【5/31】「生産」を生まない時間

1日の終わりに、「今日はやってやったぜ」と満足感に包まれる日と、「今日いったい私は何をしていたのか……」と落ち込む日とがある。

単なる気分というか体調による場合もあるのだけど、私の場合は、十分に何かを読んだり書いたりした日はおおむね「やってやったぜ」という気分になることが多く、逆に何かを読んだり書いたりが不十分だった日には、「今日いったい私は何をしていたのか……」と思ってしまいがちであることに、最近気がついた。ちなみに昨日と今日は、後者。なお、締切があって仕事として書いている原稿や、会社仕事などをいくらしても、それは「やらなきゃいけないこと」をやっただけなので満足感の足しにならない。私の場合、あくまでプラスアルファで、こうやってnoteを書いたり仕事と関係のない本を読んだりしないと、達成感が得られないらしい。

しかし、これはあまり健全な状態とは言えなさそうだ。自分の満足感のためにはずーっと読んだり書いたりしてなきゃいけないわけだが、家事や仕事など生活のために必要なことをバリバリこなしつつずーっと読んだり書いたりはできないので、そのために何を犠牲にしているかというと食事や運動である。私の場合、毎日最低6時間以上は寝ないとすべての生命活動がストップしてしまう(仕事中とか風呂の中とかでガクッと寝落ちしてしまう)ため、睡眠時間を削ることは幸か不幸かないのだけど、食事をする時間と体力がなくてキウイだけ齧って寝る、みたいな日はたまにある。

画像1

が、めちゃくちゃ今さらすぎて我ながら呆れるのだが、最近「運動は大切」ということにようやく気がついた。電車に乗るために駅まで歩くことがなくなってからというもの、運動不足にならないように筋トレとストレッチを毎日することを自分に義務付けたわけだが、なんと、それでここ数年ずっと悩んでいた腰痛が解消されてしまったのである。悪い姿勢で往復1時間べったんばったん歩くくらいなら、YouTubeを見ながら毎日30分しっかり意識して体を動かしたほうが、私の場合はいいらしい。

でもこの運動の時間も、読み書きが捗っていないと私の脳は無意識に「無駄な時間」としてカウントしてしまうらしく、削りたくなってしまう。本当は、捗っていないときほど運動したほうが、すっきりするのでいいんだけど。読み書きに直結する時間のみに生産性があり、それ以外の時間は生産性がないと、おそらく私は無意識に思っている。普段あんなに(?)「すぐに役に立たない知識のほうが、長期的に見れば役に立つ」的な、無駄な時間や無駄な知識を称賛するムーブをしているっていうのに、私の中では生産性がない(ということになっている)家事と運動の地位はものすごく低いのだ。

画像2

自粛警察みたいなのは勘弁してほしいけど、おそらく第二波が来るだろうから、6月もあまりアクティブに行動するわけにはいかない。生産性だけを追い求めて家の中で読み書きのみを追求しようとすると息が詰まるので、「生産」を生まない家事や運動の地位を、自分の中でもう少し上げてあげるのが6月の目標だ。金曜日に、窓拭きしたらめちゃすっきりしたし。発酵デパートメントのサブスクのおかげで、「1ミリも生産性がないから嫌い」と思っていた料理も少し楽しくなったし。目には見えない微生物の世界が広がっていると、書籍ではなく舌でわかると面白い。あと、たぶん抽選当たらないと思うけど、「あつ森」が欲しいので任天堂のサイトから応募した。

画像3

ちなみに、今日noteに使用した画像は「旅行先で撮った失敗写真」である。失敗というか、もともと他人に見せるつもりがあんまりなく、あくまで自分の記録用に撮ったやつ。バスの中とか、美しい要素がゼロなので絶対にインスタとかにアップされないだろうな。だけどなぜか、バチバチにキメたつもりで撮った氷山や灯台やモニュメントの写真よりも、こちらのほうが旅行のことをよりリアルに思い出させてくれる。

次に飛行機に乗って旅に出るときは、もう少しこういう写真を撮ろうかな、と思った。




شكرا لك!