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雑記(京都、大阪、のち海の向こうへ①)

今回は旅行記に、まあいつも通り少しシリアスな話も。写真が多めなので視覚的にはカラフルかもしれない。最近人生をとんでもないスピードで駆け抜けているので、noteも更新頻度が高い。別にすごくメニアックだというわけではなく、薬もちゃんと飲んでいるので、そこは安心してほしい。
書きながら聴いていた曲
・「せかいにさよなら」Marica
・「ヤツメ穴」XXXX
・「灼け落ちない翼」多田葵
・「鳥の詩」Lia
・「Before I Rise」やなぎなぎ
・「ガランド」ピコン
・「私の薔薇を喰みなさい」ALI PROJECT
・「metaphor」少女病

さて、3月1日に、まずは京都へ。久し振りの東海道新幹線に心を躍らせながら、しかし喫煙室の廃止決定に一抹の寂しさを感じながら(国鉄の負債とたばこ税の関係はどうなったのかしら)、ロリータ服に身を包み、京都駅に降り立った。

ホリィ・センと、彼は仕事の合間を縫って、私は母と完全に別行動で、昼食を一緒にする予定があった。送ってもらったバスに乗るために、一分しかなくて急いでいた。ロリータ服で伊勢丹前を全力疾走する姿はさぞ面白かっただろう。無事に待ち合わせ場所に到着し、イカヅチうどんを食べる。先日電話をしたばかりだったので、とりたてて久し振りだという感じはなかったのだけれど、楽しかった。

京大のキャンパスのすぐ近くだったので、連れて行ってもらった京大の中庭で私は喫煙をし、学生運動の名残が残る一室に招かれた。立て看板の壊れたものや何かの漫画の途中の巻が転がっていて、壁には赤いテープやスプレーやチョークでいろいろなことが書かれていた。意図せずしてキュレーションになってしまった、みたいな印象を受けた。
鴨川沿いの地下鉄の駅の前で別れた。天気雨が少し、降った。

時間はだいぶ押していたが、電車に乗って、三条で二枚貝くんと合流する。彼は生活感があまりにもなくて、きちんと食事をしているか心配になるようなところがあるので、朝、東京駅でピエール=マルコリーニのチョコレートの箱を買っておいてあって、渡した。
ちょっと浅草みたいな街並みをふらふら喋りながら歩き、「築地」という純喫茶(東京の人間からすると、磯の香りしかしないネーミングだが)に入って、ブランデー入りの温かい紅茶を注文した。レコード・プレーヤーからは大きめの音でクラッシックがかかっていて、木組みで薄暗かった。少し「エモ」的なこともやってみて、やっぱり煙草を嗜み、ずっと文学の話をしていた。

早々に電車の時間になってしまったので、京都駅、あまつさえ西口改札前のセブンイレブンまで着いてきてもらった。大江健三郎への苦手意識を払拭したいと思った。

電車で関西国際空港へ向かう。実はこれが今回の関西行きの一番の理由だった。東京大学のシステム留学で、世界を回っていた弟が帰ってきた。我々はそれを迎えに行ったのだった。
アントワープのフリーマーケットで約300円で購入したという灰色のロングコートを羽織って、インドネシアで友人に貰ったらしい目に見えて壊れたキャリーケースを引き、登山用のリュックを背負っていた。
相変わらず背が高いな、と率直に思った。我が弟ながら、羨ましいスタイルである。

ホテルと温泉旅館の中間みたいなところへ到着し、それがこの旅行の宿だった。妙に飲み物が安かったり、いたるところに体重計が設置されていたりする奇妙な点を除けば、普通の宿だった。料理や温泉は豪華だったし、ベッドは綺麗でスプリングがきいていた。
二部屋、ツインをとっていたのだけれど、結局は私と母の部屋に弟も来て、売店で買った缶チューハイやらドイツのミントのリキュールを吞みながらだらだら喋った(異常に甘い歯磨き粉を飲まされているようだった。チョコミント味が歯磨き粉だとか言うひとにぜひ飲ませたいが、もちろん日本にはない)。弟は20歳になり、向こうでビールを覚えた。私はまだ、ビールがおいしいと思ったことは一度もない。
弟は肩と足首に自分が元絵を描いたハンドポークタトゥーを入れていた。ジョグジャカルタで入れてもらったらしい。なんというか、サマーオブラブ的な何かに刺激を受けてきたことがありありと分かった。薬物をやったかどうかは怖くて聞けなかったが、レイヴやアートコミュニティーやクラブにも頻繁に顔を出していたようだった。
土産にベルリンで売っていたTシャツを貰った。これを着て人に会うたび、いや実はこれはベルリンで、などと言わなければならないかもしれないくらい訳の分からないデザインだった。
彼は日本語恋しさに坂本慎太郎、松任谷由実、the fishmans をよく聴いていたらしい。音楽趣味は変わらない兄弟なのだった。フィッシュマンズを流しながら、出したZINEなどを見せてもらったり、もう少し深い将来の話をしたりしたのだが、正直な話、スケールが違いすぎるな、と思った。
二十歳で世界を回ってしまったら、この先の長すぎる人生、どこに新天地を見出すのだろう。
口にはしなかったけれど、それがすごく不安だった。
彼は日本が、私たち家族が、ほんの少しでも嫌いなのだろうか。
私は彼の幸せを祈っているからこそ、そんなふうに思ったのかもしれない。
ハルシオンとサイレースを飲んで、眠った。

(②に続く)

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