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共に行動することで、徳を共創することの意味

 今回は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』の第二巻を読む。ここでは、性格の徳について説明している。以下に、主なポイントをまとめる。
(上部写真はEffectuation Conferenceの名物イベントのEffectual Dinner、持ち寄った材料でみんなの夕食を共に作る。)

2つの徳「性格の徳」と「知的徳」

  • 徳の種類によって「性格の徳(Ethics of Character)」と「知的徳(Intellectual Virtues)」の2種類に分けられる。性格の徳とは、人間の行動や習慣によって形成される徳であり、例えば、勇気、寛大さ、正義、節制などが挙げらる。これらの徳は、行動を通じて身につけることができる。一方、知的徳とは、知識や知恵に基づく徳であり、例えば、洞察力、知識、理解力、判断力、知恵などが挙げられる。これらの徳は、学問や研究を通じて獲得することができる。

  • 情念(感情)、能力(感受性)、状態(われわれの在り方)のうち、徳と関連するのは状態である。徳とは、それがそなわるところのものを善き状態にする。

徳としての中庸

  • 中庸は、徳の一つとして扱われている。アリストテレスは、徳を極端な二つの端に分け、その間にある適度な中庸が徳であると考える。たとえば、勇気について考える場合、勇気の不足は臆病であり、勇気の過剰は向こう見ずであるとされる。そのため、真の勇気を持つ人は、臆病と向こう見ずの中間に位置する適度な勇気を持つことが求められる。

  • 中庸と両極端は対比関係にある。中庸は、ある意味頂点であり、極端な二つの立場の中間点にある、穏健でバランスのとれた立場を指す。端(恐怖、自信)のうち、中庸(勇気)と逆の端(恐怖)から離れる様に調整することで、中庸となる。この例では勇気と自信はある程度近い。一方、こうのような端の性質だけではなく、その人そのものの傾向によって、中庸の調整が行われる。

  • どの程度であれば中庸と言われるかは、知覚に頼らざるをえない。そのため、思考するだけではなく、行動することことで習慣化されることによって、身につけることが可能だ。

共に行動することで徳を高める

 アリストテレスは、「性格の徳」と「知的徳」の2種類の徳を持つことが、幸福につながると考えてる。両方の徳を持つことで、理性的な判断力と、適切な行動が可能になり、自分自身や社会に貢献することができる。また、中庸は、極端な立場にある人々が取りすぎた行動や考え方から、よりバランスのとれた状態へと導く役割を果たす。つまり、中庸は極端な立場を調整する役割を担っている。

 常に変化する社会や環境において、適切な選択をするための基準としての中庸は重要だ。両極端は、それぞれの立場が過剰に偏りすぎた結果、対立や不協和音を生む。両極端に立つ人々は、対立する立場に対して極端な反応を示すことがある。彼の倫理学においては、中庸を保ちながら、徳を追求することが人間の幸福につながるという。

 以下、ChatGPTにアリストテレスの中庸と国際情勢について尋ねたことをもとに示す。

 近年の国際状況においても、アリストテレスの中庸の思想は重要な役割を果たせるのではないか。世界は、政治的、経済的、文化的な相違を持つ多様な国々から成っており、対立や競争が生じることがある。しかし、アリストテレスの中庸の思想は、こうした対立を和解し、協力することを促す役割を果たす可能性がある。情念(感情)、能力(感受性)、状態(われわれの在り方)の中の、現状に注目することによって、未来のありうるべき姿について会話することが徳である。

 社交の徳(好意と友情)として、他人との関係を良好に保つための基本に戻ることが必要だ。好意は、他人の利益を願う心であり、友情は、相手を自分自身の一部として扱うことである。相手を尊重し、公正な判断を下すことで、相互理解や対話を通じて、問題解決に向けた努力を促し、結果として長期的な平和を促進することができのではないか。

 アリストテレスが強調するのは、「徳を実践するためには、正しい習慣を身につけることが必要である」、ということだ。 徳を身につけるため、継続的な努力と繰り返し行われる正しい行動が必要であり、そのような行動が自然に身につくように、日々の生活の中で取り入れることが重要だ。コロナの状況が変わりつつある今、人と人とが共に行動する重要さが増し、共に過ごすことの意味が変化しそうだ。

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