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幸せの定義

前職からお世話になっているクリエイターさんがいて、その人が毎日書いているnoteがあるのだけど、それがとにかくおもしろい。誰にでもあるような日常の様子をその人独自の視点で切り取って描写している。

その人とは仕事で直接会ったこともある。普段は物静かな印象なのにnoteでは雄弁というかそんな言い回しするんだというギャップがたまらない。あの人がnoteの語り口で話しているのを想像するだけでおもしろい。

noteの内容はよくそんな考えに至るなぁと感心するものもあれば、思わず膝を打つような内容もあるが、総じておもしろい。InterestingでもありFunnyでもある。

そんなnoteを通勤電車の中でいくつか読んでいたら笑いを堪えるのが大変だった。マスクで口元は隠れているけれど、目元が緩んでいるから周りの人が見たらきっと変な人だと思っただろう。

投稿を読むたびに「スキ」をタップしていたから自分から大量のスキがあってびっくりしたかもしれない。(すみません)

ひとしきりマスクの下で静かに笑い、電車を降りて自宅に帰る。
今日の晩ごはんは餃子だった。餃子だとなぜかビールかレモンサワーが飲みたくなる。迷ったあげくレモンサワーを選んだ。

そんなことを思い返しているうちにふと思う。幸せとはこういうことなのかもしれない。チェンソーマンのデンジくんは「パンにジャムを塗って食べれる」ことや「フカフカのベッドで寝れる」ことが最高の幸せでありその生活を維持することが戦う理由だと言っていた。確かにそうかもしれない。当たり前すぎて見落としてしまいがちだけど、クスッと笑えるものがあったり、ごはんをおいしく食べれたり、そうした小さな喜びが日常の中にあることが幸せなんだろうなと思った。

次にそのクリエイターさんに会ったら、いつもどんな風にnoteを書いているのか聞いてみよう。


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