想像力
人間が何をしても着いて回る想像力について、今日は自分なりの見解をお話ししたいと思います。
私はいつも何かを考えるときに漢字の意味や言葉から入るので今回もここから書きます。
まず漢字から見てみると
事象のありさまを心中に思い定めて
自分なりに考える
力
と、いうことでしょうか。
ということは自分なりの捉え方で定義付けて
自分なりの答えを探す力とでも言いましょまうか。
これを仮定して考えると
想像の第一歩は『捉える』というから始まります。
捉える、つまり感受するということ…
様々な意見や研究があることも存じていますが、
まずは感受することが土台になっているのではと思うのです。
想の根源は感受
そして像ですが、
テクノロジーの進化は止まらず、人間の遥か上まで成長し、
今では私たち想像力の一部となり(想)像力を補っています。
だから私は思うのです
想の根源である感受を磨くこと
自分の視点を共有してより多くの角度から
感受したことを自分に昇華していくこと。
確かに超個人主義の先にあるのは平和だと思います。
ただ、私たちは人類であり、人間でもあります。
自分以外があるから幸せを感じます
捉え方で世界は変わると信じています
どうか相手を想う心を言葉という像にして伝えて
想像力の溢れた許容のある世界になりますように。
今日は我儘な願いを込めて終わります。
お付き合いいただきありがとうございました。
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