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傑作の森

ベートーヴェンの生涯で、
傑作が多い中期の10年を、
「傑作の森」と名付けたのは、
フランスの作家、ロマン・ロランだ。

僕は子どもの頃、ベートーヴェンと共に育った。
買ってもらったスコアを見て、歌っていた。
交響曲第6番「田園」と、
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。

高校を卒業した頃、
独りで毎日のように聴いていたのは、
ピアノ・ソナタ第23番「熱情」と、
交響曲第7番だった。

1802年「ハイリゲンシュタットの遺書」以降、
音楽創作への情熱が生きる喜びとなり、
1804年、交響曲第3番「英雄」を発表する。
変ホ長調作品55。

ピアノ・ソナタ第23番「熱情」作品57
弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」作品59
ヴァイオリン協奏曲作品61
交響曲第5番「運命」作品67
交響曲第6番「田園」作品68
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」作品73

僕の中では、傑作の森の集大成が、
やっぱりピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。
変ホ長調作品73。

1808年12月22日、
有名なウィーンの演奏会後から書き始め、
1809年に書き上げたと言われている。

しかし1809年は、ナポレオンにウィーンが攻撃され、
占領された時期であり、
1810年に出版、1811年に初演された。

このウィーンの爆撃でベートーヴェンの耳は、
完全に聞こえなくなったと言われており、
自身で演奏しなかった最初のピアノ協奏曲になった。

1808年の演奏会は、大失敗と言われた。
交響曲第5番と第6番、ピアノ協奏曲第4番の初演。
オーケストラはこれらの難曲を、
十分にリハーサルできなかった。

1811年の「皇帝」初演も失敗し、
ベートーヴェン存命中に、
この曲が演奏されることは、
二度となかったようだ。

次に僕の好きな交響曲第7番は、
この1811年から12年にかけて制作された。
イ長調作品92。

交響曲第8番作品93と同時に、
1814年にウィーンで初演される。
ただし喝采されたのは、同時に初演された、
管弦楽曲「ウェリントンの勝利」作品91だった。

ウィーンで人気だったとはいえ、
この1814年の演奏会でも、
ベートーヴェンの革新性が、
聴衆にまったく理解されなかったのである。

1824年、第九の初演が、
ベルリンになりそうだった、という話がある。

ウィーン・フィルとベルリン・フィルの違いも、
そんな長い歴史の背景があるのだろう。

僕の「傑作の森」は、これから訪れるだろうか。

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