事実を書くと誰の目にも止まらない世界

綺麗な文章で、面白い内容でないとたぶん世の中は誰も認めてくれない

「今死ぬのは本当に必要な選択か?損じゃないのか」

自分の気持ちすら口にも文章にも言語化できなくて苦しんできた自分はそんなきとを思うことで生きてきた

いのちの電話にかけたこともあったけど電話口の相手は自分のことなど覚えていない

話したことを記憶しておいて訴えの内容を理解してくれる人ができること

それがずっと自分の人生の最重要課題だった

理解してほしい

人ひとりが小学生の段階で家族の世話をしなければいけない苦しさを

その子供の成長は一般人と同じように発達して他人と話せるようになるのかどうか

話せるようになるのはほんのひと握りじゃないのかどうか

うまく行った人はできなかった人を基準に考えないのは何故なんだろうといつも思う

同じ経験者だというなら同じ苦しみを知っていてそれに対する支援体制に意見言うんじゃないか

それが自然の筈なのに不思議とない
そこにくると人それぞれだからと言う

じゃあ個人差と切り出されるポイントが全部同じなのは何故

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