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ちょっと危ない公正と違法の正義が私たちを豊かにする

 アリストテレスの「二コマコス倫理学」第5巻正義と不正を、らんまんストーリーで解き明かそうと思う。第18週あたりから、大学へ行くことを制限された万太郎には、危機が訪れる。万太郎と田邊の関係は、私たちにアリストテレスの正義を読み解くヒントになりそうだ。


アリストテレスの考える正義

 アリストテレスは、正義を社会的正義と、家政的正義(夫と妻の様に、2社の間に何らかの関係がある状態)とに分けて考える。そして、社会的正義を、科学的・客観的に正しいかどうかの判断のできる自然的なものと、人間の作った制度の様にその時の文脈では正しそうなものである法的なものとに分ける。

アリステレスのとらえる正義(著者の理解)

 さらに、正義、正しいことには、法を犯していないという合法性と、良い状態にものを分配するような公正さがあるという。合法なものには、公正なものと、公正でないものが含まれるが、公正ではないことは合法ではありえないという。

アリストテレスの正義の位置付け(著者の理解)

 これらを前提として、らんまんのストーリーで振り返ろう。

万太郎、東京大学へ行く

 植物が好きで、その研究をするために頼ったのが東京大学である。その時に、万太郎を受け入れようとする場面に注目してみよう。真っ先に、「東京大学の学生でない彼を受け入れることはできない」と、反対したのが徳永助教授。これは、違法であり、それを主張している。一方、田邊教授は、万太郎を受け入れる。これは、違法ではあるが、共に植物学を創っていくという公正な活動だということだ。

 ここで、もう一つの議論があった。それは、田邊のノブレス・オブリージュ的な発言に対して、万太郎が、施しであれば断ると、言う場面だ。情けをかけ、主従関係として万太郎を受け入れようとする、田邊の奥底に隠されていた思考の片鱗が、表出した瞬間だ。これは、家政学的関係に入れ込もうとする田邊に対し、万太郎の植物学を目指すものとしての対等な関係構築の火花である。その後、この田邊の考えは、万太郎に、植物ハンター、なもなき手足にになれ、という言葉に凝縮されている。

 ここから察せられるのは、正義は合法のみでは語れない、違法であり公正という領域の存在だ。アリストテレスは、法は、過去の文脈にとって適したルールであるが、それは私たちが人間として、見直すべきものだ、と言う。そのため、単に違法だと言って、その行為を切り捨てることは、自らの発展に蓋をすることにもなるのだ。その後、田邊が許可した領域の行為は、所有物にならないならば、違法であるということになった。

寿恵子と聡子と女学校

 田邊は女学校に通っていた聡子を見初めて、妻とした。田邊と対等に話をする寿恵子に対して、田邊は、「君は女学校に行くべきだった」という。ここで出てくる女学校は、女とは、妻とは何かを教える学校なのだろう。そのため、その卒業生は、夫に対して所有される存在、つまり夫婦間を家政的な関係として作り替えるのだろう。しかし、寿恵子は同ぜす、さらに聡子が寿恵子と同等の関係を作ると同時に、田邊に対しても同様の関係作りをし始める。

 この自分の所有するものに関する行動で、アリストテレスは自殺の正義を問うている。自分の所有する体を無きものにする行為は、亡き者にするという正義でないとされる行為を、自分自身が受け入れることになる。アリストテレスは、正義は他の人に対する徳であり、そのために最高の徳であるという。このことから、他人ではなく、自分に対する行為であっても、自ら死を選ぶことは、正しい行為とはいえない、と締めくくる。

万太郎と寿恵子と印刷機

 アリストテレスは、正しいことは、人間相互間の等しい配分の結果であり、この交換のために、貨幣が出現したと言う。p219では、アリストテレスは、この貨幣の配分は、あたかも2者間の客観的理解に基づくように記述する。間主観的な同意があったとしても、すべてロジックに基づいて決めることは難しいであろうと、私は思う。

 万太郎が実家から千円もらってきた虎の子を、寿恵子は印刷機に使うと言う。最初は驚いた万太郎も、同意する。が、その場にいた印刷所の面々はさぞかし驚いたことだろう。この決断は、彼らの思い、主観的なことによって決められた。同様に、長屋住まいでありながら、外国の書籍を買うと言うことについても、それらの意思決定が正しいのかどうかは、多分2人にしかわからないだろう。

 これらの行為は、適正ではないとしても、彼らにとっては正しかった、つまり、アリストテレスのいう品位ある行動(適正で正しい)では、なかったと言うことだ。あの二人は品位を飛び越している。合法で、公正(というかもしかしたら不公正)な領域にも、万太郎と寿恵子のようなワクワクする生き方があると言うのは、ちょっとした発見であろう。アリストテレスが万太郎と寿恵子にあったならば、彼らのアントレプレナー的な生き方に共感するのではないか。きっと新しい正義の話をしてくれるだろう。以下に、らんまんストーリーで広がった正義の領域を示す。

らんまんストーリーから垣間見る合法で、適正でない領域

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