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ムダではない

✳︎今日のひとこと

深夜にドキュメンタリーを見ていたら、もうおじいさんと言える人たちが6人で部隊を結成し、福島の避難地域にある自分の家に通って手入れしたり、街を少しずつ整えたり、それはもうこつこつと地道に作業して、少しずつ街に人が帰ってこれるようになったときに解散したのですが、解散のシーンでは私も泣けました。
中のおひとかたが、誰もいない庭の木を手入れしながら、「虚しいことだと思うけれど、自分の目の黒いうちは枯らしたくないからねえ」とおっしゃっていて、その気持ちがわかりすぎて、しかし思いました。
最近の私は、基本死ぬまで着れるもの、死ぬまで使えるものしか買わなくなりました。電子機器は別ですが(多分常に最新でないといけなくなるだろうから)、服や靴はそんな気持ちで選んでいます。そして庭木や本やものたちを見ては思うのです。こんなにがんばったって、私が死んだらごみになってしまうんだもんなあ、と。
せめて人の描いた絵とかは保存してね、と倉庫を建ててから死ぬつもりだけれど。
でも、思うのです。植木を手入れする時間。お腹の中に入って消えていく食事。読んだら次に読むときまでものになってしまう本。
私にしかわからないこと、たとえば次に使う分のソープナッツを、タイラミホコさんが作った植木鉢の中に1回分入れておくこと。私が死んだら消えてしまうそんな習慣。何十年続けようとその人が死んだら無になったように見えてしまうこと。
それこそが、大事なのだと。決して無為ではないと。

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吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…