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時代の要請によって出現した詭弁家ソフィストは思想的には根無し草か?

 いよいよ「ソフィスト」の概要があきらかになる2章を読んでいきます。前回まで、哲学者が絶対的真理をもとめ対話するのに対して、ソフィストは相対主義者であり他の主張に対して、詭弁術を駆使して反駁するものとして描かれます。さらに、お金をもらって徳を教育し、通常はそれらを受けることができない若年で政治的な野望を持つ層から歓迎される指導者でもあります。議論を闘う術・プロセスにはたけていても、何を主張して闘うのか、徳そのものをどのように教育したのでしょうか?

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詩的世界から現場に降りてきたソフィスト

 ギリシャ時代には、人間や社会のことを語るのは、詩人、政治家、上流階級の思想家だったと言います。つまり、自然科学以外の、あいまいなこれらの議論は、隠され限られたところで行われていました。そこに、徳の教育者としてソフィストが現れたのです。ある意味、ソフィストは、人文社会の知恵の民主化を先導しました。ソフィストは、知的活動を行う専門家としての社会的役割を担いつつありました。そもそもソフィストたちは、哲学者たちの現場に対抗して登場したのです。

 一方、哲学者たちは、ソフィストではない自分達を定義していきます。哲学的対話は絶対的な真理を追い求めるための行動であるのに対して、それを追求しないソフィストたちを「知恵の淫売」「知者を真似る者」と位置付けます。実際のソフィストはどうだったのでしょうか。

市場から排除された海外からの知恵者がソフィストに

 地中海のシチリアで多発する訴訟のために磨かれた詭弁術は、古代ギリシャへの人の移動と共に、アテナイでも広まります。特に、島から来た外国人メトイコイ(ギリシア語: Μέτοικος)は、土地などを持たず、市場での売買からも除外されていました。そのため、彼らが元来保持していた知識を使って事業を始めたのが、ソフィストを形作っていったのではないかと想像します。

 また、当時の訴訟は、それを担当する専門家の弁護士がいるわけれもなく、各自に責任がありました。そのため、その術を身につけるために、お金を払うのは、当時の人々にとっては背に腹を変えられなかったのでしょう。さらに、これまで階級的に教育を受けることができなかった層にも需要があり、熱狂的に受け入れられました。

ソフィストの知識創造に対する社会的貢献は何か

 ただし、ソフィストがこのような要求に応じた事業者であるとして、そのまま受け止めるには問題があります。なるほど、これまで哲学者は、このような社会の需要には目も向けず、自分達の真じる絶対的な真実解明のみ興味を持っていました。ここでの疑問は、ソフィストたちは、知識創造に対して貢献したのか?ということです。

 ソフィストたちは、学派を造らず単独で活動します。また、ある首相に対して、反駁するための技術、詭弁術を磨くことに対して熱意を持ちます。が、何のためにその術を使うのか、得とは何か、については無頓着だったのではないでしょうか。そのルーツは、彼らが相対主義者であったことによります。

 ディベートを例にとってみると、それはゲームであり、どの様な意見に対しても、自分達が勝つための論理を組み立てる試合です。そこには、本来何が正義か、徳かという視点は欠如しがちです。現に、ソフィストであるゴルギアスは、徳とは「他人を支配する力」と考えていたと言います。反対に、そうであるが故に、ソフィストたちは詭弁術を磨き続けることができたわけです。

知の自由な開拓者としてのソフィスト

 一方、はやくから絶対(神)的な構造から離れ、相対的に主観に基づき思想を作り上げていったソフィストは時代の先駆者でもあります。事業を立ち上げたという点では、アントレプレナーでもあります。ソフィストのプロタゴラスは、「人間は、すべての物事の尺度である」といいます。この人間中心的な考え方は、その当時革新的だったのではないでしょうか。

 人々の需要を捉え、それに役に立つ知恵を授ける知者としてのソフィストは、時代の要請でもあったのでしょう。但し、その知をある一定程度にしか高めることができなかったのは、基盤とする相対主義と彼らの組織開発が未術だったためかもしれません。面白みを欠いた科学的・分析的・論理的な理論に対して、ソフィストの固有の議論展開は人文学の誕生でもあり、今の私たちにも示唆が多くあるのでしょう。

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