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クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第十九話

 オミオツケさんは、みそ汁を食い入るように見て、恐る恐る両手を伸ばす。
 優しい温もりのお椀を抱きしめるようにそっと両手を添える。
 その瞬間。
 みそ汁の中でワカメと豆腐と長ネギが渦を巻いて回転する。
 茶色の汁が大きく波打ち、粘土のように丸まっていくと宝玉のようになって宙に浮かび上がる。
 オミオツケさんの顔に絶望が浮かぶ。
 宝玉のようになったみそ汁は歪み、伸び、形を整えながら人形に変わっていき、ワカメは髪に、豆腐は鎧にして輪切りになった長ネギは重なり合って大鉈に姿を変える。
 それは見間違うことのないエガオが笑う時の主人公、エガオの姿であった。
「ああっ……」
 オミオツケさんの口から泣くように声が漏れる。
 やっぱりダメだ……。
 結局、私には出来ないんだ。
 みそ汁を飲むことなんて私には出来ないんだ。
 レンレン君と一緒にいる資格なんて私にはないんだ……。
 オミオツケさんは、絶望と失望の中、お椀を握った手を緩めてしまう。
 刹那。
 オミオツケさんの両手にレンレンの大きな手が重なった。
 オミオツケさんの顔が真っ赤に染まる。
 みそ汁のエガオの身体が大きく波打ち、茶色の雫が飛び散る。
 飛び散った雫は空中で静止し、形を変えていく。
 星屑のカッピーに、キノコに、魚に、花に、猫に、犬にそしてカゲロウとオーガへと変貌する、
 みそ汁の造形物たちは、動揺するオミオツケさんに呼応するように宙をメリーゴーランドのように飛び回る。
 犬と猫は公園のように駆け回り、魚は荒波を泳ぐように飛び跳ね、キノコと花は種を飛ばすようにその身を分けて分裂し、エガオとカゲロウは小説さながらに共闘してオーガに立ち向かう。
 今まで見たことのないみそ汁の狂乱にオミオツケさんは狼狽し、どうしたらよいか分からなくなる。
 そんなオミオツケさんの手をレンレンが優しく握りしめる。
「大丈夫です。オミオツケさん……」
 レンレンの優しい声。
 オミオツケさんは、震える目をレンレンに向ける。
 これだけの狂乱と狂宴の中だと言うのにレンレンは変わらずに和やかな笑みを浮かべている。
「オミオツケさんなら……出来ます」
 オミオツケさんなら……出来る。
 その声と笑みはどこまでも優しくて、どこまでもオミオツケさんの心に染み込んでいった。
 目と身体の震えが止まる。
 みそ汁の造形物たちの動きが止まる。
「落ち着いて……みそ汁じゃなくてゆっくりと俺に意識を向けて下さい」
 レンレンの言う通りにオミオツケさんは、ゆっくりと息を吸、吐き、そしてレンレンに目を向ける。
 レンレンの優しく、和やかな笑顔がオミオツケさんの目に入る。
 みそ汁の造形物たちがオミオツケさんとレンレンの真上を円を描くように列を成して飛ぶ。
「オミオツケさんに呼び出された時……俺とても怖かったんです」
 レンレンは、唐突に話し出す。
「こわ……かった?」
 オミオツケさんは、驚いて目を見開く。
 みそ汁の造形物たちが小さく泡立つ。
「はいっ」
 レンレンは、頷いて苦笑する。
「だってファーストコンタクトの印象最悪だったじゃないですか。オミオツケさんクールで知的の名前に恥じないくらいに冷たいし、オミオツケさんって呼んだ瞬間に静かに怒るし……」
 オミオツケさんも初めてレンレンと出会って話した時のことを思い出しだして頬を赤らめる。
 みそ汁の造形物たちの円の列が取り乱すようにジグザグに揺れ出す。
「だって……あの時は時間がなくて本当に焦ってたし、仕事サボって女の子口説くなんて何て奴だろうと思ったから……」
 そんな風に思ってたんだ……レンレンは、はははっと苦笑いする。
「だからオミオツケさんに声かけられて呼び出された時は本気でビビりました。ボコられるんだって覚悟しました」
「どう考えたって勝てないでしょう。私じゃ」
 オミオツケさんは、頬を赤らめて目を反らす。
 みそ汁のエガオがじっとオミオツケさんを見る。
「まさか……みそ汁を飲みたいだなんて言い出すとは思いませんでした。しかもこんな……」
 レンレンは、上空で円を描く造形物たちを見上げる。
「もうレンレン君しか頼る当てがなかったの。これでもすごい勇気がいったのよ」
「そうでしょうね」
 レンレンは、笑う。
「断られたらどうするつもりだったんです?しかも話したことない人間にこんなの見せて大騒ぎになったらオミオツケさん大変な目にあってたかもしれないのに……」
「それは大丈夫」
 オミオツケさんは、即答する。
 レンレンは、眉を顰める。
「レンレン君なら信頼出来るって……初めて見た時からそうそう思ったから」
「ナンパしてると思ったのに……?」
「……うん」
 オミオツケさんは、恥ずかしそうに頷き、目を反らす。
「レンレン君なら……大丈夫ってなんでか思えたの」
 レンレンは、顔中を真っ赤に染める。
 花とキノコが嬉しそうにその身体を上下に揺らし、魚が思い切り飛び跳ねる。
