「認められない」ことを承知して「音楽」=「表現」しているのに「認められたい」と思う「矛盾」した気持ちになる原因はなぜか?
長いタイトルになってしまったが、
今日ふと目が覚めて出てきた疑問。
以前の日記にも書いたが、僕は17歳から音楽を始め、25歳までバンドをやっていた。
今日書くのは、バンド活動歴8年の中で最後に活動していたinzeroというバンドで思い感じた事と、音楽を辞めてから20年近く経った今の心境の変化である。
inzeroは、20歳の頃にあるギターリスト(以降G)と大学の友人の紹介で、ギターボーカルの僕(以降Vo)と知り合い結成する事となる。ベース(以降B)とドラム(以降Dr)は、それぞれ何人かメンバーチェンジをするが、Gはinzeroの根幹的な存在である。因みにDrとは高校の剣道部からの親友であり、inzero活動前にadded lineと言うバンドを結成していた。
曲は僕が「元ネタ」を作り、Gが曲の「意味」を明確にし、リズム帯であるBとDrが「意味」にあった「アレンジ」を考え完成させるというのが、inzeroの曲の作り方だった。
inzeroがどの様な活動経験をしてきたかは、長くなりそうなので割愛するが、毎週3日3時間スタジオに入り、4人で曲を作って練習し、毎週2日ライブをしていた。CDを売る為に、全国ツアーも行った。
これまでの人生経験の中でも、記憶に鮮明に残る過酷で楽しい5年間だったとだけ記載しておく。
さて、今日のテーマである
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「認められない」ことを承知して「音楽」=「表現」しているのに「認められたい」と思う矛盾した気持ちになる原因はなぜか?
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原因は、この「認められない」「元ネタ」に
ある。
書き始めると大変長くなり、本題とずれてしまうので今回は割愛するが、簡単にこの「元ネタ」作りの影響を受けたジャンルを説明すると
「何でこんなに激しくて歪んでて複雑でお経みたいな音楽なの?私、好きじゃない」
と言った感想が大半を占め、且つコアな音楽が好きな人でも余り好まないような、マニアックなジャンルに影響を受けて、僕は「元ネタ」を作り続けていたのである。
好きなバンドは「TOOL」とだけ記載しておきます。
inzeroの根幹的な存在であるGは、激しく歪んだ音楽が好きな点は僕と共通点があったが、どちらかと言えば、一般的に「認められる」ロックが好きだった。
コアメンバーとなったBとDrだが、Bは長渕剛、Drは当時全盛期だったメロコアが好きであり、こんな「元ネタ」を持ってくる僕と「よくバンドを組んでくれたな、全員好きな音楽共通してないじゃん」と、今思い返しても不思議である。
徹底的に
「認められないが、自分のやりたい音楽」を
やろう
「元ネタ」となるこれだけは
絶対に譲れなかった。
因みに、血液型がVoがO型、GがB型、BがA型、DrがAB型と全員バラバラで、Vo以外のメンバーには、姉がおり「認められない」「元ネタ」を持ってくるVoを「認めてくれる」優しい「次男達」である。
この「次男達」がいたからこそ、inzeroは成立したのである。
しかし月日と言うものは、あれだけ「認められないが、自分のやりたい音楽」をやろうと決めていた、この拘り者の感情を変化させていったのである。
何年も必死で、自分のやりたい音楽をやっていると「これだけ必死なのに、なぜ認められないんだ。別に認められたい訳じゃないけど、もうちょっとくらいCD売れないかな?しょうがない、ちょっとみんな乗ってくれる曲作ってみようかな?」と徐々に「認められたい」妥協のような感情が、あの拘り者から発生し出したのである。
普通のメンバーなら「いい加減早く気づけ」と言うであろう、この「認められない音楽」への執着に、よくもまあ、何年も付き合ってくれた事に大感謝である。
流石、姉がいる次男達である。
実際に作った【残像】という「認められたがり」な曲は、今まで何百時間も練習し、何百回もライブし、何度もレコーディングし、「inzeroの代表曲と言えば、この曲」という【覚醒の光】という、一部のinzero熱狂的ファンからしか「認めてもらえない」曲よりも評判が良かった。
「認められる音楽」の誕生である。
僕のWebサイトであるD1084.comにアップしてますので、よかったら聞いて下さい。
こんな「矛盾」に不満だったのかと言うと、
むしろ「嬉しい」に近い感情が
芽生えたのである。
つまり、あの頃、ほんの少し、音楽をやる理由の2割位だろうか、無意識に、心のどこかで「認められたい」と感じていたのだ。
でも本当にそれでいいのか?
