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よもやまな記憶2(祈り)

20年前

昔病院に勤務していたころ、一人の女性が緊急入院されました。彼女は妊婦で、8カ月のときに脳出血を合併しました。幸い母子ともに命に別条はなく、ご主人が持ってきてくれたお守りの下、私たちは彼女のリハビリテーションと妊娠を支えました。

しかし事態は急展開します。再出血してしまったのです。危険な状態の中で集中治療と緊急帝王切開が始まりました。

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もう20年前のことです。彼女の治療は速やかだったものの、赤ちゃんは人工呼吸器を使用するための『挿管』という処置がうまくいかない…。医師が総出で対応しても入らない…。私はただ ”祈り” 続けたことを思い出します。

やっと人工呼吸器を装着した時、赤ちゃんの脳には大きなダメージが残りました。そして二人はさらに高度な医療を受けるために転院をしていきました。お守りとともに…。

その後…

それから10年後…、私はNICU(新生児集中治療室)に勤務していました。そこでは高度な医療機器と素晴らしい手技を持つ医師たちがいて、信じられないくらい小さな命に次々と的確にケアをしていました。

科学・医療は経験を重ね進歩していく…。あのときもしも…と考えるのはよもやまな話かもしれません。

記憶を呼び起こした一言

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なぜこんな記憶がというと…。先日職場で、妊娠中の同僚が患者さんのエンゼルケア(私たち看護師は亡くなられた方の体を綺麗にするケアをそう呼びます)に向かうとき、職場の上司が「お腹に鏡を持たせてね」と言ったからです。実は私も知りませんでしたが、日本には妊婦が死者に関わるときに「腹鏡」という風習があるんですね。

縁起

縁起を担ぐ…とも言いますが学術的にはアミニズム(自然界のあらゆる事物は、固有の霊魂や精霊などの超自然的存在(カミ、タマシイ)が宿っているという考え)に分類されるものです。実は少し前に話題になったアマビエさんもその流れですね。科学的に言えば、いわゆる迷信です

祈りとは

科学・医療は経験則から日進月歩し、叶わなかったことを叶えてきました。
ただそこには、あまたの悲しみを重ねた私たち人間の ”祈り” 続けた日々があります。”祈り” とはそれが叶うかどうかではなく、祈らずにはいられないから ”祈り” なのです。それは私たちに宿っている【温かさ】【豊かさ】。

祈りなさいという宗教的な話ではなくて、私たちの中にある【温かさ】【豊かさ】を見失わないことを伝えたい…という よもやまな話です。


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