「正直……俺なんかに何が出来るのかなって思ったんですけどオミオツケさんのあまりに真剣な言葉と想いに俺に出来ることをしよう、そう想いました」
「いっぱい協力してくれたね。私なんかじゃ思いつかない視点からばんばんアイデア出してくれて……驚いたし、嬉しかったし……カッコよかった」
 最後の言葉を恥ずかしそうに言う。
 そして分かった。
 その時からもう自分はレンレンのことが好きだったのだと。
そしてそれは……。
「俺も一緒です」
 レンレンの言葉にオミオツケさんは、顔を上げる。
 レンレンの目がじっとオミオツケさんを見る。
「いつからかはうまく言えないけど……オミオツケさんのことを可愛いって思うようになってました。可愛い、一緒にいたいって。だから一緒に映画に行けるってなった時は嬉しすぎて夜も眠れませんでした」
 レンレンの口から飛び出した事実にオミオツケさんは目を震わせる。
「映画の時、手を握ったのはワザとです」
 レンレンの言葉にオミオツケさんは息を飲む。
「映画を真剣に、嬉しそうに見るオミオツケさんを見て可愛すぎて思わず……」
 レンレンは、恥ずかしなって顔を下に向ける。
「嫌なら手を退けるはずだし、無意識だったと言い訳も出来るかな、と」
 レンレンの懺悔のような告白にオミオツケさんは首を横に振る。
 星屑のカッピーが嬉しそうに飛び跳ねる。
「嫌じゃなかったよ」
 オミオツケさんの言葉にレンレンは顔を上げる。
「嫌だったら……キスなんてしないし……」
 そう言うと今度はオミオツケさんが恥ずかしさのあまり顔を下に向ける。
 みそ汁の造形物たちが流星のように頭の上を飛び回る。
 レンレンも顔をさらに赤く染めて下を向く。
 スポーツ女子と文系女子がこの場にいたらきっと呆れることだろう。
「あの時……自分じゃ気づかなかったけど……きっともうレンレン君を好きになってたんだと思う……」
 そう……キスまでしたと言うのにその時のオミオツケさんにはその感情が何と呼ばれるものなのかまるで分かっていなかった。
 分かったのは……あの事故の後、そしてレンレンのアレルギーの話しを二人から聞いた後だ。
「レンレン君が好きだから……大好きだからもう一緒にいちゃいけない……そう思ったの。貴方をこれ以上不幸にしちゃいけないって……」
「逆ですよ」
 レンレンは、はっきりと強い口調で否定する。
 オミオツケさんは、顔を上げる。
 レンレンは、優しい、しかし強い眼差しでオミオツケさんを見る。
「オミオツケさんがいるから俺は幸せなんです」
 その瞬間、オミオツケさんの心に無数の花が咲き乱れる。
 みそ汁の造形物たちが嬉しそうに二人を見下ろす。
「オミオツケさん……俺を見て下さい」
 レンレンは、彼女の手を優しく包み込む。
「みそ汁じゃなくて俺を……みそ汁と同じくらい、いやそれ以上に俺を見て下さい。想ってください」
 真剣な言葉。
 強い眼差し。
 そして温かい手の温もり。
 その全てからレンレンの気持ちが伝わってくる。
 オミオツケさんの唇が小さく震える。
 みそ汁の造形物たちの動きが止まり、溶けるように形が崩れ出す。
「俺は……オミオツケさんが好きです」
 オミオツケさんの心臓が大きく高鳴る。
 魚とキノコと花の形が崩れ、吸い込まれるようにお椀の中に入っていく。
「もうオミオツケさんのことしか考えられないくらい、いなくなるなんて考えられないくらい好きです」
 星屑のカッピーが飛び跳ねながらお椀の中に飛び込む。
「オミオツケさんは……?」
「わ……私……」
 オミオツケさんの声が震える。
「私も好き……」
 オミオツケさんは、絞り出すように言う。
 オーガの顔が優しく崩れ、そのままお椀の中に飛び込んでいく。
「私もレンレン君のことが好き……」
 オミオツケさんは、小さな声で、しかしはっきりと言う。
「好き……大好き……だから」
 オミオツケさんの目から涙が流れる。
 エガオとカゲロウが嬉しそうに互いの顔を見合わす。
「お願い……」
 エガオとカゲロウは、そっと互いの身体を抱きしめ合う。
「ずっと一緒にいて」
 エガオとカゲロウがお椀の中に飛び込む。
 ワカメと豆腐、長ネギの美しいみそ汁がお椀に浮かぶ。
 レンレンは、みそ汁で満たされたお椀を見て優しく微笑む。
「はいっ」
 レンレン、オミオツケさんの手を添えたままゆっくりと持ち上げる。
「ずっと……一緒にいましょう」
 レンレンは、優しく微笑む。
 オミオツケさんの涙に濡れた顔に歓喜が浮かぶ。
「……はいっ」
 オミオツケさんの小さな唇にお椀が触れる。
 熱いみそ汁がゆっくりと流れていく。
 唇の端から汁が溢れ、喉が小さく鳴る。
 お椀がゆっくり離れる。
 レンレンの手が優しく、強くオミオツケさんの手を握る。
「お味はいかがでした?」
 レンレンは、和やかに微笑む。
「美味しい」
 オミオツケさんは、嬉しそうに微笑んだ。
 そしてそのまま二人は立ち上がり、唇を重ねあった。
 みそ汁の甘い味と温もりが二人の中に広がった。

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