「認められないが、自分のやりたい音楽」と「認められる音楽」の
どちらを選択するべきなのか?
選択しなければいけない事なのか?
この「認められたい」気持ち=「嬉しい」が
今回のテーマである「矛盾」を誘発させていたのだろう。
こんな足掻きを繰り返していると、年齢は
ある決断をするよう迫ってくるのである。
「認められる」音楽をやりたい割合の高いGは「inzeroでは「認められたい」と言う譲れない気持ちを、この先もinzeroを続けていては見出せない」と、長い月日苦悩し、inzeroを辞める決断をした。
Gは「認められない」「元ネタ」に「意味」をこれ以上創造することが出来なくなったのだ。
「認められて、音楽で生きて行きたい」
この気持ちが、譲れなかったのだと僕は思う。
「生きる」とは、音楽で収入を得て
生活する事だ。
僕は音楽で生きて行く事を目指すのは、
絶対にしたく無かった。
音楽は、「徹底的に「認められないが、
自分のやりたい音楽」をやろう」という気持ちは絶対に揺るがなかった。
全国ツアーが終わり、いつも通りスタジオでリハのセッティングをしていると、今まで見たことのない表情でGが、ツアー後にBとDrの3人でinzeroを辞める話し合いをし、BとDrも辞めるつもりでいる事を話し始めた。重たい空気の中、その時はただ「分かった」とだけ僕は答えた。
僕は前述の通り「よくみんなこんな「元ネタ」で続けてくれるな」と感じていた事もあったが、「音楽をする事」=「表現する事」は、もうないのだと思うと、自分の体の一部が無くなってしまう様な感じがした。
GとBとDrがinzeroを辞める。
inzeroは、このメンバーではないと出来ない。
だから「解散」と言う結果となった。
遅咲きの、元バンドマン社会人の誕生である。
仕事経験の話も割愛する。
「今でも仕事をする事が好きだ」
とだけ記載す。
仕事とバンドとは違う。
「認められないが、
自分のやりたい仕事をする」
こんな仕事がある訳ない。
当然、嫌な仕事も数え切れないくらいあった。
生きていく為、仕事で文章を作成し、どの様に書けば分かりやすいか考える。
当然、自分本位の文章を書いたって
「認められる」はずはない。
文章を書く事は嫌いではなかった。
何となく音楽に似ている気がしたからだ。
歌詞は僕が書いていた。
ある時、自分の書いた文章が
「よく理解出来た」と言われた言葉で
「嬉しさ」を感じ「認められた」ことを
思い出した。
まさに【残像】である。
ここで思った。
文章も「表現」だ。音楽と同じだ。
文章を書く事はおもしろい。
音楽と似ていると感じた「文章を書く」という「表現」を仕事で多く長く経験し
「認められた」の割合が少しづつ増え出した。
「自分がしたい表現をして、嬉しさを感じたい」から「自分の表現で人が喜んで、嬉しさを感じたい」へ少しづつ変化していった。
あの音楽による「表現」を必死でやっていた頃は、「自分がしたい表現をして、嬉しさを感じたい」が8割で「自分の表現で人が喜んで、嬉しさを感じたい」が2割だったとしたら、今は前者が3割で後者が7割になっている気がする。
今でも勿論、自分優先の
「認められないが、自分のやりたい音楽」
は健在である。
本質的な性格は変えられないのだ。
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