンを履いた足も細く、長い。
 彼は、大きな黒い傘を高く持ち上げて目は見えないが顔を下に向けて私を見ていた。
 傘は、私の真上も覆い、雨を防いでいた。
「おいっ大丈夫か?返事しろ?」
 男は、低い声で私に声を掛ける。
「だい・・・じょうぶです」
 大丈夫の基準がよく分からないがとりあえずは身体に傷がなく、血が流れていないのなら大丈夫だろう。
 私が答えると男は、安堵したように息を吐く。
 私は、じっと彼を見る。
 ひょっとしてだが、私は心配されていたのだろうか?
「あの・・・貴方は?」
 私が辿々しく声を出すと彼は、傘を持っていない方の手を上げて親指を立てて後方を指差す。
「俺は、あそこの公園の奥で店を開いてるもんだ」
 公園?奥?
 私は、男の指差す方に目をやる。
 その先には雨に濡れた鮮やかな緑の芝生と石造りの支柱の建てられた幅の広い出入り口のある公園が見える。
 あの公園にお店なんてあったろうか?
「あんたよくあそこの水道で水飲んで髪洗ってたろう」
 見られてたのか?
 私は、濡れた頬が熱くなるのを感じた。
 メドレーに所属していた時なんてそれこそ草や葉っぱをしゃぶって水分を摂り、泥水で顔を洗うなんて常だったのに水道という整った整備で水を飲み、髪を洗うのを見られただけで何で自分がこんなに恥ずかしがっているのか分からなかった。
 そして分かった。
 この男は、私が見苦しく水を飲み、髪を洗われたら営業妨害だから止めろと言いにわざわざここまでやってきたのだ。
 私は、彼の顔を見て頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした」
 もうここにもいられないな。
 どこに行こうか・・なんて考えながら顔を上げると男は、無精髭に皺を寄せて首を横に傾げていた。
「何で謝ってんだ?」
 今度は、私が眉根に皺を寄せる番だった。
「俺は、いつも公園に水を飲みに来てる女の子が路地裏で動けなくなってるって聞いたから来ただけだぞ」
「えっ・・?」
 私は、驚いて次の言葉を告げることが出来なかった。
「ご迷惑だったんじゃないんですか?」
「だから何で迷惑なんだよ?」
 男は、少し苛立ったように言う。
「こんな雨の日に路地裏で壁に寄りかかって動かなかったらみんな心配するだろうが。しかもこんな石みたいなパンしゃぶって」
 彼は、手に持ったパンを見て傘の柄の先に当てる。
 カツンっと言う食べ物にはあり得ない音が上がる。
 私は、目を大きく見開き、自分の手を見る。
 私の手に握られていたはずのパンが消えている。と、いうことは彼の手に握られているのは私の食べていたパンだ。
 どうやって?いつの間に?
 そんな私の疑問と混乱なんて気にも止めずに彼は口を開く。
「腹減ってないか?」
「え?」
「だから腹減ってないのか?飯食ってるのか?って聞いてるんだよ」
 男は、再び苛立ったように言う。
 短気なのだろうか?
 私は、お腹は空いてません。大丈夫ですと答えようと口を開こうとするがそれよりも早く身体が答えた。
 私のお腹の虫が盛大に音を上げて鳴いたのだ。
 私は、頬を燃えるように真っ赤に染めてお腹を鎮めようと押さえる。しかし、お腹は鳴り続ける。
 その音を聞いて男は、大声で、高らかに笑う。
 その声は空腹の私を馬鹿にしたものではない。本当に可笑しくて笑っていると言う感じだ。
 しかし、私は恥ずかしくて消え入りそうになる。
 男は、無精髭に包まれた口元を釣り上げると傘を握ってない方の手で私の手を握り、引っ張って立ち上がらせた。
 私は、驚く。
 この私を腕力で引っ張り上げたこともそうだが、彼のあまりにも硬く、優しい温もりの手に驚いた。
 戦い以外で男の人の手に触れたのは初めてだった。
 私は、先程とは別の意味で頬が熱くなるのを感じた。
 彼の髪の隙間から一瞬目が見える。
 乱暴な言葉とは裏腹な優しく光る目が。
「付いてきな」
 そう言って彼は私を傘の中に入れて濡れないように引っ張っていく。
 私は、抵抗することも考えないままに彼に付いていった。

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