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『地中海世界』フェルナン・ブローデル - 夜明け

 閉じたフェニキアと、開いたギリシャ、同じ地中海の海洋民族として活躍した民の違いに興味を持った。貿易をする以上、活動は開いているが、信仰をもとに民のアイデンティティを硬く保つものと、貨幣という経済的武器をもとに、自由に文化を開花するギリシャ。後のローマの登場で、ギリシャとオリエントはヘレニズム文化として融合する。ローマは、ここに登場した原始都市を都市に仕上げ、大きな組織を構成した。その夜明け前の地中海世界を覗いてみよう。

小アジア原始都市の誕生

 各地を放浪して暮らしていた小規模な集団が、紀元前9千年ごろに始まる新石器時代の大変革の中で、原始都市として誕生した。その変化の源となったのは、農業の発明とそれに伴う定住生活だった。都市の成長と共に『水上運送交通網』が開発され、それに伴って各地に発生した市場の『物々交換』が地中海世界を息づかせた。交換されたものは、レバノン杉、死海の瀝青、嗜好品、装飾品、鉱物だった。特に、チグリス・ユーフラテス河やナイル河沿いは特に恵まれた水上交通を背景に発展した。

海洋民族による『交換の時代』の幕開け

 紀元前2千年の頃には、船が建設され、船乗りが育てられ、商船が地中海東部のレバントにまで広がってきた。すでに経済圏を形成し、すべてのもの(物資、技術、流行、趣味、人など)をやりとりする『交換の時代』になった。その中心となったのは、イスラム圏小アジアのオリエント人たちだった。

 紀元前12世紀には、文字の開放が進んだ。ヒッタイトの崩壊によって技術者が分散し、製鉄技術が普及した。象形・楔形文字に変わって誕生したアルファベット文字が、知識の移動を加速した。オリエントの民、フェニキア人はそれをギリシャ人に教えたのだ。

海洋民族フェニキア人の秘密

 紀元前8世紀には地中海中に広がった海洋貿易の中心民族フェニキア人は、自国ティールだけではなくカルタゴなどの植民地を開発した。それは小おアジアの海岸からアフリカ、西ヨーロッパの島々を含み、細長く広がる。フォローデルによると、本国のティールにある防壁は、内陸からの攻撃を防いでいたものだという。フェニキア人は、海に出ることを運命付けられた民であった。

 海に出ることで生活を成り立たすということは、自然と対峙し、危険と共に暮らすことだ。そのため、信じ深かった。信仰の中心は、豊穣の神、タニット。カルタゴの遺跡には、宗教的祭りの後が発見されている。地中海に広がっても、アイデンティティを保つことができたのは、この秘密めいた信仰があったからかもしれない。

開放的なもう一人の主役、ギリシャ人

 物々交換で、貨幣を貿易で使わなかったフェニキアに対して、海運のもう一つの主役であるギリシャ人は、貨幣をいち早く導入した。ギリシャの紀元前5世紀以来の経済発展は凄まじいという。しかも、オープンな彼らの気質のためか、地中海世界にギリシャ文化が受け入れられた。都市の生活も、芸術も、地中海中がギリシャ化していった。この海洋民族による地中海世界の発展は、これらの主役であるギリシャ人と、フェニキアらイスラムの民・オリエント人に加えて、もう一人の主役の登場を待つ夜明け前だった。

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