どうしようもない人たちが目指す世界

「教育は取捨選択だ」とか言い放ち、「古文漢文より金融教育だ」とか騒いでた国会議員がいたようだ。
まあこういうのが増えてくるようではこの国に未来はないし、そんな未来で育っていく子どもたちが可哀そうだよね。

そもそも取捨選択って、大人になる過程で個々人が「要る、要らない」を判断して最終的に決めるもの。
子どものうちは一見つまらない、役に立たない、面白くないと本人が思うものでも、とにかく何でも教えて触れさせておけばいいんじゃないか。

入り口の時点で、大人が勝手に選択肢と可能性を狭めてどうすんだよ。

子どもってのは、何をどう理解し、どう反応し、どういう成長をするかなんて予測がつかないんだから。
それに、大人になってからも「昔はあんなの役に立たない」と思っていた勉強が、思わぬ形で「ああこういうことだったのか」となり、物事の新しい見方や解決方法につながることだってあるかもしれないし、ないかもしれない。

人間が生きて、学んで成長するってことは、その「かもしれない」を自分の中に無数にためこんで世界を渡っていくことじゃないのか。

「かもしれない」ものなんかに時間を費やすのはムダだ、カネ勘定やITなどに力を注げ、という連中が掲げる貧しい世界ってどんなんだろう。
見てみたいけど死んでも住みたくはない。

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