メタ認知、距離を取る
6月になりました。自分の状況としては離職票発行まで特に動くこともないので待つしかないんですが、コロナ自粛も終わって日常に戻るムード&気候不安定のダブルコンボでぶっちゃけかなりしんどいです。
とりあえず、心の底に同じ思考がループしていて良くないと思ったので、メタ認知的に整理していく記録
※メタ認知とは、思考する自分をもう一人の自分の視点から俯瞰して合理的に感情整理していく手法です。
現状の思考
仕事でそこそこ上手くやっていたのに、都合が悪くなると一方的に切り捨てられた(雇い止め)何だか全て虚しい。精神的にしんどい。
・仕事でそこそこ上手くやっていた〜
→上手くやれていたかは周囲の判断になるし自分の過信に過ぎない。周りは良いとも悪いとも思っていない。
・都合が悪くなると〜
→コロナ対策で自主的に行かない判断をしただけであって、あまりに休みが続きすぎたので会社の就業規則やら何やらに沿わなくなってしまっただけ。
そもそも派遣だし雇用の安全弁でしかないから初めから割り切って距離を置いて働いてきたし、悲しむようなことは特にはない。お互い様。
・何だか全てが虚しい
→そもそも人生に意味などないので、ハマれるゲームでも探すべき。
・精神的にだるい
→間違いなく気候のせい。あと昼起きの生活は日照浴びる時間が減るのでなるべく夜寝るように戻していかないとアカン。
あとは、昨日眠る前に
ヒトラー最後の12日間 → 聲の形
と観たのがまずいチョイスでした。
前者は観るの2回目だけど何となく見返したくなって。先行きが決まってしまった人々がどういう決断をするか、を少しトレースしてみたかっただけなんですが聲の形はきつかった。
耳が聴こえない子に対してのいじめ描写が妙にリアルなのはまだいいとして、意図的に対応を避けていた無表情担任がいきなり怒声で主犯の主人公吊し上げるところで呼吸止まった。あの怒りの出され方は怖い。
小学生は幼さから集団防衛的な排斥と害意を区別出来ないからしょうがないとしても、補聴器捨てられた段階で何もしない担任はサイコパスだと思うし、サイコパス独特の感情表現と見えなくもない。
自分の小学生時代に、宿題忘れたのをなかなか言い出せずにいたら正直じゃないといきなり頰引っ叩いてきた担任いましたがあんな感じでした。予測の出来ない怒りは今でも怖い。
自分に対人トラウマを植え付けてくれた第一号という感じで、痛みを与えてきた相手の事って絶対に忘れないんですよ
(忘れないことで、同種の状況の再発を脳が防ごうとする防衛システム)
そこからすると、ヒトラー最後の12日間で自決しか選択肢のない状況下で狂いかけながらも激情に身を任せて部下を罵倒したり、かと思えば秘書に逃げるように優しく語りかけるヒトラー総統の方が感情豊かで人間らしく見えました。
ただ、聲の形は結局フィクションであって、あのいじめ状況を作るために意図的にそう配置されたキャラなので現実はまあそこまで酷くないんじゃないか、と思いたい。
とりあえず、HSP気質の人は間違いなく観ないほうがいい映画リストNo.1にあがりました。
作品の意図はコミュニケーションの困難さとそれを乗り越える希望を見せたかったんだと思いますが、過酷さがさらっと流されたように見えて以降のシーンが何もかも都合が良いようにしか見えなかった。
観る人の経験によって感想が異なりすぎてしまうと思うし、そもそも深く観ない方が良いなという結論に自分はなりました。
無理に深追いしない方がいいものというのは間違いなくあるし、これは合わないと思ったら人がどれだけ勧めていようがサッと距離を取ることは自己防衛スキルとして極めて有効だと思います。
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