キレニアのこと

ドイツに住んで2年目くらいだっただろうか、その日僕は、妻の友人であるキレニアの家へ招待されていた。キレニアはドイツ人男性と結婚してドイツへやってきたキューバ人で、この国に移り住んで既に5年だという。ドイツ在住歴で言えば僕らよりずいぶん先輩にあたる彼女は、夫がスペイン史の研究者でスペイン語に堪能であり、夫婦の会話に困らないこともあってなのか、ドイツ語にはそれほど堪能でなく、こちらで小学校に通っている自分の娘の発する言葉もしばしば理解できていない様子だったが、キューバ人に対して抱いていた僕の貧困な想像に違わず、朗らかでよく笑い、そして初対面の僕にも果敢にドイツ語を発した。一方で同じくドイツ語初心者の僕は、というより、元々の人間が消極的に出来ている僕は、いつもながら会話の輪にうまく入れずにいた。
 
 そのころ僕は次の夏休みに初めてのスペイン旅行を控え、挨拶くらいスペイン語で出来るようになろう、と初歩のスペイン語をたまたま勉強中で、使った教材に問題があったのか、バモス・デ・マルチャ!(夜の街に繰り出そう!)という、およそ僕には使いみちのなさそうなスラングのフレーズが変に頭に残っていたため、ある時会話に困ったのを機に、こんな言い方を習いました、と、その言葉を彼女に発してみたのだった。キレニアは一瞬戸惑った後、ああ、マルチャ、それはこれだ、と言ってマーチの要領で足踏みをしてみせ、しかしその言い方は知らない、となんだか恥ずかしそうに、申し訳なさそうに笑った。

 その後ドイツ語での会話に疲れた僕は、もっぱら彼の夫君と英語で話し、ドイツ語の会話から、そして結果的にキレニアとの会話から逃げるようにして午後を過ごしていたが、途中で彼の友人が家を訪ねてきて、訊けばどうやら大学時代を懐かしんで、これからクラブに踊りに行く、ただし三十歳以上限定のパーティーだが、と言う。なぜかそこに僕らも誘われ、キレニア達と本当に夜の街に繰り出す事になった。
 生まれて初めて入ったドイツのクラブは、薄暗く、大音量で音楽が流れる中、背の高いドイツ人で正にすし詰めで、最初は興味本位で楽しめていたものの、そもそも踊りも苦手、おまけに背の低い僕にはとにかく息苦しく、だんだん来たことを後悔し始めたころ、人混みにしばらくはぐれていたキレニアがこちらを見つけて近寄ってきた。どっちみちまともな会話なんて不可能なくらいの大きな音の中、彼女は身振り手振りで、楽しんでるか、と訊き、苦笑いで返すと、僕より更に背の低い彼女は大きな目を丸くして僕に顔を近づけ、マルチャ!マルチャ!と言いながら、足踏みをしてみせる。僕は思わず自分もつられて不格好に足踏みをしながら、二人でほとんど唯一共有できた言葉を魔法の様に使って僕との距離を縮めようとする彼女の強さを羨ましく思い、ひょっとして彼女がドイツ語に流暢でないのは、もっと雄弁な手段で意思を交わせる彼女にとって、言葉なんてそれほど必要ないからなのかもしれないな、とぼんやりした頭で勝手な想像を巡らせていた。

 そんなキレニアが家族でスペイン南部に移り住むと知ったのはそれからしばらく後のことだ。実は彼女は、以前から自らのドイツ語が中々上達しないことに悩み、ひいてはドイツでの仕事や人付き合いに倦み疲れ、もっと暖かく、住みやすいスペインへ移住したい、と漏らしていたのだという。僕は驚くと同時に、自分の暴力的なまでの想像力の押し付けがいかに的外れであったかを知ったのだった。
 
 僕が習った、バモス・デ・マルチャ、という表現をキレニアが知らなかったのは、キューバという特異な国で話されてきたスペイン語が、スペインやメキシコのスペイン語と異なるためなのか、それとも、ハバナから二時間も車で森を抜けてようやく辿り着くという彼女が生まれ育った村で、そもそもそんな言い回しが存在していなかったからなのか。そうした言葉や文化の差を安々と越えている様に見えた彼女にも、結局越えることができなかった隔たりについて、貧しい僕の想像力では到底理解できるはずもなく、かわりに南スペインの強い日差しが降りそそぐ海辺で暮らす彼女の姿をせめて頭に描いて、相変わらず貧しい想像力を巡らせ彼女の幸せを願った。

#多様性を考える

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