貴族院のおわり

時々むしょうに聞きたくなる貴族院最後の日(1947年3月31日)、徳川家正貴族院議長による最後のあいさつ。

家正さん、ゆっくりしゃべってますね。貴族院の議事っていつもこんな感じだったのかな? リンク先にはテキストがあるのでこちらにも。

3月31日、衆議院解散とともに貴族院は停会となりました。
《貴族院議長 徳川家正氏》
「それでは、第62回帝国議会最後の議事でありますとともに、貴族院最後の議事でございました。いまや追懐感慨ことに深く、明治・大正・昭和の3代における先輩議員諸公のご功労をしのび深甚の敬意を表したいと存じます」
ここに貴族院は58年の歴史の幕を閉じ、5月から参議院として生まれ変わります。

貴族院の議事速記録には次の通り。

本日の議事は、第九十二回帝国議会最後の議事でありますと共に、貴族院最後の議事でございました、顧みれば明治二十三年十一月二十九日大日本帝国憲法施行以来茲に五十有七年、其の間、我が貴族院は慎重、練熟、耐久の府として大いに国運の進展に貢献し、或時は憲政擁護のため、将又綱紀粛正のために尽したことも一再に止まりませぬ、今や追懐感慨殊に深く、而も本日滞りなく貴族院の議事を終り得ましたことは、諸君と共に欣慶に堪へませぬと同時に、明治、大正、昭和の三代に於ける先輩議員諸公の御功労を偲び、又現議員諸君多大の御努力に対し深甚の敬意を表したいと存じます、尚諸君に於かせられましては、此の上とも愈々御加餐の上、我が日本国の再建、世界恒久平和の確保に向つて、一般の御努力あらむことを切望して已みませぬ(https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009203242X02919470331&current=1)
※旧字は新字に直しました。

貴族院の最後は衆議院解散に伴う「停会」なんですよね。なぜなら貴族院に解散はないから。その後、憲法改正によって消滅したのだけども。

さて、上記議事速記録のうち、放送でカットされた部分を太字に。そこには徳川家正による貴族院の自己評価と、華族でなくなってしまう華族たち(ほかにも貴族院議員はいるけど)へのメッセージが込められている。
付け加えれば、前半の「慎重、熟練、耐久の府」というのは、まさに伊藤博文の『憲法義解』にある「国民慎重練熟耐久の気風を代表」という言い回しと合致(下記リンク27コマ目)。

放送に向けての編集過程はよく分からないけど、削除されたのはさしあたり尺の都合だと考えるのが良さそう。うがったことを考えずにね。だけど、この部分が削除されたことは――実際にそうだったかはさておき――その後の貴族院や華族の評価の変遷を考えるうえで示唆的だなぁ、と。やっぱりうがったことを考えちゃう。

………という話を貴族院の講義をする第1回に、もう少しカチッとした感じでやっていて、いつか自分で貴族院の通史を書くことがあれば、その時のイントロ?に使いたいと思ってる。あるのかな?笑

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