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夜更けの思索宮

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時には哲学を、古代ギリシャを、あるいは皮肉やのイタリアの彼氏のような、ちょっといつもの場所をはなれて遊ぶ
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#ソフィスト

ゴルギアスは何と戦っていたのか?それは、その時々の人々の魂

 『ソフィストとは誰か』読書会6回目、今回は6章「弁論の技法ーゴルギアス『パラメデスの弁明』」、7章「哲学のパロティーゴルギアス『ないについて』」を読み進めます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。前回は、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読みました。しかし、実際のところ彼らは弁論を一時の

クールな相対主義者ゴルギアスの弁論は、役には立たない遊び

 『ソフィストとは誰か』読書会5回目、今回は4章「ソフィスト術の父ゴルギアス」、5章「力としての言論ーゴルギアス『ヘレネ頌』」を読み進めます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待していましたが、裏切られました。以下では、この2つの章で何か起こっているのか、説明しましょう。 ゴルギアスの生涯 ゴルギアスは、シチリ

探索的に革新的な変化を厭わないソフィスト、知識の漸進的な構築に携わる哲学者

 『ソフィストとは誰か』読書会も4回目、今回は3章「ソフィストと哲学者」を読み進めます。前回ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないかと、議論を進めました。今回は、なぜソフィストがそのような立場だったのか、時代背景も含めて議論します。 ソフィストの素顔 冒頭のプロタゴラスの言葉は、今であればごく普通の意見として受け入れられます。しかし、あの当時のギリシャで語ったとなれば、相当の進歩主義者

時代の要請によって出現した詭弁家ソフィストは思想的には根無し草か?

 いよいよ「ソフィスト」の概要があきらかになる2章を読んでいきます。前回まで、哲学者が絶対的真理をもとめ対話するのに対して、ソフィストは相対主義者であり他の主張に対して、詭弁術を駆使して反駁するものとして描かれます。さらに、お金をもらって徳を教育し、通常はそれらを受けることができない若年で政治的な野望を持つ層から歓迎される指導者でもあります。議論を闘う術・プロセスにはたけていても、何を主張して闘うのか、徳そのものをどのように教育したのでしょうか? 詩的世界から現場に降りてき

デザイン思考家はソフィストなのか?

 今日から「ソフィストとは誰か?」読んでいきます。ソフィストと哲学者、著者はそれらをDNAの螺旋のように、お互い無くして存在し得ない仲であると主張します。しかしながら、現在ソフィストは歴史から消し去られ、哲学者のみが、脚光を浴びる。その状況を、ソフィストの言説に向き合い、かれらが何者か明らかにしていきます。 ソフィストは詭弁家か?それとも時代の挑戦者か 序章と1章を読んだところで、ソフィストが何者かはまだ不明です。ソフィストは、言説手法など技巧に走り、議論の中身への関心は期

Dialogueこそ創造の源、書き言葉はその保管庫

 『ソフィストとは誰か』読書会最終回は、8章「言葉の両儀性ーアルキダマス『ソフィストについて』」、結び「ソフィストとは誰か」を読みます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。そして、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読む中で、そのソフィストたちが残したものの最大の遺産は、哲学なのではないか?