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雑記・エッセイ

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エッセイや雑記、自由奔放に好き勝手に大好きなことを書いてます。SMのことだったり、SM以外のことであったり、たまに、あなたのことであったり…気に入らないと消しちゃうこともあるので…
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#エッセイ

自分を形成した3人の作家『東京大学のアルバート・アイラー』『阿修羅ガール』『アッシュベイビー』

好きなものを語るのはいつだって楽しいもの、ですよね? 今回は、自分が心から好きな……うーん違うな……愛する……それでも足りない……崇拝する作家3人について語ってみます。 思春期の頃に出会った作家たちって、自分の文体、文章の書き方、いや、小説作法だけに留まらず、生き方さえも方向づけてしまうものではないでしょうか。 とくに、日夜長文を書き続けている文章が好きなnoterの皆さまにおかれましては、そういう作家の一人や二人はいるはずです。 自分ももちろんその一人。 これから

「生き辛さ」を抱えながら毎日を生き抜くあなたに必要なのは落語です、間違いなく、ね。

あなただけこんばんは。D-8です。 どうも「孤高のSM作家」と思われてるみたいだということが最近分かったのですが、そんなかっこいい肩書きはもったいないほどに、中の人は超ふわっふわっしてるしふにゃふにゃ毎日を適当に生きてます。今日は、たまには、いかにもnoteっぽい軽いエッセイを書きたくなってしまいました。 今日はD-8の趣味の一つである「落語」についてのお話です。 生き辛さを抱えて毎日を生き抜くあなたへ最近、スマホでニュースを流し見していると「生き辛さを抱えてる」ってい

2021年に執筆した作品総解説+α

(首をぶんぶん振りながら)あ、こんにちは。 Jack Ü、ほんとにかっこいい…🥺執筆のときに聞くとそれどころじゃないくらいノレて大好きです。復活してくれないかな~🙄 さて、今回は去年(2021年)に執筆した全16作品について、解説とか裏話をつらつらと書いていきますね。 本当は年末までに公開したかったのですが、気が付いたら新年が明けていましたし、正月もとっくに終わっていました。 読んでくださっているあなたに最大限の感謝いつも読んでくださって、本当にありがとうございます💐

SadismとMasochismを巡る思索 断章Ⅲ『永遠にいかなる場合でも肯定し、愛し続けるのに。』

聡明なSMerならそろそろ勘付いている頃なのではないだろうか。 昨今のDom/subのどうしようもないきな臭さに。 彼らが朗々と語るその言葉遣いは「SMは究極の信頼関係」と得意げに言って欲に塗れた目をしていた彼らによく似ている。愛に飢えたマゾヒストを釣るための惹句を当世風に言い換えただけみたいに見えて、その本当に指しているところはまったくもって伝わってこない。 でも、欲と愛に塗れているのは私とて同じだ。同じ穴の狢。とてもではないが人には言えない欲望の火が今日も燻り続けて

SMはギブアップしてからが本番

SMって「ギブアップしてからが本番」みたいなところ、ありませんか? 「もう、もう無理ぃ……😣」ってなってるところから「もっと頑張れるよね👿」と無理やり追い詰められて、終わってみたら2倍3倍にもなっていた……みたいな。そして、それを乗り越えられた自分にも満足、褒められて号泣、みたいな。こういうのって、いかにも「調教」って感じがしますよね。 これから痛くて辛いことが身に降りかかるはずなのに、逃げたい気持ちをぐっと堪えて身を差し出すときの緊張感と恐怖に震えて、でも、やっぱり辛く

愛するひとを作品にするときに起こること

写真家がパートナーを被写体にして作品を作るということは、わりとあったりする。 そのなかで、一番有名にして、日本写真史に燦然と輝く傑作は、間違いなくアラーキーの『センチメンタルな旅・冬の旅』だろう。アラーキーとその妻の陽子の出会いから結婚、そして死までが記録されている。膨大に撮影された写真から編まれた写真集は、写真集というよりも、小説的である。(これを初めて見たのは本屋で立ち読みしてたときだったのだけれど、あまりにも感動的で涙がジーンとしちゃって心がブルブル震えちゃったことを

ご主人さまと温泉デート♨

お風呂上がりにて♨ 「あ゛~きもちかった~。わりぃ、牛乳買ってきてくんね?」 「はいっ!」 🏃…… 「買ってきました!」 「あ、やっぱフルーツ牛乳で」 「んー、はいっ!」 🏃…… 「買ってきましたよ~」 「気分じゃないわ。それよか、コーヒー牛乳!」 「…はいっ💦」 「ダッシュな💢」 🏃…… 「ハアハア…買って…ゼエ…ハア…きました」 「やっぱ太るからいらな~い」 「😡」 「まさかお前キレてんの?」 「い、いえ🥺」 「ふふ、いい顔してんじゃん、お前のそういう顔、好きだよ」

自分のこと人間だって勘違いしちゃってるM

「僕は…最低の……クソマゾ人間なんです…」 「は?人間…?お前、まさかとは思うけど、自分のことをまだ人間だって勘違いしちゃってる?」 「……」 「お前みたいなのが人間なわけないじゃん。ずいぶん調子乗ってんなおい」 「……うぅ」 「ほら、悔しかったら鳴いてみ?w」 「…ワン…クゥン…🐶」 「おーよしよしいい犬だね~~~💕💕💕」

SadismとMasochismを巡る思索 断章Ⅱ 『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』

写真家・藤原新也の写真集『メメント・モリ』に添えられた言葉。 『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』 ガンジス川を流れてきた火葬されていない人間の死体を野良犬が食べている写真に添えられた有名なキャプションだ。 人間だって他の動物や魚と同じようにただの生き物で、等しく無価値である。そして、無価値だからこそ、価値がある。決して、人間だけが偉いわけではない、とつまりはそういうことだ。 我々はSMの、その自由さを身を持って知っている。 たとえば、多頭飼い。主が複数の従者を持つ

SadismとMasochismを巡る思索 断章Ⅰ

TOMATO結成25周年を記念してパルコが打った一連のキャンペーン『THE TOMATO PROJECT 25TH ANNIVERSARY EXHIBITION"O"』のテイザームービーで、リック・スミスが語った3ワードのマントラ(真言)は《You are enough.》。私はこの真言を事あるごとに思い出す。 パルコがコマーシャルで消費者を愛撫して金を吐き出させようとしている!と訝しまなかったわけじゃないけれど、「キミに不足はない」を意味するこの言葉は好きだ。君も、私も、