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織田哲郎

昨日、尾崎豊の命日だった。

僕が高校生の頃に出会い、
ライブまで行った織田哲郎について、
唐突だが書いてみたいと思う。

浜田省吾、佐野元春、尾崎豊が次々と、
ソニーレコードのバックアップで活動する中、
同じソニーに所属し、ミュージシャンが関わり、
キャッチーでメロディアスなロックの、
シンガー・ソングライターだった。

古村敏比古の生サックスを初めて聴いたのも、
織田哲郎のライブだった。

浜田省吾のバンドメンバーとして有名な、
古村敏比古のサックスは、
尾崎豊のデビュー・シングル「15の夜」の、
イントロで心震える音を聴かせてくれる。

実はスタジオ・ギタリストとして有名な、
北島健二は織田哲郎と高校の同級生で、
1980年に結成したバンドには、
古村敏比古と松井常松が参加するが、
ベースを探すBOØWYに松井が合流する。

織田哲郎は80年代後半、
売れない自身のソロ活動より、
楽曲提供に注目が集まる。

90年代に入ると自身の区切りとして、
ソニーレコードと決別し、
92年「いつまでも変わらぬ愛を」で、
ソロ唯一のオリコン1位を獲得。
ポカリスエットCMソングに起用された。

翌年のZARD「揺れる想い」以降、
織田哲郎はミリオンセラー連発の、
ヒットメーカーとして知られるようになる。

ただし90年代音楽のコマーシャリズムに、
本人は辟易したのではないだろうか。
特に世の中は徐々に小室哲哉を中心に、
ダンス・ミュージックが席巻していく。

イントロなんかいらない、
長い曲なんかいらない、
シンセサイザーがぜんぶやってくれる、
なんて、本末転倒な話である。

92年4月25日、尾崎豊が亡くなった。
カーステレオのラジオで訃報を聞き、
ハンドルを強く握り締めた感触を、
僕は今でもはっきりと覚えている。

歌いたいことと売れることとの狭間で、
ずっと悩んでいたと思う。

売れると書くと聞こえは悪いが、
大勢の人に聞いてもらいたい、
認めてもらいたい、という気持ちは、
少なからずあるだろう。

この時期になるとどうしても、
それについて考えてしまう。

売れない頃の、織田哲郎は格好良かった。
楽しそうだった。幸せそうだった。

そんなファンも少なからずいたと、僕は思いたい。

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